ビジネススクール流知的武装講座 [178]
「一物一価の法則」を壊すマクドナルドの真意
筆者は、為替相場の世界で使われる購買力平価の概念を応用し、地域別価格差の意味を導く。
東京、宮城で80円
「地域別価格差」のカラクリ
この6月20日よりマクドナルドで売られているハンバーガーの価格に地域別価格が導入された。日本経済新聞によれば、「東京、神奈川、大阪、京都の四都府県の全1255店で価格を上げる一方で、宮城、福島、山形、鳥取、島根の5県の計130店で価格を下げた。残りの2439店は据え置いた(店舗数5月末)」。例えば、「ビッグマック」のセットメニューは、値上げした地域で640円、価格据え置き地域で580円、値下げした地域で560円に設定された。その理由として、「大都市での人件費や店舗賃料の上昇が目立ち、地方の店舗とのコスト構造に大きな差が生まれたため」と報じられている。
この報道を聞いた読者の皆さんの中には、例えば、東京都と埼玉県との県境に住んでいる人は、マクドナルドでハンバーガーを食べるときは埼玉県にある店舗に行って食べましょうと、実行されている方々もいるであろう。埼玉県との県境から離れているところに住んでいる筆者は残念ながら安いハンバーガーを食べられないでいる。「ビッグマック」のセットメニューで考えれば60円も損したような気もするが、電車に乗って埼玉県まで出かける電車賃を考えれば、その60円の損もしょうがない。
また、筆者は、日本経済新聞を読んでマクドナルドの地域別価格導入を知ったが、「ビッグマック」のセットメニュー以外の地域別価格体系を知りたく、マクドナルドのホームページでその情報を取ろうとしても、全商品メニューには栄養情報とアレルギー情報が掲載されているだけで地域別価格の情報はまったく掲載されていない。不親切なことに、日本マクドナルドホールディングスのホームページのニュースリリースにも地域別価格の情報がまったく掲載されていない。そのため、前述したように、日本経済新聞による新聞報道に頼らざるをえなかった。電車を乗り継いで出かけなければならないことが障壁となって、筆者自身まだ埼玉県の店舗で本当に東京都の店舗より「ビッグマック」のセットメニューが60円も安く売られていることを確認できていない。
このようにマクドナルドは、電車賃等の移動費用や情報の不完全性による地域的な独占を利用して、地域別に差別化価格を適用することができている。通常、同じ商品に価格差が存在していることが認識されれば、商品裁定取引(安い場所で買って、高い場所で売ることによって利鞘を儲ける取引)を行うことができるだろう。ただし、その場合に、価格差は輸送費などの取引費用よりも十分に大きくなければ、商品裁定取引による利益は実際にはない。さらに、そもそも商品裁定取引によって利益を得るチャンスが存在していることに関する情報に不完全性があれば、このような商品裁定取引を実際に行える者はいない。
商品裁定取引を阻む
「輸送費」と「情報の不完全性」
もしすべての人が自由に商品裁定取引を行えれば、すなわち、埼玉県にある店舗で「ビッグマック」のセットメニューを580円で買って、それを東京に運んできて、東京都にある店舗の前で東京都における定価640円より1円安く639円で廉売することによって、輸送費などの取引費用を無視すれば、59円も儲かることになる。このような商品裁定取引を多くの人たちが行えば、廉売合戦が始まり、東京都にある店舗の前で売られる「ビッグマック」のセットメニューの価格は、輸送費などの取引費用を無視すれば、埼玉県における定価(580円)に限りなく接近していくことになるであろう。
このように、輸送可能な同一の商品の価格差に関する情報がすべての人に容易にアクセスできて、そして、輸送費などの取引費用がゼロであれば、あらゆるところでそれらの価格は同一となる。このことを「一物一価の法則」という。しかし、マクドナルドのハンバーガーの場合には、実際には、この「一物一価の法則」を満たさず、「一物三価」となっている。
「ビッグマック」といえば、イギリスの経済雑誌「エコノミスト」誌が毎年、発表する「ビッグマック」価格で測った購買力平価(Purchasing Power Parity:PPP)が有名である。略してビッグマックPPPと呼ばれる(「エコノミスト」誌はBig Mac Indexと名づけている)。この購買力平価とは、為替相場の長期トレンドを予測するために利用される為替相場決定の考え方である。為替相場の長期トレンドをビッグマックの価格で計算して、実際の市場レートと比較しようというのがビッグマックPPPである。
為替相場の長期トレンドは、主として国際貿易によって決定される。国際貿易取引の基本的な行動原理は、国境を越えた国際的商品裁定に基づいている。国境を越える取引においては、国と国との間で決済手段として利用される通貨が異なるのが普通である。そのために、商品裁定に基づいて行われる国際貿易取引では、これらの異なる通貨を交換するという外国為替取引が伴われる。したがって、この国際的商品裁定に基づく国際貿易取引が為替相場に影響を及ぼす。
輸送費や関税などの取引費用をゼロと仮定すると、同一の国際貿易が可能な商品について、各国における価格の情報が完全であり、かつ、誰でも国際的商品裁定にアクセスすることができるならば、国際的な商品裁定によって「一物一価の法則」が成立する。日本におけるビッグマックの円建て価格をP円、アメリカにおけるビッグマックのドル建て価格を Pドル(*)、そして、為替相場をS円/ドルと表すと、「一物一価の法則」が成立していれば、P=S×P(*)という式で表すことができる。この式を為替相場決定式に変形すれば、S=P/P(*)と書き直すことができる。これが購買力平価である。すなわち、購買力平価(円/ドル相場)は、アメリカの価格に対する日本の価格の比として表される。
そもそも、購買力平価とは、異なる通貨の価値、すなわち、異なる通貨の購買力を均等化させる為替相場として定義される。通貨の購買力について、ビッグマックで考えてみよう。「エコノミスト」誌の調査(2007年1月31日)によれば、日本ではビッグマック1個の価格が280円、アメリカではその価格が3.22ドルだと想定する。ビッグマック1個を購入するための通貨の購買力という意味では、280円と3.22ドルは同じビッグマック1個を購入する購買力を有している。換言すれば、ビッグマックで測って280円と3.22ドルは同じ価値を有している。この場合には、3.22ドル=280円、すなわち、1ドル=280/3.22円≒87.0円ということになり、この数値が購買力平価を表すことになる。「エコノミスト」誌が、世界中で売られているマクドナルドのビッグマックの値段から、ビッグマックで測った購買力平価、すなわち、ビッグマックPPPを計算しているのは、こういう考えに基づいている。
「エコノミスト」誌が計算した主要国通貨のビッグマックPPPが表に示されている。興味深いところでいうと、ドル/ユーロのビッグマックPPPは、ユーロ圏におけるビッグマックの価格が2.94ユーロであることから、1.10ドル/ユーロと計算される。「エコノミスト」誌調査時の市場レート1.30ドル/ユーロは、ビッグマックPPPに比較してユーロの19%過大評価となっている。また、人民元を見ると、中国のビッグマックの価格は11人民元であることから、人民元/ドルのビッグマックPPPは3.42人民元/ドルと計算される。調査時の市場レート7.77人民元/ドルは、ビッグマックPPPに比較して人民元の56%過小評価となっている。これらのビッグマックPPPの数字をどのように見るべきだろうか。そのままこれらの数字を信じれば、ユーロはドルに対して過大評価されている一方、円や人民元はドルに対して過小評価されていると判断されることになる。
過大評価される
「東京円」、過小評価の「宮城円」
このビッグマックPPPを前述したビッグマックのセットメニューの地域別価格に基づいて日本国内に適用してみると、不思議なことが起こる。東京都では「ビッグマック」のセットメニューの価格が640円、埼玉県では580円、宮城県では560円であるから、東京都で使われている円(東京円)と埼玉県で使われている円(埼玉円)のビッグマックPPPは580/640=0.91埼玉円/東京円と計算される。一方、東京円と宮城県で使われている円(宮城円)のビッグマックPPPは560/640=0.88宮城円/東京円と計算される。ビッグマックPPPと比較すれば、東京都でも埼玉県でも宮城県でも同じ価値の円を使っている現状と比較すると、東京都の円は埼玉県や宮城県の円に対して9〜12%過大評価されているということになる。このようにビッグマックに対する需要の差異からマクドナルドが地域別に価格差別化を図った結果として、需要が大きく価格が高い地域の通貨が過大評価される一方、需要が小さく価格が低い地域の通貨が過小評価されているということになる。
この不思議な結果は、商品裁定取引が行われることによって「一物一価の法則」が成立することを前提とする購買力平価の想定している世界と現実が異なることにある。実際には、価格差の情報が不完全であり、電車賃などの取引費用がかかり、マクドナルドが独占的に販売しているために廉売合戦が起こりえず、そして、たとえ王府井で安いビッグマックを買えたとしても、それを五番街やシャンゼリゼまで運んだら冷えてまずくなって食べられなくなってしまうという貿易可能な商品ではない。このような現実は、同じ通貨が流通している日本国内で地域別価格がマクドナルドによって導入されたことによって一層、明らかとなった。
※2007年1月31日時点の為替レートで換算。「The Economist」誌(http://www.economist.com/markets/bigmac/)より抜粋して作成








