職場の心理学 [176]

ホテルマンに学ぶ「Yes,but」コミュニケーション

 
 
顧客に「紙一重上のサービス」を提供するためには、
どんな心構え、対話、行動が必要なのか。
「接客のカリスマ」と言われる元ホテルマンが、
長年の体験をもとに、
顧客の心を捉えるコミュニケーション法をお伝えする。
 
 
元ホテルオークラ宿泊部副部長/サービスコンサルタント
蔵田 理 = 文
Osamu Kurata
くらた・おさむ●
1953年生まれ。東京YMCA国際ホテル専門学校を卒業後、ホテルオークラ入社。18年にわたり玄関、ロビーを担当するサービスマンのスペシャリストとして勤務。ホテルマン生活30年間で約3000人の新人指導の実績をもつ、接客のカリスマ。著書に『上客がつくサービスつかないサービス』がある。
中島 恵 = 構成高橋常政 = イラストレーション
illustration by Tsunemasa Takahashi
 
 

伝えたいポイントを
三つに絞り込む

 私は1977年にホテルオークラに入社して以来、約30年間ホテルマンとして働いてきた。フロントサービス、ベルマンなどを経て社内サービスインストラクターの第一号となり、新規ホテル開業スタッフの指導なども担当し、2000年の九州・沖縄サミットでは外務省の臨時職員として接遇の指導もした。これまでに約3000人の新人を指導した経験をもとに、現在は独立しサービスコンサルタントを生業としているが、ホテルマン新人時代には苦い経験の連続だった。

 新人ベルマンだったある日、VIPである一流企業の会長の荷物を持ってエレベーターで客室までご案内しようとしたときのこと。「なんだ、その荷物の積み方は!」といきなり怒鳴られた。会長は台車の上に積まれた三つの荷物のうち二番目が曲がっていることを指摘して怒り出したのだ。曲がったといってもほんの数センチ程度だったのだが、会長は私が新人のベルマンだとわかって「君はこのサービスでメシを食うんだろ。そんな中途半端な仕事をしていたら一人前にはなれないよ」とあえて厳しく叱り、プロとしての心構えを教えてくれたのだった。

 良いサービスを提供するためにまず「自分自身が商品だ」と言い聞かせて、ホテルマンとしての身だしなみ、話し方、行動の仕方にもプロとしての仕事のやり方を考えるようになった。特にコミュニケーションのとり方は大切で、これが仕事の基本だと確信している。

 何かを「相手に伝える」ということは、自分が理解していることをそのまま伝えることとは全然違う。「四の五の言うな」という言葉には「ああだこうだと理屈を言うな」という意味のほかに「一度に多くを言っても覚えられない」というニュアンスもある。人間が一度に覚えられることはせいぜい三つ程度。登場人物が多く時間や場所が複雑な話ならなおさらである。ポイントを簡潔に三つに絞り、第三者にわかりやすく説明できるようにふだんから練習しておくべきである。

 営業マンが商品を説明するときも同じである。自社商品をわかっているのは当然で、商品の良さをダラダラ言っても相手には伝わらない。お客様はその商品について何の予備知識もないので、相手の関心度、理解度を見ながら臨機応変に説明の仕方を変えていくことも必要である。表情などをよく見て「ここに興味を持っていそうだな」という部分があれば、そこに的を当ててポイントを3点に絞って伝えること。相手の顔色を見ながら、「このあたりはわかっていないかな」と思うところがあれば、そこをわかりやすく重点的に説明するのである。

 どんなサービス業でも、「No」で始まるサービスはない。まず、どんなことであってもお客様の要望は「Yes」で受けるのが基本だ。たとえ「カラスは白い」と言われても答えは「Yes」である。そこには必ず事情や理由があるので、最初から「いや、そんなことは絶対にありません」と答えてしまえば話はその先に進まないし、その時点でサービスはストップしてしまう。「はい」は相手を受け入れる気持ちの表れであり、その人をいちばん美しく、品位を高める言葉なのである。ひとまず「Yes」で受けたあと、お客様の相談内容を聞きながら対応策を考えるようにする。難しいようであれば「Yes,but...」(はい、かしこまりました。しかし……)と続け、できない理由を説明するとともに代替プランを提案してはどうだろうか。

 たとえば、明日の花火大会を屋形船から見たいというお客様がいたら、おそらく予約でいっぱいだろうと思っても、「はい、かしこまりました」と応じる。そして空きがないことを確認して「よろしければ、花火がよく見えるこんなレストランがあるのですが……」と代替案を持ちかけるのである。

 私がベルキャプテンをしていた頃、お客様が取っ手の壊れたスーツケースをお持ちになり「この取っ手を明日までに直してくれないか?」と相談されたことがあった。私たちは翌日までに直すことはできず、答えは残念ながら「No」でその場は終わってしまった。ところがその後、香港のマンダリン オリエンタルホテルに研修に行ったとき、同じように翌日帰るお客様の取っ手の壊れたスーツケースが持ち込まれたことがあった。コンシェルジュの答えは「Yes」。彼らは修理できる特別なルートを持っていて、翌日どころか2〜3時間で修理して届けてしまった。香港のホテルはチップの習慣があり、コンシェルジュたちは個別にチップをもらう。チップ総額は給料を上回るので、「No」と言えば、収入が増えなくなってしまう。そこで、どんなことでも対応する手厚いサービスを提供しようとするのである。

二次提案、三次提案が
サッとできる感性を磨け

 私はこの体験から強烈なプロ意識とホテルマンとしてのプライドを学んだ。まず「Yes」で引き受けてとにかくベストを尽くす。それでもできなかった場合でも「No」ではなく二次提案、三次提案をする。もし、修理できないのなら、「私どもでお貸し出しできるスーツケースをご用意しております。取っ手の壊れたスーツケースはお預かりしまして、次回、ご来館されるときまでにきちんとお直ししておきますが、いかがでございましょうか」。もし、しばらく来館の予定がなければ、「それでは私どものエンジニアに応急処置をさせます。それでよろしければお預かりいたしますが」。「重い書類を詰めていくので、それでは心もとない」という返事なら「それでは、取っ手の応急処置をいたしますので、それに荷物をお詰めください。そのうえで、安心してお持ち帰りいただけるようにロープを張って処置をいたしますが」。「そうか。それじゃ、取り急ぎそれで頼む」というときに初めてお客様のご要望に対して答えを出すことができる。

 二次提案をすれば、そのあとはお客様の返答しだいでまた新たな提案が考えられる。ホテルマンに限らず、どんな提案ができるかは、サービスをする者の力量にかかっている。豊富なアイデアを常に持っておくためには頭を柔らかく、感性を鍛えていなければならない。通勤の際も、毎日同じ道を歩くのではなく、違う道を歩いて新しい発見をする。それだけでも感性が磨かれる。たとえ100%でなくても、最大限お客様の要望に応えていく方法を考えるようにしたいものである。

 情報提供や確認を的確にしておくことも大切なことである。お客様にいろいろなことを尋ねられる。たとえば、「近場でおいしい焼き肉レストランはないか」「ハイ、この店はいかがでしょうか」。すると、「あんた、行ったことあるの?」と問われる。ホテルマンの給料では、高級な店に行けないことも多い。「いえ、ほかのお客様が行かれておいしかったとよく聞きます」。「それはおまえの情報ではないじゃないか」と言うお客様がいる。いまはインターネットで何でも調べられるが、自分自身がサービスであるという自負があるなら、自身で確認した情報をお伝えできるようにするべきである。

 私がベルマン時代にこんなことがあった。外国人のお客様がタクシーに乗るときにメモを渡したので、私が日本語でその場所を書いて運転手に渡した。しかし、30〜40分ほど経って戻ってきて、玄関先で二人が口論していた。聞けば運転手が道に迷って目的地に到着するのが遅れ、お客様が行きたかったクラブはすでに閉店してしまっていたとのこと。お客様は「目的を達成していないのだからお金を払わない」と言って怒り出し、私にも「ここに電話番号が書いてあるのに、なぜ店に電話を1本入れて営業時間を確認しなかったのか」と言う。お客様の言い分は自分の案内に責任を持たなかったベルマン、道に迷ったタクシードライバーはプロとして失格だというのである。

 結局、お客様の提案でタクシー料金をそれぞれ3分の1ずつ払うことで話は収まった。このとき、情報は単に右から左に伝えるだけではなく、一つずつ確認して初めて役に立つのだ、ということを痛感した。これは、資料作成、データ作成など何事についても情報を取るときは同じではないだろうか。

 ホテルオークラのスタッフは自ホテルを「わざわざホテル」と言っている。それは、他の一流ホテルが人の集まる場所に立っているのに対し、ホテルオークラは東京の虎ノ門のオフィス街にある。ホテルオークラに来られるお客様は何かのついでに来られるのではなく、ホテルオークラに来る目的があって来られるお客様ばかりで、わざわざここまで来てくださるお客様に対して我々は「紙一重上のサービス」を提供しようとしてきた。

 ベルマンは初めてのお客様が来ると、まず荷物のネームタグをさっと見て名前を確認する。「○○様、いらっしゃいませ」。こう名前を呼びかけることで、それは画一的なサービスではなく、そのお客様ひとりへのサービスに変わる。チェックアウトのときに雨が降ってきたので「傘をご用意いたしましょうか」「イヤ、あとは新幹線に乗るだけだから、ぬれないところまでタクシーに乗せてもらうからいいよ」「そうですか。ありがとうございました。行っていらっしゃいませ」。そして、1カ月後に同じお客様がみえたとき、「あ、そういえば、雨、大丈夫でしたか?」とサッと言えれば昨日のことのように話を続けることになり、スマートなコミュニケーションが可能になる。このお客様は初めて来日したのでこんな話から切り出していこうかと考えたり、足をひきずったお客様がチェックインしたらエレベーター近くの部屋を取るように配慮したり、結婚式で媒酌人がその日の新聞の一節についてスピーチで触れたらサッとコピーを取って皆さんのテーブルにお配りする、などといった気遣いが紙一重上のサービスには必要となる。

きちんと挨拶できる新入社員は10%

photo

 百貨店などでも同じで、支払いの際、クレジットカードを出せば必ず名前が入っている。その名前を読み取り「○○様、ありがとうございます」と言った時点で、その人だけへのサービスに変わる。ほんの少しのことでも、お客様が好感を持ってくれたら、そこから会話が生まれるかもしれない。コミュニケーションの少ない現代だからこそ、小さな心配りが大きなサービスの差となって表れると感じている。

 お客様に満足感を与えるには、美しい言葉遣いも必要である。コミュニケーションが不足している現在、日本人でありながら、美しい日本語をきちんと話せない人が非常に多い。テレビでも乱れた日本語が飛び交っている。これは対面販売だったお菓子屋さんがコンビニにかわったり、電話よりもメールを使い、人と人とが直接会話をする機会が減少していることも影響しているだろう。私は常々、仕事に欠かせないのは二つのCであると考えてきた。それは「コミュニケーション」と「コンファメーション」である。コミュニケーションの基本は挨拶だ。

 しかし、小学生を対象とした全国的な調査によると、いわゆる一般家庭で「おはよう」「おやすみなさい」「行ってまいります」「ただいま」といった基本的な挨拶が交わされているのは全体の60%程度しかなかったという。私が研修を担当している若い新入社員たちを見ていても、きちんと挨拶ができるのは全体の10%程度。つまり、現代社会では、挨拶がきちんとできるというだけで他人と差がつくのである。

 コンファメーションには「確認」という意味がある以外に、コミュニケーション(挨拶)の対として、「返事」という意味もある。職場をちょっと離れるときには「行ってきます」「行ってらっしゃい」。休憩から戻ってくれば「ただいま戻りました」「お帰りなさい」。このような会話のキャッチボールこそが、仕事上のささいなミスを防止することにもつながる。ある米国の保険会社の調査によると、朝、「行ってらっしゃい」と家族から見送られた人のほうが突発事故にあう確率が低いという。きちんと見送られる人のほうが、その日1日の精神が落ち着くということの裏づけといえるのではないだろうか。

 
 
PRESIDENT 2007年8.13号
PRESIDENT 2007年8.13号
税込価格 650 円
売り切れ
 
PRESIDENT公式twitterアカウント

メールマガジン <プレジデントニュース>

 
 

「プレジデント」編集部員による取材現場でのこぼれ話やビジネスマンに役立つオリジナルコンテンツ、新刊書籍案内などを、週1回のペースでお送りいたします。

メールマガジン申込・登録変更