ビジネススクール流知的武装講座 [183]
安倍退任と
幹部「早期選抜」の問題点
企業に求められるのは、潜在能力の高い社員に「良質な経験」を積ませることなのだ。
安倍晋三氏が首相を辞任した。戦後最年少で就任し、戦後生まれとしては初めての総理大臣だった安倍氏の在任期間はちょうど1年という短命であった。辞意を表明したタイミングの悪さや幾つもの政治課題を前にして敵前逃亡のように見えてしまったことなどが、複雑な波紋を投げかけた辞任であったが、健康状態の悪化によるということで、まぁいろいろあったなかでご苦労さまでした、というほかはないだろう。私は政治学を専門にしている学者ではないので、辞任のもつ政治的意味についてはコメントしない。
ただ、私が気にかかってしまうのは、一部の新聞報道やテレビのコメンテーターが、次の総理大臣についていっていたことなのだ。「高齢化」を気にしているのである。事実、安倍氏が1954年生まれであるのに対して、首相候補だった麻生太郎氏は40年生まれ、福田康夫氏にいたっては36年生まれである。このことを私が見ていたテレビ番組で、ある評論家は「時代の流れに逆行する」とやや批判的に評価していた。事実、小泉純一郎前首相から安倍氏へは若返りだったから、福田氏が総理になったことにより、18年も高齢化したのである。
でも、そうした「時代の流れ」は果たして本当に正しいことなのだろうか。端的にいうと、私は安倍政権が短命だった原因のひとつは、彼が過度の「早期選抜」であったことによるように思うのである。もちろん、主因ではないのかもしれない。だが、安倍氏の経験不足が多くの問題を引き起こし、その解決が経験の少なさもあって難しくなり、本人を追いつめて、健康を害すまでになったという仮説は唐突だろうか。
現在、企業経営でも同様に、トップ層への選抜時期の早期化が主張されている。私も高年齢でトップマネジメントに選抜された人材が、体力不足やダイナミズムの欠如によって、充分に活躍できない状況をしばしば見てきているし、その意味で他の条件が同じならば、ある程度トップへの選抜時期の早期化が必要だろうと思う。
だが、こうした早期化をあまり進めると、いずれは安倍氏と同様のことが企業でも起こるのではないかと危惧ももっているのである。つまり、早期化のための早期化になってしまう危険である。小泉前首相が、安倍氏を後継者として選抜したとき、どういう計算があったのかはわからない。だが、若返りという要素を重要視しすぎたとしたら、大きな禍根を残す意思決定であった。
私は早期選抜の本来の意味は、同程度の経験や能力のある人材を比較した場合、そのなかでより若いほうを選ぶことだと思う。そのほうが、体力や気力の観点や、長期政権が確立され長い目で見たダイナミックな戦略を組み立てることができる可能性が高まるなど、有利だからだ。逆に、これまでわが国では、そういう場合、より年長者を選ぶ傾向があった。そのため、トップがどんどん高齢化し、リスクをとらなくなり、わが国の企業が複雑で、達成に時間のかかる大胆な戦略を出しにくくなったことは神戸大学の三品和弘教授の研究などが示している。このやり方を変えることは必要だろう。
潜在能力ではなく、
職務遂行能力を選抜の基準とすべき
だが、これはあくまでも経験や能力が近接している人材間の話である。「経験が人を育てる」という人材育成の大命題が正しいとすれば、人材に経験を付与する仕組みが変わらない限り、年齢が若い場合、経験の積み重ねは少ないのである。また、数だけではなく、質の面で考えても、個々の経験が能力や賢さへと転換するのにも時間がかかるので、キャリア開発の仕組みが一定だとすれば、賢い人材が育成されるには一定の時間がかかるはずである。
もちろん、だからといって、単純に年齢の高い人材が優れているということではない。長老が常に賢いという前提を安心して置けるほど、競争環境は安定的ではないのである。また、経験ではなく、能力の高低が重要だ、という反論もあるかもしれない。確かに、潜在能力の高い人材は若手や経験の少ない人のなかにもいる。だが、私たちが信頼するのは、潜在能力(成長可能性)ではなく、経験に裏打ちされた職務遂行能力なのである。潜在能力は誰に経験を積ませるかの意思決定をするために使う基準のひとつである。

- (200人の事業部長が答えた、合計674個の仕事経験のうち、回答数の多い8個)
つまり、私たちは人材の選抜基準として、その人の積み上げてきた経験の量や質に注目をする必要があるということであり、また育成という観点からは、潜在能力の高い人材には、「良質な経験」を積ませることを重視しなくてはならないということである。
なお、ここでいう良質な経験とは、学習効果の高い経験である。例えば、私たちが、一橋大学大学院商学研究科で行った大企業事業部長クラス(ビジネスユニット長)のキャリア開発についての研究によると、BU長自身に聞くと、今の仕事を効果的に遂行するうえで役に立っている仕事経験のトップ8は、図1に示されたものである。
だが、そのなかで個々の仕事経験の学習効果を聞いたところ、「小規模事業の経営」の経験が事業部長として必要な能力やスキルが、最も広く多くの学習ができる仕事経験であり、他の経験は、それに比べて劣っていることがわかった。図2にある数字は、BU長に、その仕事経験が特定の能力の獲得のためにどの程度有効かを、5点満点の尺度で評価してもらった結果であり、平均4点以上の評価に網をかけてある。「事業経営」は網のかかっている数が最も多く、多様な能力の獲得できる、“良質度”の高い仕事経験なのである。
また、さらに、そのなかで「事業経営」の経験がキャリアのどの時点で最も役に立つかの学習効果を計算したところ、データは示してないが、最も役に立つのは、それを40代後半から50代前半で事業経営を経験した場合であり、それより前に経験しても効果は弱い。この結果が示しているのは、ある経験は、それまでに積み重ねられたものの上に堆積することが重要なのであり、事前の土台なしにやたらと小規模の事業経営をさせても効果が薄いことだろう。物事には順番があるのだろう。人材育成のためには、こうした良質な経験を、順番を考えながら提供することが必要なのである。
こう書いてしまうと、当たり前のことである。でも、しばしば私たちは、そのことを忘れて、これまでのシステムで育ってきた人材を、年齢で10歳若返らせることが正しいことだと思ってしまわないだろうか。仕組みを変えずに、年齢の若い人材を選抜するということは、他の条件が一定ならば、経験の少ない、賢さの程度の低い人材を選抜する可能性が高いということなのである。そのことが果たしてどこまで合理的か。本当に重要なのは、登場人物の若返りではなく、良質な経験を効果的に積ませるための経験付与システムの変革なのである。
ただ、残念なことに、現在、多くの企業で、「良質な経験」を供給する能力が低下している。良質な経験が充分提供しにくい環境になったのである。
いや、もっと正確にいうと、そうした供給能力は昔から高かったといえるのだろうか。高度成長時代を起点として、これまで日本の企業は、経営者育成をあまり意図的にやらなくてもよかった時代が続いてきた。会社の成長自体がいうなれば大きな人材育成装置だったし、特に努力しないでも、学習可能性の高い、良質な経験を自然に提供できてきたからである。
例えば、新事業や新市場、海外市場などへの進出が盛んで、能力の背伸び(ストレッチ)を必要とする未知の仕事が提供される可能性が高かった。さらに、今ほど、コストや成果についての厳しい締め付けはなく、失敗に対して寛容であり、失敗の可能性がある人材にもチャレンジが提供された。わが国の企業の多くは、多少の浮き沈みはあっても、戦後ずっと、バブル崩壊まで、成長を前提として良質な経験が自然に提供されるための条件が備わっていたといえる。こうした環境条件に助けられていたのであって、日本企業が人材育成に優れていたというのは、ホワイトカラーや経営層についてはかなり怪しいと考えられる。
経験不足の原因は
成果主義の浸透と新卒採用の縮小
だが、今はそうした状況はもうない。また、過去15年バブル経済崩壊以降の社内の変化は、良質な経験の供給量をさらに細らせてきたのである。
その原因として、まず第一に、成果主義の浸透が挙げられる。成果主義を人材育成の観点から見るといくつかの問題点が浮かび上がってくるが、特に現場の上司に適用された成果主義は、上司のリスク回避傾向を促進する。そのため、本当にできると思われた人材にしか難しい仕事が割り振られず、結果として人が育たない。また、成果を挙げた人材が際立って評価されることは、本人を萎縮させ、結果としてチャレンジ嫌いを起こす。こうしたリスク回避とチャレンジ嫌いは、育成にとって最も大きな敵である。難しい仕事は成果を挙げる確率の高い人材に割り振られ、また割り振られた人も自分からチャレンジをしないので、その仕事の学習効果が失われてしまう。結果として、良質な経験が少なくなる。
第二の原因として、非正規人材の増加や新卒採用の縮小が、現場リーダー候補の育成経験を乏しくする可能性である。本来、育成が上手か、下手かは、ある日突然決まるものではない。理想的には、会社に入って2年目から、後輩新入社員の面倒を見て、教えるということのなかから、育成能力自体が開発されていくものだろう。そしてそのやり方はいうまでもなく、仕事をやらせてみて、その結果をフォローしながら育てていくのである。
だが、多くの企業で新卒採用が極めて少なくなったため、育成経験の乏しい人材が多く存在している。また、増加しつつある非正規人材は、現場の正社員にとって指示の対象ではあっても、育成の対象ではない。こうした人々が現場のリーダーになる年齢に近づいているのである。いや、もうマネジャーになっているケースも多いだろう。上述したように、育成とは、上司が部下に適度なリスクとチャレンジのある仕事(=良質な経験)を割り振る能力に依存する。この能力が乏しく、部下に新たな良質な経験を提供することが下手な上司が生まれつつある。
第三がすでに言及した、企業成長の鈍化である。過去15年間、業績の回復をめざすなかで、多くの企業が選択と集中を戦略として採用してきた。そのため、新しい仕事が生まれず、また、生まれてきた仕事で確実に成果を出せる人材はベテランのなかにも数多く存在した。適度なリスクとチャレンジを兼ね備えた仕事は、希少資源となっていったのである。
企業成長が鈍化した今こそ、本当の人材育成能力が問われる時代であるといえるだろう。必要なのはこれまでのキャリア開発の仕組みのなかで育ってきた人材を「早期選抜」することではない。早期選抜は、適材適所の要件のひとつではないのだ。今、必要なのは、良質な経験を増産し、供給する能力を培い、生まれた機会を効果的に潜在能力の高い候補者に提供し、例えば10年後に自然な形で選抜年齢が早まるように努力することなのである。それが本当の早期選抜への道であろう。
安倍晋三さん、あなたは身をもってそのことを知らせたのかもしれません。ゆっくり休養してください。











