職場の心理学 [154]

キーエンス流
「高収益リーダー」の育て方

 
 
売上高経常利益率53.3%、社員の平均年収1344万円という実績をもつ
キーエンスの強みは、生産の大部分を外部協力メーカーに委託する
ファブレス方式によって説明されることが多い。
しかし、その根幹には、社員の能力を開花させ、潜在ニーズを製品企画に
生かす仕組みづくりがある。
 
 
ジャーナリスト
溝上憲文 = 文
text by Norifumi Mizoue
みぞうえ・のりふみ●
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学政経学部卒業。雑誌記者などを経て独立。経営、ビジネス、人事、賃金、雇用問題を中心テーマとして活躍中。著書に『年金革命』『隣りの成果主義』『超・学歴社会』がある。
高橋常政 = イラストレーション
illustration by Tsunemasa Takahashi
 
 

「最小の資本と人で
最大の付加価値を上げる」教育とは

 社員の自由な発想を育み、能動的に行動し続ける知恵と活力に満ちあふれた社風をつくり上げるにはどうすればよいのか。その一つの根源的な解とは、行動原理となっている組織内外の規範・秩序・慣習について構成員が不合理ないし非論理的と感じている部分を徹底的に除去していくことである。

 事例を紹介しよう。一つのエレベーター内に若手社員や年輩の社員、あるいは役員も同乗していたとする。ドアが開き、最前列にいた若い社員が後ろに控える目上の人を気にするふうもなく先に降りた。一見、たいしたことではない光景にも映るが、一部の社員が問題視した。いわく「先に降りずに、目上の人が先に降りるまで待つのが一般的マナーなのではないか」と。しかし、最終的に社内で下された判断は「出口に近い社員が先に降りるのは自然な行為であり、逆にお偉いさんを先に降ろすような行為は階層意識につながる」というものだった。

 これは産業用センサ・測定器メーカーのキーエンスで起こった事例である。徹底した合理主義経営で知られる同社は、職場風土や仕事の進め方においても合理性・論理性が貫かれており、なかでも若い人の知恵や活力を生み出す阻害要因として「階層意識の打破」にこだわり続けている。

「世間一般の常識とは異なるために、よそで同じことをやれば顰蹙を買うこともありますし、それはそれとして教えていくことも必要ですが、少なくとも社内ではこれでいくよというルールにこだわっています。どんな小さなことでも権威とか階層とかにつながる芽は摘むようにしています。何がもっとも解決策としてふさわしいのか、それを巡って社内の上下に関係なく自由に議論できる環境こそが重要だと考えています」(藤原啓三・取締役人事部長)

 権威や階層意識の打破という点では、新入社員から経営トップにいたるまで肩書で呼ぶのではなく、〜さんと本人の名前で呼んでいる。最近でこそ社内の風通しをよくするために名前で呼ぶ企業も増えているが、同社では部長、課長といった管理職という呼称自体を社内の制度や文書から消し去るほど徹底している。もちろん組織がある以上、マネジメント職は不可欠だが、社内では「部の責任者」「グループ責任者」「エリア責任者」とし、あくまで社員に対してはひとつの役割でしかない点を強調している。

 部課長という呼称の排除にこだわるのは「〜長という言い方を日々していると、自然に上の人だというふうに思い、やはり上の人が言うことが正しいようになってしまう。そうではなく議論を戦わす際は責任者もメンバーも一緒なんだという意識を植えつけたい」(三日月公之・経営情報部シニアマネージャー)からである。

 社員の階層意識の排除を徹底すれば、ごく自然に新たな“慣行”も生まれる。たとえば会議の席順にもこだわらなくなり、会議室に入った順番に奥から座るのが普通であり、仮に社長が最後に来たら、入り口の前の席に座るというのが当たり前になっている。

 キーエンスといえば驚異的な成長ぶりと高収益体質を誇る日本有数の企業として著名だ。売上高(連結)は過去10年で3倍強の約1583億円(2006年3月)、経常利益約844億円。売上高経常利益率は53.3%と大手企業のなかでは突出している。

 また、社員の平均年収1344万円(平均年齢31.8歳)はメーカーの中でも群を抜いている。同社の強さの秘密は、生産の大部分を外部の協力メーカーに委託するファブレス方式や直販によるコンサルティング営業の観点から分析されることが多い。しかし、その根幹にあるのは社員の持てる能力を開花させ、能動的に仕事に駆り立てる風土とそれを支える仕組みの存在である。

 階層意識の排除は本人の経験と能力の発露の機会を与えることを狙いとしているが、それは能力を獲得するチャンスが等しく与えられる前提があって初めて可能になる。同社は「最小の資本と人で最大の付加価値を上げる」ことを経営理念の第一に掲げ、人材教育にも注力している。

 同社の扱う製品は工場の生産ラインの効率化に不可欠な自動化・省力化用のセンサや測定器であり、自動車、電子機器をはじめとするあらゆる業態・企業に対して数百種類におよぶ製品を企画・開発・販売している。社員数約1700人のうち半数強の1000人近くを占める営業マンに求められるのは商品知識の習得を含め、いかに生産ラインに即した製品の使い方を提案できるかというコンサルティング能力である。

 新卒入社の社員は2〜3年を育成期間と位置づけ、各事業部が作成した育成スケジュールに基づきしっかりと丁寧に鍛え上げられる。

「入社後の1〜2カ月の集合研修を経て各営業所に配属します。営業所では先輩が張り付いて仕事の進め方を指導し、実際に先輩と一緒に顧客先に出向くなどOJT(職場内訓練)教育を行います。営業所に戻ると、先輩を顧客に見立ててコンサルティング営業の手法をロールプレイングをやりながら習得する。さらに四半期に1回、本社に集まり、事業部の担当者を講師に自社製品や各種生産工程の知識を学ぶ集合研修を実施し、現場のOJTと集合研修を2〜3年繰り返すことによって一人前の営業担当者に育てていきます」(藤原部長)

 一人前になっても学習が終わることはない。センサ、測定器といった高度の技術を駆使した新機種が投入されるたびにその知識を常に習得する必要がある一方、営業先である現場の技術者や研究開発者という専門家に対し、日々進化する先方の業界知識を理解したうえで課題の解決を提案できる能力を身につけておかなくてはならない。それだけに一人の営業マンが全機種に精通することは不可能であり、一人が数機種を担当し、OJTを通じて自らの専門性を深掘りしていく。

 徹底したOJT教育は現場のリーダーの育成でも実践されている。営業部門は事業部、エリア、営業所の三つのラインに分かれるが、各ラインの責任者育成のMDP(マネジメント・ディベロップメント・プログラム)と呼ぶ研修を実施している。これは各責任者候補を早期選抜し、半年間の期間限定で実際の責任者の役割を実践してもらうという研修である。

「本来の責任者は人事評価の権限を持つだけで、多少の助言はしますが、後は研修者の裁量で運営を完全に任せます。実践を通じて責任者として経験を積むことによってリーダー層を厚くするのが目的ですが、これは大いに効果が上がっています」(藤原部長)

 研修対象者は各ラインの責任者が能力の伸長度合いを考慮して決める。営業所には営業マンを引っ張る機種責任者が存在するが、研修中は一担当者としての成果だけではなく、自ら打ち出した営業方針に基づくチーム全体の成果を追求するという経験を得ることができる。各ラインの研修者は毎年平均40〜50人。研修と実際の責任者への配置は必ずしも直結しないが、研修を経て30歳前後で機種責任者(課長クラス)になるケースも少なくない。

 現場に徹した新人教育とOJTを通じたリーダー養成こそ日本の製造業がもっとも得意としたところであり、まさに同社もそれを受け継いでいる。しかし、他の製造業においては生産拠点の海外シフトや要員の非正規社員化、リーダー層の不足などにより、今やOJT教育は死に瀕しているといわれる。これに対して、キーエンスでは営業部門の人材は新卒のプロパーに固執し、手取り足取りしながら丁寧かつ徹底したOJT教育を行うという製造業の王道を愚直に追求している。

営業利益の一定割合を
業績賞与として全社員に支給する

 そして社員の能力を開花させるとともに、仕事へ駆り立てるもう一つの“仕掛け”として特筆すべきは、能力・成果に見合う報酬システムを1972年の創業以来、維持し続けてきたことである。

 旧来の日本企業も成長・発展期は社員の経験・能力を重視し、それに見合う地位や権限、相応の報酬を与えることで後顧の憂えなく仕事に邁進させる“仕掛け”を常套手段としていた。しかし、成熟期に入ると、いつのまにやら経験と能力が「年功」にすり替わり、能力なき報酬と地位の固定化という弊害を生んだ。

 ではキーエンスはどうだったのか。もちろん経験と能力を軽視しているわけではない。経験と能力に加えて成果=付加価値の追求によって他の企業と同様の弊害に陥ることを避けることを可能にしたともいえる。前述した「最小の資本と人で最大の付加価値を上げる」という経営理念に象徴されるように、営業マンがもっとも意識する数字は売上高でもシェアでもない。粗利に近い成果=付加価値の追求を入社間もない時期からたたき込まれる。

「付加価値を上げることを社員は日頃から意識し、仕事の中で知恵を働かせて、昨日よりは今日、今日よりは明日というように常に改善しながら、より付加価値の高い仕事をするという認識が全体に浸透しています。そして社員がそれぞれの能力を発揮して高い付加価値を出し、一人あたりの付加価値が向上すればその分、給与は上がって当然という考え方です。当社では人件費は経費にあらず、付加価値創造の構成要素だと考えています」(藤原部長)

「人件費は経費ではない、付加価値創造の要素である」と社員に自信を持って言い切る裏づけとなっているのが、同社独自の「業績賞与」の存在である。同社の賃金体系は能力・経験や会社への貢献度で区分した6段階のクラスごとに基づく基本給とそれを反映した賞与で構成されるが、加えて営業利益の一定割合を基本給に応じて業績賞与として支給している。

 しかも単なる手当と異なり、決して低い金額ではない。個々にはじき出された業績賞与は、毎月の給料に加算されるうえ、夏・冬の賞与にも上乗せされる。毎月の加算額は業績好調を反映して「平均支給額は最近では10数万円から15万円前後」(藤原部長)。15万円とすれば年間360万円の業績賞与が支給されていることになる。

 平均年齢31.8歳で平均年収1344万円という高額年収を支えているのは、会社の利益に応じた業績賞与の存在があるからである。高額年収については「キーエンスの社員一人一人が付加価値を上げることに対する意識が非常に高く、それを実現していることを示すものでもあります。知恵を出した結果として高い年収になることは社員自身も十分に自覚しており、モチベーションにもつながっています」(藤原部長)と言い切る。

 業績賞与である以上、業績に貢献していることが前提となるが、同社は前述の育成期間中の新卒社員に対しても支給している。育成期間中であれば通常の賞与のみで十分だとも思うが「あなたたちは入社間もない時期は業績にまだ十分貢献できていません。ただし、将来の可能性に期待しますというメッセージを込めて『可能性手当』の名称で支給しています」(藤原部長)と言う。

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 付加価値=成果を追求する一方、いかに全社一体としてアイデンティティを大事にしていくかという姿勢が際だつ。キーエンスはまるで日本企業が陥った弊害を反面教師にしながら日本的経営の良質の部分を守り、さらに研磨を加える形で時代環境に合わせて維持してきたかのようだ。

 創業者である同社の滝崎武光会長はキーエンスの経営を「当たり前の経営」と言ってはばからない。成熟期を迎えた日本企業がかつて標榜した能力主義から年功、ポスト乱造主義に陥るのを横目で睨みながら、社員に執拗に階層意識の排除を叫んできたのも多くの企業が「当たり前の経営」から脱落しつつある現状に引きずられることを恐れたからではないかとも思える。

 藤原人事部長が常に入社希望の学生に語りかけるフレーズがある。

「キーエンスという会社は本当に理不尽さがない会社であり、理屈が通る会社です。どういう理由で、何のためにそうするのかという説明もなしに、単に過去からこうやっているからこうしなさいといった理不尽さはありません。上から言われても、自分がこうやればいいのではないかという意見が本当に理屈にかなっていれば採用されます。そんな会社です」

 当たり前であることをいかに愚直に貫き通していくか。キーエンスの強さの一端をかいま見ることができる。

 
 
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