ビジネススクール流知的武装講座 [175]

時間短縮、女性活用……「職務明確化」のススメ

 
 
日本企業の多くは、従業員の能力に給料を支払う
「職能資格制度」を採用してきた。
「ワークライフバランス」が叫ばれる今、
この制度を見直す必要がある。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
守島基博 = 文
text by Motohiro Morishima
もりしま・もとひろ●
東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。イリノイ大学産業労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・労使関係論・人的資源管理論でPh.D.を取得。2001年より一橋大学商学部勤務。
著書に『人材マネジメント入門』『21世紀の“戦略型”人事部』などがある。
 
 

 のっけから私事で恐縮だが、もう20年も前になるだろうか、当時人事管理や組織行動といった分野をアメリカで勉強していた私は、日本で博士論文のデータを集めようと帰国し、日本の先生たちに自分の計画を話して、こっぴどく怒られた。私のアメリカでの先生は、職務の特性が働く人のモチベーションや満足度に強い影響を与えるという理論(職務特性理論)を提唱した人で、私もそれを応用した博士論文を書こうとしていたのだ。

 日本の先生方によると、日本では〇〇さんの職務(job)という考え方が乏しいので、働く人に職務の特性や特徴を尋ねることはあまり意味がない。また仕事の特性が働く人に影響を与えるといっても、それは一過性のもので、すぐに変わる可能性もあり、それよりも組織や上司の特性が働く人の意欲や満足感には大きな影響がある、というのである。

 たしかにそうなのかもしれない。米国でも組織の特性や上司のリーダーシップは大きな影響を及ぼすという議論がされている。でも、働く人に自分のjobがないとはいったいどういうことなのだろう。

 そうした疑問を感じつつ、アメリカから準備してきた調査票でテストしてみると、どうもおかしい。特に、何が自分の仕事で、どこからが他人の仕事なのかが明確になっていないようなのである。また、職務遂行過程での自律性もあるような、ないような……。

 そこで日本の人事管理の本を調べてみると、賃金は職務によって決まるのではなく、主に本人の能力や努力によって決まるのだという。日本の組織にはjobという概念がない……。本当にそうなんだろうか。そんな疑問を抱きつつ、困ったなと思いながら、時間切れで帰った覚えがある。なお、その後で彼我の差について考え、その甲斐もあり、また日本の先生方の応援もあってようやく博士論文を完成させることができた。

 長々と自分の無能ぶりを話してしまったが、この話をしたのはノスタルジアに浸るためではない。私は今、日本企業の人材管理が抱えている多くの問題がjobという概念のあるなしに依存する部分が多いと考えるから、こんな古臭い話をしたのである。逆に言えば、今やjob概念がないからといってすまされない多くの課題や不具合があるように思う。少し具体的に見てみよう。

 現在、成果主義的な評価・処遇制度の導入に伴って、目標管理の手法を導入する企業が増えている。ある調査によると中堅企業以上のクラスでは、約8割の企業が導入しているという推定がある(労政時報、2006年7月)。

 だが、同時に目標管理は現場での運用が極めて難しく、多くの現場管理職を苦しめているのも事実である。なぜこんなに目標管理は運用が難しいのだろうか。よく言われるのが、日本企業の現場では、現場管理職が人をマネージするスキルを磨いていないため、目標管理がノルマ管理になったり、逆に部下任せの放任管理で管理者のフォローがないというのである。

 たしかに、そうした側面があることも否めない。ただ、私は職務という概念がないところに目標管理を導入したことが、現場管理職の負担を過度に高めていると考える。なぜならば、職務の背後には、当然職務ごとの「期待される成果」があり、目標設定においては、これがベンチマークとして使われるので、比喩的に言えば、まったく真空から目標を設定する必要はないのである。ある程度の基準を巡って目標を設定することができるのである。また、評価にあたっても、当然職務ごとの期待値がひとつの基準となる。

 したがって、目標設定において(そして、多くの人が主張するように目標管理においては目標設定のよしあしが大きく影響する)、ある程度の基準がすでに定まっているのである。こうしたベンチマークなしで目標管理を行うから、現場リーダーや上司の仕事は極めて大変になる。また、そのため成果主義などの新しい方式もうまくいかない。成果とは、本来職務ごとに決まっている成果の期待値から、どれだけ離れた目標を達成したかで評価するときに使う基準なのである。さらに現場管理職の仕事は、期待値からどれだけ上方に離れた目標を設定させて、それを達成させるかになる。こうした基準なしで現場管理を行う日本の管理職は本当に大変だ。

なぜ日本で長時間労働が
なくならないのか

 次が今話題(?)の長時間労働である。ある研究によれば、働く人が残業をする理由の第1位は「そもそも所定労働時間内では片付かない仕事量だから」(約1200人中59.6%)、第2位は「自分の仕事をきちんと仕上げたいから」(同41.5%)である(小倉一哉・藤本隆史「長時間労働とワークスタイル」労働政策研究・研修機構ディスカッションペーパーNo.07-01、07年)。多くの仕事を割り振られて、それでもまじめにそれを仕上げたい“健気”なサラリーマンの姿が見えてくる。

 では、いったいどうすれば仕事量を減らせるのか。そう考えたとき、会社の売り上げがあがっていたり、顧客の要求がきつくて、仕事の総量が多いということももちろんあるだろうが、同時にどこまでが自分の仕事かわからず、複数の仕事に手をつけているうちに、結果として仕事量が多くなってしまうということはないだろうか。わが国の多くの職場では、いまだに「自分の仕事は自分の仕事、他人の仕事も自分の仕事」と考える傾向(プレッシャー?)があり、仕事量が増えたときの切り札である That"s not my job! が言えないために、多くの仕事を抱え込んでしまう傾向がある。

 もちろん、自分の仕事ではないという理由で、仕事を引き受けない人材が増えると、職場での協働や互恵が失われ、ぎすぎすした職場になったり、仕事の間に隙間ができたりするという弊害もある。一時期、海外で仕事をする場合、特に下位職位において柔軟性を欠く職務態度がみられ、そうした傾向を外国企業の弱さだと考えた時期があったが、そうした現象が日本の企業でも起こる可能性がある。

 ただ、どこまでが自分のするべきことで、他の人がどこまでするべきなのかという境界線が明確になると、仕事の計画も立てやすいし、なんといっても自分の仕事が終わったという感覚をもちやすくなる。決められた以上の仕事をするかどうかは、義務ではなく、本当の頑張りになるし、また職場でのフリーライダーの仕事を、有能な同僚が汗水たらしてカバーするという不条理も減るだろう。いずれにしても、長時間労働へのひとつの対策として、仕事範囲の明確化は必要なのである。

 女性活用や、また男性も含んでのいわゆる「ワークライフバランス」の普及も、日本の職場においては、職務が明確になっていないために阻害されている現象のひとつだと考えられる。

 なぜならば、女性活用やワークライフバランスにおいては、多くの場合、仕事量や職務範囲を制限することで、働く人を長時間労働から解放することが必要だからである。短時間勤務や定時退社、週3日出勤制などがその例となる。

 だが、こうした長時間労働からの解放を行う際に、多くの企業が苦労しているのは、労働時間が短くなった場合に、例えば「半分の仕事」をどう定義するかだ。また、賃金などを半減させることの難しさもある。もちろん不可能ではないし、またそうしたことを実践している企業も多い。だが、それは従来の人事制度と異なった考え方であり、上司や周囲を説得するのが困難だ。

 それに対して、職務が決まっていて、それに基づいて賃金が決まっているなかでは、職務を半分にすれば、期待されるコミットも、賃金も半分にしやすい。やや機械的な描写になってしまったが、原理的にはこうしたストーリーになる(なお、同様の理由で職務制度のもとでは、ワークシェアリングもやりやすい)。

職務の明確化で
キャリア中断も可能に

 さらに、もうひとつ。職務を明確にし、それに伴う職能も明確にすると、働く人の評価において、その人のそれまでのキャリアに比して、能力やスキルなどの相対的なウエートが高まり、育児休暇や介護休暇などのキャリアの中断をしやすくなる。仕事に対して必要な能力を明確にする努力が行われるからである。

 自分の能力やスキルの向上は、キャリアの継続を通じてしか可能にならない場合も多いが、自分の努力でキャリア中断の間でも獲得できる能力やスキルもある。そうして獲得したスキルや能力が正当に評価される土壌があれば、キャリアは必ずしもすべてつながっている必要はなくなるのである。

 最後に私が日本の職場の多くを潜在的に脅かしていると考えている問題をあげよう。それは、1990年代初頭から、コストの差に主に注目して、労働力の非正規化(非正規労働者による正規従業員の代替)を進めてしまったために、本来正規従業員がやるべき仕事が非正規労働者に移ってしまったという問題である。

 例えば、現在多くの企業が直面している技能継承や人材育成の機能不全は、人口の高齢化、団塊世代の退職のせいもあるが、他にコスト削減のなかで、多くの末端労働者が非正規化されたことにもよる。特に、今は付加価値がなくても将来の育成ポストとして仕事を明確化し、コストをある程度度外視しても、長期的に勤めてくれる正規従業員に担当させておくべきだったポストについてである。その多くが非正規労働者によって代替されてしまった。その結果、現場でのOJTの流れが止まってしまった。職務を仕事の内容や組織全体のなかで機能面から定義せず、人件費を中心に考えたつけであろう。

 むろんコスト削減のかけ声のなかでどうしようもなかったのかもしれないし、またそのなかでコスト管理が合理化された面もある。だが、少し景気がよくなって、正社員を雇う余裕が出てくると、再び正規による非正規の代替を行っているケースも多い。そうした現象も、人材を職務とのマッチングではなく、雇用形態でしか考えていない証だろう。いずれにしても、職務の内容をきちんと明確化すれば、仕事の性質をよりよく勘案して非正規化することのプラスマイナスが判断できる。

 と、ここまで書いてくると、私が極めて強い職務等級主義者であるように聞こえるかもしれない。人材マネジメントの世界では、職務を中核に据えた仕組みは、「職務等級制度」と呼ばれ、日本の企業の多くが採用してきた「職能資格制度」と対比される。図表は神戸大学の平野光俊教授の著書からの借り物だが、端的に言えば、職務等級は職務(その人が就いている仕事の価値)にカネを払う方式であり、職能資格は人(その人がもっている能力)にカネを払う仕組みである。

 そして、どちらも一長一短がある。特に職能資格制度は働く人の、能力向上や成長へのモチベーションを喚起し、企業内での人材異動をやりやすくするなど、多くの利点もある。平野教授も含めて、多くの論者が日本企業の柔軟性と長期的な環境適合能力をこうした仕組みに求めるケースが多い。

 したがって、どちらの仕組みを採用するかについて、簡単に結論は出せない。それでも、私は思う。働く人の幸せとか、時間管理、女性活用、さらには現場の上司がより多くの人材マネジメント機能を担う時代には、これまでよりも職務等級制度を考慮する意味があるのだと……。大きな選択である。

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