日銀「不透明な金利政策」のワナ

 
 
昨年7月14日、日本銀行は5年半にわたって続けてきた
ゼロ金利政策を解除した。しかし、このままでは消費・投資の拡大には
繋がらないと筆者は言う。日銀が次にとるべき策とは──。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
小川英治 = 文
text by Eiji Ogawa
おがわ・えいじ●
1957年、北海道生まれ。一橋大学商学部卒業、一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得、商学博士。88年より同大学商学部勤務。ハーバード大学(86〜88年)、カリフォルニア大学バークレー校(92〜93年)でvisiting scholar。
著書・訳書に『国際通貨システムの安定性』『金融経済入門』『金融リスク管理戦略』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

ゼロ金利解除でも残る不安

 昨年の3月9日に、日本銀行は、2001年3月以来5年間にわたって実施し続けてきた短期金利(日本銀行の無担保コール翌日物金利の誘導目標)を0%に設定するというゼロ金利の下における量的金融緩和政策(民間銀行の日本銀行当座預金残高の上下限を設定して、特に下限に達するまで日本銀行券を無限に供給する政策)を解除した。そして、同時に、日本銀行は、金融政策手段(金融市場調節の操作目標)について、量的緩和に基づく枠組みの中において採用してきた日本銀行当座預金残高を金融政策手段とすることをやめて、低金利に基づく枠組みの中において無担保コール翌日物金利を金融政策手段とすることに変更した。しかし、この時点では、日本銀行は、量的金融緩和政策を解除するにとどめて、ゼロ金利政策を維持したままであった。それから4カ月ほど経過した7月14日に、日本銀行はその無担保コール翌日物金利の誘導目標を0%から0.25%に引き上げた。この段階で、5年半にわたって続けられてきたゼロ金利政策が終焉した。

 市場参加者の中には、早ければ年内に短期金利が引き上げられるのではないかと期待していた者もいた。しかし、年末12月19日の金融政策決定会合では誘導目標を現状維持のまま、引き上げないことが決定された。市場参加者の期待が裏切られた形となり、短期金利は0.25%という超低金利のまま、年を越し07年を迎えた。07年における金融の最大の問題は、日本銀行がどのようなタイミングで短期金利を引き上げるかである。日本銀行が、利上げを行うことについて、インフレ率の指標のみならず、消費水準など他のマクロ経済指標にも注目しながら、しかも何を基準としているのかを曖昧にしたまま、利上げのタイミングを図っていることが、利上げのタイミングの不透明性を高めている。

 利上げのタイミングの不透明性が高まっていることが為替相場の動向にも影響を及ぼしている。アメリカの対GDP比で7%に達しようとしている経常収支赤字というグローバル・インバランスの状況の中で円高ドル安基調にあるものの、市場参加者によって利上げが期待されても、先延ばしになるために、利上げに対する失望感および利上げのタイミングの不透明さが増し、最近、為替相場が円安に振れている。

 ゼロ金利政策が終焉したといっても、0%から0・25%へとわずかながらの利上げであって、平常時の金利水準にはいまだ達していない。そもそもゼロ金利政策は、日本経済が「流動性のわな」に陥る結果となる金融政策の失敗であった。超低金利のときに、経済は「流動性のわな」に陥る。とりわけゼロ金利のようにこれ以上金利が低下しえない水準(「ゼロ金利境界」と呼ばれる)にまで低下したときには、すべての民間経済主体は、金利がこれから上昇するしかないであろうと予想する。金利の変動と債券価格の変動はマイナスの相関関係にあることから、金利が上昇すると予想していることは、債券価格が下落すると予想していることに相当する。このような状況においては、債券を保有しようとせず、貨幣などの安全資産を好んで保有しようとする。

 このような「流動性のわな」に陥っている状況においては、日本銀行が貨幣供給を増やしても、その貨幣を手に入れた民間経済主体はその貨幣をそのまますべて受容あるいは保蔵しようとする。貨幣がそのまま保蔵されると、特に、債券購入に向かわないと、債券価格が上昇せず、金利が低下しないため、景気刺激策とはなりえなかった。さらに、長期不況の中、貨幣が家計によって消費にも向かわず、また、銀行を通じて企業によって設備投資にも向かわなかった。このように、金利を引き下げる余地を残した金利水準にとどめておく必要があったのである。

 しかし、実際には日本銀行は短期金利を0%にまで引き下げるというゼロ金利政策を採用し、「ゼロ金利境界」と呼ばれる状態に達してしまったのである。金融取引において契約される名目金利はゼロあるいはプラスであっても、マイナスとはなりえない。これが、「ゼロ金利境界」の意味である。名目金利が低下して、この「ゼロ金利境界」に達している状況において、物価水準が低下して、インフレ率がマイナスとなるデフレーションが発生すると、インフレーションによる金融資産・負債の実質価値の目減り(デフレーションの場合には、デフレーションによる金融資産・負債の実質価値の増加)を考慮に入れた実質金利は、物価水準の低下率に等しいだけ上昇することになる。すなわち、名目金利が「ゼロ金利境界」に達している状況においては、デフレーションが実質金利を上昇させることになる。実質金利の上昇によって、家計の貯蓄は増加する一方、消費は減少する。また、実質金利の上昇によって企業の投資意欲も減退する。このように、「ゼロ金利境界」に達している状況においてデフレーションが発生すると、ますます景気を悪化させることになり、景気悪化の悪循環に陥ってしまうのである。

「流動性のわな」から脱する三つの手段

 この「ゼロ金利境界」の状況から経済が脱するためには三つの選択肢が考えられる。インフレーション・ターゲッティングを導入することによってデフレーションを止める。あるいは、金融政策としてマイナスの名目金利を課す。あるいは、金利に基づく枠組みをあきらめて、量的緩和に基づく枠組みに金融政策手段を変更する。

 第一の選択肢のインフレーション・ターゲッティングの導入は、ターゲットとするインフレ率を日本銀行が発表することによって、民間経済主体のデフレ懸念を払拭し、インフレ予想を醸成することによって、たとえ名目金利が0%であっても、実質金利をマイナスにすることができ、あるいは、予想インフレ率に合わせて名目金利を引き上げて、「ゼロ金利境界」から脱することができるという考え方である。しかし、この場合には、日本銀行のインフレ率の目標の実現について民間経済主体が信頼を置いていないと、このような発表だけでは民間経済主体の予想物価上昇率を変更することはできない。日本銀行がインフレーション・ターゲッティングの導入に躊躇している背景には、このような問題がある。

 もし第二の選択肢が選択されていたならば、日本銀行は、日本銀行当座預金残高に対してマイナスの名目金利を設定していただろう。民間銀行が日本銀行当座預金残高に余剰資金を預ければ、名目金利が取られるということである。それに連動して、民間銀行は預金の名目金利をマイナスにするから、預金者が銀行に預金を預けると、同様に、預金者も民間銀行から名目金利が取られるということである。このような状況においては、現金保有が相対的に有利な資産運用方法となってしまい、民間経済主体が大量の現金残高を保蔵することになろう。現金残高の保蔵も抑制するために、保蔵している期間に応じて現金の価値が減価するような仕組みも考えなければならない。例えば、紙幣に磁気テープを埋め込んで、最後に銀行のATMから引き出してから次にATMへ預け入れるまでの期間に応じて現金の価値が減価するというものである。しかし、この選択肢は、技術的実現性に難がある。

 すでに説明したように、日本銀行は第三の選択肢である量的金融緩和政策を選択したのであった。さらに、日本銀行は「流動性のわな」から抜け出すために、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的に0%以上となるまで継続するとの明確な「約束」を行い、すなわち、将来においてデフレーションが止まって、プラスのインフレ率が発生するまで量的金融緩和政策を実施し続けるという将来に約束した金融政策運営を行ってきた。これを日本銀行は「時間軸効果」と呼んでいる。

0.25%の金利水準は
正常とはいえない

 0%から引き上げられた0.25%という短期金利水準は、「流動性のわな」から抜け出した正常な金利水準とはなっていない。07年年初において、無担保コール翌日物金利の誘導目標に相当する欧米の金融政策運営のための短期金利を見ると、アメリカ連邦準備銀行のフェデラル・ファンド金利の誘導水準が5.25%であり、欧州中央銀行の市場介入金利が3.5%である。これらのアメリカやユーロ圏の金利水準がインフレ懸念のために物価安定を目指して引き上げられていることを考慮に入れても、正常な金利水準よりも高いかもしれない。名目金利は実質金利に予想インフレ率を上乗せしたものであるから、例えば、GDP成長率が実質金利にほぼ等しいと想定して実質金利を2%とし、日本銀行の金融政策の「目安」とされるインフレ率を予想インフレ率とみなして、それが0〜2%であれば、日本の金利も2〜4%が正常な金利水準といえよう。

 この2〜4%の真ん中を取って、例えば、3%の金利水準を正常な短期金利とみなすとしよう。将来的に(将来のある特定された日までに)この正常な金利水準3%まで短期金利を段階的に引き上げていくと日本銀行が発表することによって金利引き上げのタイミングを明らかにすれば、市場参加者にとってその不透明性が低下する。そして、日本銀行は金利引き上げに関して金融政策の透明性を確保することができよう。さらに、日本銀行は、前述した「時間軸効果」を利用することもできよう。

 日本銀行によって将来の段階的な金利引き上げが約束されれば、家計も企業も金利引き上げ前に消費・投資を行うであろうし、一方、家計は貯蓄を金利引き上げ後まで先延ばしするであろう。これによって、金利引き上げの景気抑制効果を最小限にとどめることができるだろうし、景気刺激効果をももたらすかもしれない。

 そして、重要なことは、このように金融政策の透明性を確保することによって、日本銀行は、「市場との対話」を通じて正常な金利水準に短期金利を引き上げていくとともに、市場参加者の利上げの期待を裏切らずに、為替相場の無駄な変動を回避することができよう。

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