ビジネススクール流知的武装講座 [173]
成長持続の鍵
「マーケティング・リテラシー」
マーケティングの経験を長期的に蓄積することは難しい。
筆者は、「マーケティング・リテラシー」を改善する手法を提案する。
花王で、マーケティング・リサーチを担当する調査課という部署が生まれたのは1963年だという。それ以降、現在に至るまでそれは一個の独立した組織として続いている。同社には、連綿と伝わるマーケティング・マネジメントの一つの考えがあった証左だ。真実のほどは保証しないが、花王のライバル、P&G社にもリサーチ専門の部署があって、専門のキャリアを積んだリサーチ担当者が世界に500人いるといわれる。
500人という数字は想像外の数字だが、花王やP&G社のように社内にリサーチの独立した専門部署をもち、それが組織の中で存在感を発揮している企業は、巷間聞く限りでそれほど多くない。もちろん、社内にリサーチ担当者や専門家を抱えてはいる会社は多いだろうが、独立した専門部署となると、どうだろうか。
「専門部署としてのリサーチ部門をもつこと」は、「たんにリサーチ担当者をもつこと」とは、思う以上に大きい差がありそうだ。企業のマーケティング・リテラシーについての深い問題が関わっているように思う。今回は、その問題を探ってみよう。
「リテラシー」とは本来、「識字力=文字を読み書きする能力」、あるいは少し広げて「情報を創造的に活用する能力」のこと。最近では、「情報手段(メディア)の特性についての理解と目的に応じた適切な選択、情報の収集・判断・評価・発信の能力、情報および情報手段・情報技術の役割や影響についての理解」などを含む、「情報の取り扱い」に関する広範囲な知識と能力のことをいう場合が多い。
ここでいう「マーケティング・リテラシー」もその定義にならっている。ここでは、わかりやすく、「マーケティングの知識を、学び、増やし、使いこなす組織の能力」と考えている。
[1]やるべきリサーチをやらずにすます
リサーチ専門部門がないと、やるべきリサーチをやらずにパスしてしまう。コンセプト、パッケージ、試作品、広告コピー等々、新商品が導入されるまでに多くのリサーチが行われるが、「時間がない、費用がない」という理由でいくつかのリサーチをなしですますことが起こる。
「必要なリサーチを都合で、なしですます」というのも、ヘンな話。「リサーチの時間も費用もなく」進めた新商品発売計画が失敗したら、いったい誰が責任をとるのか。リサーチさえきちんとやっておけば、計画が不成功に終わっても反省して次に生かせる。リサーチの予測が間違っていたせいか、リサーチの結果を無視してマーケターがその商品の市場導入を行ったせいか。そこを見極めて次に結びつければよい。リサーチが拙かったのなら、改良されたリサーチを考える。マーケターがリサーチ結果を無視して不成功に終わったなら、マーケターとリサーチの関係をあらためて考え直す。
発売を急ぐあまり、「時間が惜しい」という理由でリサーチをやらないのは主客転倒。商品の市場導入の時期は、逆に、リサーチの時間と費用をとって、そこから逆算してスケジュールや予算を決めるのが常識。
独立したリサーチ部門があれば、こうした問題は起こりえない。というのも、そもそも独立したリサーチ部門が社内に置かれているということは、マーケティング・プロセスにリサーチ機能が埋め込まれていること、そして企画担当者はあらゆる判断をリサーチに基づいて行わざるえないことを意味しているからだ。
[2]不明確なリサーチ課題の下にリサーチが実施される。
独立したリサーチ部門があると、リサーチを依頼する立場にあるマーケターとの間で、それなりに取り決め(契約)が交わされる。リサーチ部門は、独立した部門としてリサーチに関わる資源を管理し、その資源が生み出す収益を管理する必要があるので、当然だろう。
リサーチ部門長は、マーケター(あるいは、彼が所属する事業長)からリサーチの要請を受ける。その要請に応えてリサーチ計画書をまとめる。そして、そのリサーチ計画書をマーケターに再提案する。こんなやりとりがある。
その際、マーケターからのリサーチ要請が、そのままリサーチできるほど明確な「リサーチ仮説」には落ちていない場合もあるだろう。「とりあえず、やってみる」というリサーチもないでもないが、普通は、「探すものがはっきりしないのに、探しものを見つけることはできない」のがリサーチの原理。もし、マーケターのほうで「何を探したいのか」が明確でなければ、「『何を探したい』と考えているのか」をはっきりさせるよう、マーケターに課題を差し戻し、再度、案を練ってもらうという逆提案も起こりうる。ある種、馴れ合いでない良い緊張が両者の間に生まれる。
これが、マーケターとリサーチ担当者が同一部署に所属していると、二人の関係はおざなりなものになりかねない。立場の弱いリサーチ担当者だと、マーケターから「プレゼンのために必要なんだ。これこれこんなデータを集めてくれ!」と言われるかもしれない。悪くすると、「適当なデータを使って、これこれこんな結果を出しておいてくれ!?」なんていう、おかしい注文もやってくる。
いずれの場合も、リサーチ担当者の立場が弱い分だけ、マーケターはノーチェックで、自身の企画を思いのままに進めることができる。リサーチ仮説が明確でない、つまり自分勝手の思いつきのアイデアであっても、リサーチの関所は難なく通過する。「そのアイデアを消費者は評価していない」というリサーチ結果が出て、再考するきっかけを得、さらにアイデアを洗練させるのが普通のマーケターのとるべきステップだが、そんな否定的な証拠は最初から出ないような形でリサーチの注文が出る。本来であればはっきり目に見えたはずの問題・コストが、どこかに潜在してしまう。
[3]「リサーチ標準」を定着させることができない。
事業部内にリサーチ担当者がいると、いつもマーケターの要望に応じてその場そのときにリサーチが行われる。よく言うと、カスタムメードの、いわば最適(リサーチ)設計リサーチ。だが、悪くすると、便利屋的リサーチになる。便利屋としての限界は、「リサーチ標準」が見えなくなる、という点にある。たとえば、外資系のある会社は「7:3」の原則をもつといわれる。発売したい新商品を消費者リサーチにかけて、消費者評価を探る。そこで、回答者の7割が「前の商品より優れている」と答えないと、その新商品は市場導入しないという原則だ。マーケターは、この7割という基準を超えるべく、マーケティング作戦を練る。
ここでの話題でいうと、大事なことは、「いつもと同じリサーチが、いつものように、行われること」である。標準化されたリサーチ・統計方法、標準化された消費者サンプル、標準化された質問項目で行わないと、「7:3」の原則といっても、ケースごとにやり方が違っていたのでは、一貫した評価は行いえない。原則がたんなるお題目になる。
しかし、リサーチ担当が組織の中で便利屋として使われてしまうと、こうした、(1)リサーチ分析手法の標準も、(2)検証のための判定基準も、(3)どういうリサーチをどういうタイミングでやるのかというリサーチプログラムもすべて、「いつもと同じにやる」ことは難しくなる。
便利屋のリサーチでも、たまたまうまくいく場合もあるかもしれない。だが、リサーチ標準を確立できないと、いつまで経っても、同じ失敗を繰り返す。長期にわたってマーケティングの経験を着実に組織に残すことはできない。そして、組織のマーケティング・リテラシー(つまり、組織として、マーケティングの知識を学び、増やし、使うこなす創造的な能力)も向上することはない。
「思えばなる方式」は通用しない
以上、リサーチ部門をもたない企業、言い換えると、独立したリサーチ・マネジメントの仕組みをもたない企業の抱える問題点を探ってきた。独立したリサーチ部門をもつことのメリットは次の三つ。
(1)仕組みとしてのリサーチ・プロセスの確立(リサーチに基いたマーケティング決定)
(2)マーケターとリサーチ担当との良い緊張関係
(3)リサーチ標準(手法、プロセス、基準)の維持
これらのメリットを得るためには、リサーチ資源の定義とそのマネジメントが不可欠だ。リサーチにかかるマン・パワー、抱えたリサーチ専門家の能力、あるいは蓄積したデータや手法は、リサーチ資源を構成する。それら資源の最適利用とさらなる蓄積・レベルアップ(データ整備、リサーチ手法の開発、専門家の育成等)を図ることが、リサーチ・マネジメントの役割だ。
リサーチ資源を、事業部やマーケターの差配の下に融通無碍に使うやり方は、短期的にはともかく、長い目で見てうまいやり方ではない。言い換えると、リサーチ・マネジメントが組織に根づかない限り、組織のマーケティング・リテラシーは向上せず、結果、長期にわたって適応する力は失われる。その関連の構図は、上の図に示すとおりである。
日本企業では、ことのほか「思えばなる方式」が評価される。「マーケターもデザイナーもクリエーターもリサーチャーも侃々諤々議論しながら一緒にやれば何とかなる」というやり方は典型だ。知恵を結集するのは悪くはない。だが、平和を願う人が集まって戦争が起こり、良い商品を作りたいと思う人が集まって良くない商品が生まれる。社会はパラドキシカルなのだ! これだけ複雑になった現代のマーケティング世界。思えばなる方式だけで渡っていけるほど簡単ではない。
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【参考文献】
Hayashi, Fumio and Edward Prescott, “The 1990s in Japan: A Lost Decade,” Review of Economic Dynamics, Vol.5, No.1, February 2002, pp.206-235.











