隠れたニーズを掴む
もう一つの「イノベーション」

 
 
「コマーシャル・イノベーション」という言葉をご存じだろうか。
顧客と新しい関係をつくることによって、市場を開拓する方法をこう呼ぶ。
新商品、改良商品、既存商品の三つの例をもとに、
このイノベーションについて検証してみよう。
 
 
神戸大学大学院経営学研究科教授
石井淳蔵 = 文
text by Junzo Ishii
いしい・じゅんぞう●
1947年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。同志社大学教授を経て、現在神戸大学大学院経営学研究科教授。専攻はマーケティング、流通システム論。
著書に『ブランド』『マーケティングの神話』『営業が変わる』などがある。
 
 

世代ごとにトップが
代わったHDD業界

 イノベーションというとつい技術的な革新をイメージしてしまうが、何か新しいモノがすなわちイノベーションであるわけではない。コマーシャル・イノベーション(=顧客との新しい関係づくり)もまた、ビジネスの世界では大事なイノベーションだ。新製品・新技術も、顧客との関係を新たに創造しないと事業として成功する可能性は小さい。

 コマーシャル・イノベーションの難しさは、人が抱いている既存の概念ややり方を変えないといけないという点だ。受け入れる側の価値観が変わり使用や消費のスタイルが変わらないと、コマーシャル・イノベーションは成り立たない。

 ここでは、その議論を受けて、「コマーシャル・イノベーション=顧客との関係の変容」の重要性を明らかにしたい。新商品、改良商品、そして既存商品の場合の三つに分けて議論しよう。

 ご存じの方も多いかもしれないが、ハーバード大学ビジネススクールのクリステンセンは、HDD(ハードディスクドライブ)業界を取り上げて、世代が変わるごとにトップ企業がその座を失っていくプロセスを明らかにした。HDDは、16インチからスタートし、8インチ、5インチ、3インチ、2.5インチ、1.8インチと技術の改良が進み記録密度を上げてきた。われわれ素人目には、一つの技術の延長線上に新世代が形成されていっているように思える。それだけに、16インチ装置でトップに立った企業が8インチ装置でその座を失い、同じく次々に各世代のトップ企業が次世代装置において地位を失ってしまうというのは、もう一つ納得できる話ではない。写真技術がフィルムからデジタルへ変わるといったラディカルな変化の中で、フィルムメーカーがその地位を失う話とは違うように思えるからだ。

 メーカーが油断したのかというとそうでもない。各世代のトップメーカーは他のメーカーに先駆けて、いち早く次世代機の開発を完成させていたからだ。

 では、どうして市場地位を維持できなかったのか。技術的には先行していたのだが、顧客を見誤ったところに原因があるとクリステンセンは言う。各世代のトップ企業は、いち早く完成した試作品を自分たちの一番の得意先のところにもっていったのだ。16インチメーカーなら、8インチの新世代機を、それまでのお得意さんである大型コンピュータ・メーカーのところにもっていく。すると、相手は、「現在使っている16インチのそれに比べて、高密度でも、品質の信頼性も低く割高だ」と言って採用を見合わせる。そして、新世代装置は店ざらしになってしまう。そのうち8インチの本格的ユーザーとなるミニコンピュータ企業が得意先として出てくるのだが、そのメーカーは気がつかない。そこで他の8インチ装置メーカーがその市場を奪い取っていくというわけだ。

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 今になってわかることだが、右の表に示すように、技術が代わるごとに顧客が代わっていく。1.8インチともなると、コンピュータではなく、心臓ペースメーカーのモニター装置に応用されることになる。

 成功したトップメーカーには市場のこの変化が見えない、見えても小さい市場なので無視してしまう。こうして、世代ごとに活躍する企業が代わっていったのである。

 この事例は、新しい技術にはそれにふさわしい顧客を求めないといけないこと、従来の固定した顧客関係の中では事業の成功はおぼつかないことを教えてくれる。

「個人の特別な経験」に絞った調査方法

 クリステンセンは、顧客関係の重要性を見るもう一つのケースを紹介する。ミルクシェークの企画開発のエピソードである。

 企画開発のために二つの調査が行われた。一つは伝統的なやり方。シェークに関心がある消費者を集めてグループインタビューを行い、好きなシェークを示してもらう。どんな味で、どの程度の濃さで、どんな中身が入って、甘みはどうで、容量は、……といった具合である。そのデータを分析すれば、どういう消費者がどういうシェークを好むのかがわかる。後は、うまくポジショニングをして、消費者に対応する商品ラインを確保すればよい。STP(Segmentation/Targeting/Positioning)というマーケティングの定番のやり方だ。

 もう一つは、少し変わった調査のやり方だった。レストランに来るお客さんを観察する。観察していると、早朝にミルクシェークを買いにくる男性の消費者がいる。「早朝に男性がミルクシェーク?」、不思議に思ってさらに調べると、彼らは通勤用のクルマにそれをもって乗っている。シェークは、クルマで通勤する際の朝食用になっていたわけだ。

 そのニーズに合わせて商品開発を行う。いろいろな工夫が考えられる。数十分の通勤時間を退屈させないようシェークに小さい果物を入れる。小腹を保たせるような濃い目のシェークにする。急いでいる彼らに購買時間を短縮するためのプリペイドカードを準備する。手やクルマを汚さないよう容器を工夫する。いろいろあるだろう。こうした商品・サービスが開発されたとき、通勤時の朝食用にミルクシェークを買う彼らはきっと言うだろう。「そうそう、こんな商品・サービスが欲しかったんだ」と。

 この二つのやり方を比べると、いろいろな教訓を得ることができる。個人をターゲットに置くより、個人の特別な経験にまで絞ることが有効そうだ。消費者に「何が欲しいか」を直接質問するのではなく、消費者がどのように自らの問題を解決しているのかを調べる(当の消費者さえ気が付かないような問題とその解答を見つけるためには、「観察」という調査法が重要だが)ことが重要そうだ。それらに加えて、ミルクシェークと消費者との関係は変わることに注目したい。

 ミルクシェークは、子供との楽しいひとときを過ごすための子供用飲み物でもなく、あるいはときどき甘いものが欲しくなったときに食べる間食用でもなく、クルマ通勤中の朝食用として消費者の24時間365日の日常生活の中に入っていく。そこで提供されるのは、これまでにない「商品・容器・サービス」のセットなのである。そして競争相手も変わる。ミルクシェークを販売する同種のレストランというより、コンビニで買うドーナツやサンドイッチ、自宅で飲むコーヒー、マクドナルドの朝食セットといったあたりが競合する。まさに、「朝、気ぜわしくとられる朝食」という市場に参入したことになる。図に示すと下のようになる。

 新技術にとって顧客との固定した関係が成長の桎梏となるというのがHDDの話。顧客との関係を変える(クルマ通勤中の朝食に絞る)ことで提供物を変え、これまでなかった新たな市場を創造するというのがミルクシェークの話。いずれの場合も、カギは顧客関係の創造が重要である。

上位階層に働きかける
コミュニケーションとは

 最後に、商品の中身を変えずに顧客との関係を変化させるケースを考えてみよう。コミュニケーションを変える、特に購買心理のより上位の階層に働きかけるやり方が有力だ。

 P&Gのファブリーズを取り上げよう。ファブリーズは、「布の臭いを取る」という機能を売り物にアメリカからもち込まれた商品である。しかし、その当初、わが国では売り上げはもう一つ伸びなかった。家の中でも靴を履いたままの生活、夜ベッドで寝るときにはじめて靴を脱ぐという生活、大きい犬を室内で飼う生活をしているアメリカでは、ソファやカーペットなど布に臭いが付きやすく、消費者もそれに敏感になっている。つまり、ファブリーズを使って布についた臭いを取ることに十分なニーズがあるわけだ。しかし、家に入るときには靴を脱ぎ、家の中で大きい犬を飼う習慣のない日本では、「布についた臭いを取る」ことにそれほど敏感でもなければ、そのニーズも低かったのだ。それが、当初売り上げが伸びなかった理由である。

 そこでファブリーズのブランドマネジャーは考えた。「日本人には、布の臭いに対して確としたニーズはないかもしれない。だが、部屋の臭いについては敏感だ。その部屋の臭いの原因は布の臭いだということを啓蒙すれば、……」と。

 そこでいろいろな調査を行い、部屋の臭いに対するニーズがあるのかどうか、そして部屋の臭いと布の臭いとの間には関わりがあるのかどうかについて確認していった。こうした作業を経て、一つのメッセージが生まれた。「部屋の臭いは、布の臭いが原因。洗濯できない布、つまりソファやカーペットやカーテンにファブリーズを」というわけである。その工夫を下の図に示しておこう。

 これは、見事にわが国の消費者の気持ちを捉えた。「日本ではこの種の製品は売れないだろう」というおおかたの予想を裏切って、ファブリーズの売り上げはぐんぐん伸び始めた。今では、この分野の売上高は100億円にも達するほどになっていて、ファブリーズはその中でもちろん圧倒的なシェアを誇っている。最近では、このヒットの波に乗って、置き型ファブリーズにブランド拡張を行い(布の臭いを取るわけではない!)、「ニオイの専門家ファブリーズとの共同開発により、柔軟剤として初めてニオイが防げるようになりました」と謳って「レノア」ブランドとの一種のブランド融合も図っている。

「布の臭いを取ることで部屋の臭いを取る」、このちょっとしたメッセージ上の工夫が、ファブリーズの大成功をもたらしたのだ。「布の臭いを取る」という直接のニーズよりも、より高次のニーズ「部屋の臭いを取る」に働きかけることで商品と消費者との関係を変えたわけである。ちょっとした、しかし焦点の合ったコミュニケーションを行うことによって、顧客との関係を変える(コマーシャル・イノベーションを起こす)ことができるのだ。

 新商品・技術であれ、改良商品であれ、既存商品であれ、顧客との関係を創造することが成功のカギを握る。ドラッカーが50年も前に言ったことだが、それはマーケティングの仕事なのである。

 皆さんの事業で、人気が出ずに困っている商品があるかもしれません。HDDタイプか、ミルクシェークタイプか、ファブリーズタイプかわかりませんが、一度顧客関係の再構築を考えてみるというのは、いかがでしょう。

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