職場の心理学 [175]
なぜ成果主義は「歪んだ派閥」を生むのか
孤立無援によるうつの発症や自殺が増え、また、
組織のなかで新しい形の派閥が発生している。
産業医の立場から男性社会の闇に切り込み、
新しい評価の仕組みを提案する。
「自決型死亡」の急増と
男性社会の闇
厚労省のまとめによると、うつ病などの精神疾患における労災申請では、1990年代後半以降、過労自殺に関する請求が急増している。2006年度の精神疾患に関する労災申請は819件で、認定者数は205人に上った。
このうち未遂を含む自殺の認定は66件である。職種別データは数年前の調査になるが、管理職が約5割、システムエンジニアなど専門技術者が約3割を占めている。近年の傾向で特筆すべき点は、30代の急上昇だ。
オーバーワークによって命を落とすケースは、大きく二つある。過重労働のあまりボロ雑巾のようになって過労死する場合と、頭をフル回転させ続け、脳の疲労によって虚無感に襲われ過労自殺へと進んでしまう場合だ。
私は後者を、「仕事が著しく停滞することへの不甲斐なさ」や「やり遂げられなかった仕事への責任」を背負って、自らの人生に幕を引くことから「自決型死亡」と呼んでいる。
過労が進むと、疲れによって体のみならず精神的にもパワーダウンしてしまう。本人には自覚があるので、気力で乗り切ろうと自らにハッパをかける。とはいっても、集中力も判断力も低下しているので、仕事は捗らず残業ばかりが増えていく。「どうにかしなくては」という感情だけが先走りして、気分はますます落ち込んでしまう。
こういう状況をたどって最終的に自殺した8割が、はっきりとしたうつ症状の発現から自殺までに3カ月かかっていない。
また、「自決型死亡」に身を投じるのが圧倒的に男性である点も見逃せない。すべてのことを自分一人で仕切り、その成果・責任についても自分だけで受け入れる「自己完結性」は昔から、男の美学とされてきた。しかしながら、終始その姿勢を貫こうとすると、すべてを単独で抱え込み、周囲から孤立してしまう。
ここでは、そういった男性社会の闇に切り込んでみたい。
なぜ男性が「自決型死亡」に走るのか、そのヒントとなるのが、うつ病の表現形態の男女差である。
うつ病を発症すると本来、気分が落ち込んだり、何もかもが悲しくなったり、興味や喜びの感情を喪失して無気力になったり、意欲が低下する。女性はこの感情をストレートに外に出せる例が多い。
しかし、男性はこれを「女々しいもの」として抑圧し、気分の落ち込みに罪悪感や自責の念を抱く。そればかりか、仕事がうまくいかなかった理由についても「力不足による業務上の失敗」として己の非と捉える傾向が強い。うまく回っているときは“頼もしい”といわれる男性気質も、いったん闇の世界へと足を踏み入れてしまうと、人生の幕を引く力と化してしまう。
自殺未遂者は、報告されている数の10倍以上はいるといわれる。
これは成果主義の導入による競争の激化と切っても切り離せない問題である。「部署全体で力を合わせて、成果を出したい」という気持ちよりも「部署内で自分以外、皆が総崩れすれば一人勝ちだ」という考えが蔓延すると、職場は「自決型死亡」の温床になる。
社内の雰囲気が険悪化し、イジメ、孤立無援状態の放置、見て見ぬふりという声は、賃金連動型の成果主義を導入した組織体から頻繁に聞こえてくるが、「自決型死亡」はこうした行為のすぐ隣に潜んでいる。
たとえば、指導を求めてきた部下に対して、「私自身もこれまで一人で学んできたんだから、あなたも私を頼らず自分で学ばなければいけない。『教えろ』と言われても、あなたのほうが、よほど詳しいでしょ」と言い放った上司がいたらしい。「デキる」「近い将来抜かれる」と感じさせる優秀な若手には、厳しい言葉が投げかけられる。これなどは所謂パワハラで、成果主義に名を借りたイジメである。
一方、「この仕事は、私が20年来担当しているんだから、私に任せてくれればいい」と言い切る過剰なまでの「自己完結型」には、成果主義の導入で「仕事を渡すと、自分の存在価値がなくなる」という恐怖がすり込まれてしまったようだ。このタイプはもともと周囲に耳を貸さない性格なので孤立しやすいが、仕事に関係する情報も人脈もますます開示しなくなり、以前にも増して仕事を囲い込んでしまう。抱え込んだ結果、業務の停滞を生むとともに、周囲の者が仕事を学ぶチャンスを奪うという大きな弊害をもたらしてしまっている。
「やりすぎて疲れたら、休む」。これは生きていくうえでの理{ことわり}だ。仕事も同じで、「自決型死亡」阻止の対応策も、まずは精神科の治療を受けてしっかり休養をとること。そこまでできないのなら、仕事を大幅に減らすことだ。スタッフの判断能力が低下し、仕事の効率が著しく低減していることは、仕事の監督者たる上司が気付いてやらねばいけない。
しかしその上司の口から、「休んで体調を整えろ」という言葉が出ないことがある。自分が仕事を与えており、代わって仕事をする人がいない以上は納期の遅れなどのリスクを背負う覚悟が必要になるが、保身からついその言葉をのみ込んでしまうらしい。
成果主義時代の
新たな派閥形成メカニズム
単純な成果主義は、社員のモチベーションを低下させる。成果主義の原点は、全員を同じスタートラインに立たせて必達目標(コミットメント)を強いるシステムなので、社員の“やらされ感”を強めている。目標設定は上司の一方的な意向や、根拠なき憶測で決まるものも現実的にはある。目標管理に楽しむ要素があれば精神的な余裕も生まれるが、その要素はさほど見当たらない。成果主義は本来のやる気を削ぎ、ある意味仕事が辛くなるのは当然だと思わせるシステムになってしまっている。
そうした成果主義がもたらした荒波を「自分だけはなんとかしてかいくぐりたい」という思いから新たな動きが見られる。それが新タイプの派閥の発生だ。この派閥は従来からある、経営のイニシアティブ獲得をねらった、社長派vs専務派といった形とは全く異なり、成果主義でプラスの査定を入手するためのものだ。
現状のままでプラス評価を手に入れるためには、個人で手堅くクリアできる目標を掲げるか、評価される力を外部から見つけてくることに尽きる。
競争が激化するなかでは、上司から高い目標が求められるため、目標を甘めに設定することは難しい。「定年近くまでは働いていたい」と思うなら、自分以外の力を頼みに、自己防衛のために生き残りをかけ派閥に所属するしかない。派閥にくみすることで、ある種の保証を得るのだ。これは、「イジメられたくない」「信頼はおけないが、生き残るためには強そうな奴の子分になる」といった子ども社会のイジメ防衛策と似ている。派閥に属して危機を乗り切ることは、人間の本能なのかもしれない。
新タイプの派閥について具体的に説明しよう。たとえば、革新的な業務ではないものの、それなりの成果が出る仕事をしているAチームと、巨大プロジェクトではあるが、簡単には成果が出ない業務に従事するBチームがあるとする。Aチームの仲間になったほうがここ3〜5年の生活は、安定する。そこでAチームに所属することにする。
成果主義下のチームはとてもリベラルなため、自らの目的を果たしたなら、Cチームに移り、その後はDチームに移ることも可能だ。リベラルというと聞こえはいいが、これは単に人が渡り鳥化しているだけのこと。このチームが、危うい派閥を生み出している。新タイプの派閥は、チームから派生した一時的な集まりであって、仕事に対する目的意識や結束力を欠いていることが多いためだ。
このような話を聞くたびに、成果主義とは言いながら「なんだかんだ言って大きなビジョンを掲げても、ポシャッてしまえば終わりだ」という刹那的な考えが組織にはびこり、目先の評価だけで社員が行動しているように思う。危うくもろい派閥が生じては消えるという、渡り鳥ばかりが繁殖するような企業体に5年後、10年後はおそらくない。
さて、「自決型死亡」者数の動向については、今後もしばらくは増加が続くものと思われる。管理職の若年化によって、「自決型死亡」も連動して若年化する可能性をはらんでいるためだ。
30代の多くは、「これだけ働いても、10年後の自分の姿が全く見えてこない」と大いに揺れている。今の20代後半の管理職登用が始まり、腹が決まってくる34〜39歳までは、このまま不安な気持ちを引きずっていきそうだ。30代の「自決型死亡」が今後数年は減らないと思われる理由は、そこにある。
この状況をただぼんやりと見ているわけにはいかない。「成果主義自身の〔成果〕を厳しく見極め、評価制度を検証する時期にきている」と訴える立場を私はとる。
成果主義は
個人ではなく、チーム対象に
それでも成果主義を敷きたいのなら、業績が上がった場合の評価は部署の所属メンバー一人ひとりでなく、チーム単位にするといい。グループ全員が力を出し合って、より大きな成果が出る仕事があるためだ。あるいは部下の教育で功績を示した人や、相談に乗ってあげられた人に対して、もっとプラスの評価を与えてみてはどうか。この評価は、デジタル式の現行システムでは、たぶん査定できない。
一方、必達目標など立てようとしても立たない仕事がある。売り上げにはあまり貢献しないが、後世に伝えねばならないような地味な仕事や、間接部門がそうだ。そうしたエリアで仕事をする人たちは、必達目標を無理やりひねり出したり、部下の評価に悩んだりして脱毛症や胃潰瘍になった例もある。考えてみれば、これほどムダなこともない。
映画の製作委員会などは1本の映画のために資金調達や製作、PRなどの専門スタッフが集まって興行の準備に取り掛かる。映画が成功するとともに喜び合い、売り上げを分けて解散していく。新タイプの派閥と異なるのは、目的意識や結束力がはっきりしていること。こういったプロジェクトは最近増えているが、新しい仕事形態のお手本になると私は考える。
どんな集団でも、チームのスクラムをがっちり組むには、意識の共通をねらった関係者全員の参加によるフリートーキングが望ましい。全員参加などムリだと思ったら、そこで終わり。危険を顧みずまずやってみよう。真摯な意見が複数出てくるはずだ。仮に悲惨な結果に終わっても、結論に至らなかったというだけ。失望することはない。
チーム内で個人が働くスタイルとしては「サーファー型労働」をお勧めする。サーファーたちは、うまい人が乗った波に自分も乗ろうと安易に思わない。自分の腕に即した波が来たら、それぞれが勝手に波乗りを始める。ここが、成果主義の一斉スタート型との大きな違いだ。だれかについていこうなどと思わず、純粋に自分が楽しいからやる。仕事にもこういったスタンスが望まれる。一見、一人ひとりがばらばらに見えても、目標や状況の認識を共有することができていれば、チームとしての業績が上がると同時に、個人の働きがいも高まるだろう。











