職場の心理学 [152]

ジーコ前監督の顔の
表情分析

 
 
指揮官の感情表現は、チームメンバーの心理に多大な影響を及ぼす。
ワールドカップで見せたジーコ前監督の表情の変化を、
世界的に評価されている感情研究の第一人者は、どのように見たのだろうか。
 
 
サンフランシスコ州立大学心理学部教授 PhD.
デイビッド・マツモト = 文
text by David Matsumoto
でいびっど・まつもと●
1959年、ハワイ生まれ。ミシガン大学BA、カリフォルニア大学バークレー校MA、PhD。専攻・社会心理学。邦訳著書には、『日本人の感情世界』『日本人の国際適応力』ほか。柔道の指導者としても著名。国際柔道連盟公式研究員・六段。URL: www.davidmatsumoto.info
松下信武・小池そよか = 翻訳原 悦生 = 撮影高橋常政 = イラストレーション
illustration by Tsunemasa Takahashi
 
 

 私は、瞬間に見せるかすかな表情の変化から人間の感情を読み取る表情分析の一研究者であり、柔道の世界選手権とオリンピックに、コーチとして参加した経験がある。この二つの視点から、これまで面識のないジーコ前監督が、サッカーのワールドカップで戦っているとき、どんな感情を抱いたかについて考察してみたい。読者に感情世界の面白さを少しでも味わっていただきたいし、日本のサッカーチームを率いた前監督ジーコに共感を覚えていただきたいと願いつつ筆を執っている。

 オリンピックやサッカーのワールドカップのような高レベルの戦いは、選手、コーチ、そして世界中のファンに、さまざまな感情を引き起こさせる。ジーコも例外ではなかった。今回のドイツ大会が日本チームの監督として最後のご奉公となることをジーコも十分わかっているものの、日本のマスコミからのプレッシャーと、自分自身がつくり出したとりわけ重いプレッシャーがのしかかってきて、このベテラン監督は窒息してしまいそうになっていたはずだ。前回の日韓大会よりもよい成績を残さなければならないという重圧や、ドイツ大会で監督として有終の美を飾りたいという思いが、誰にも耐えられないくらいの状況をジーコ自身がつくり出したことは間違いない。

 そしてジーコ監督の表情にはそれがはっきりと表れていた。試合前の記者会見や練習で、ジーコ監督はしばしば、ほんの一瞬だが、眉の内側を上げながら、引き寄せる表情を浮かべた。この眉の動きは人間が苦悩しているときの表情で(訳注)ある。時には、常に苦悩し、不快に思っているかのように、この表情がなかなか消えないことがあった。

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 オーストラリアとの第一戦の前、監督の顔にはこの苦悩の表情が、写真1のように浮かべられていた。苦悩のシグナルとは助けを求めているということである。このような表情は、愛するものを失ったり、大切にしているものを失ったときに浮かべられる。ジーコ監督は何を失ったのであろうか? チームや試合を思い通りに動かせる統制力を失くしたのだろうか? 選手たちを信頼する気持ちを失ったのか? 選手からの信頼を失くしたのか? あるいは自分自身を信じる心を失ったのか? それとも、過酷な状況下で監督にのしかかった巨大なプレッシャーに対する心の揺らぎなのであろうか?

 オーストラリアとの第一戦の間、ジーコ監督は次から次へと数え切れないくらいのさまざまな感情を経験した。トップアスリートが競い合うすべてのスポーツ大会でも事情は同じだ。監督や選手は肉体的、精神的に極限に近い状態でプレーするだけでなく、過酷な戦いをした人間なら理解できると思うが、競技者も監督も、人生で経験したことのないような強烈な感情と向き合わなければならないのである。

 サッカーの英雄ジーコ監督も生身の人間だった。試合の前半、ジーコ監督は眉をぐっとしかめて下げ、まぶたを緊張させ、唇をぎゅっとすぼめて怒っているように見える(写真2 以下同)。実際のところ、この表情は世界中どの文化にも共通することが証明されている「怒りのサイン」である。しかしそれでも、監督の怒りはまだ抑制されていた。監督は多くの人が怒りをコントロールし抑えるときにするように、懸命に口を閉じていた。怒りが耐えられないほどになると、人間はキレて、口を開け、言葉や、時には暴力を振るって他人を攻撃する。この行動は、実は相手に噛みついて攻撃する我々霊長類の遠い先祖に由来している。この写真が撮影されたとき、ジーコは自分の怒りをコントロールできていた。

 しかし戦況が悪化し始めると、ジーコ監督の顔つきも変化する。オーストラリアの鋭い攻撃で、日本チームが浮き足立った直後、ジーコ監督は我々が試合の前にたびたび目にしたあの苦悩の表情を浮かべたのである(3)。ジーコ監督は何かを失った。試合を支配する力か、あるいは、選手に対する信頼か、それともチームに対する自信なのか、自分自身への自信か、それとも結果に対する自信を失ったのだろうか。

 なぜあの日、競技場でジーコ監督と日本チームはじりじりと消耗し、劣勢になっていったのだろうか。疲れきり、何かうまくいっていないという思いが、ジーコ監督と選手たちの関係に何らかの影響を及ぼした可能性はある。ここに興味深い写真がある。中田選手にジーコ監督が指示を与えている写真である(4、5、6)。ジーコ監督は中田選手に指示を与えながら明らかに苦悩の表情を浮かべている。ジーコは心配し苦悩している。ところが中田選手は興味がなさそうである。そればかりかジーコ監督を無視するかのように目を向けようともしていない。中田選手はジーコ監督に無関心なのだろうか? 自分のプレーや、チームの試合運びで頭がいっぱいなのだろうか? 試合途中の選手によくあるように、興奮しすぎて監督の声が耳に入らないのだろうか?

指揮官の苦悩、軽蔑、
怒りの感情は
どんな影響を与えるか

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 さらに、ジーコ監督と選手の関係を表している写真がもう一組ある(7、8)。試合の後半34分、フォワードの柳沢選手にかわり、ジーコはミッドフィルダーの小野選手を投入した。ところが、小野選手は明らかに「自分には関係がないよ」という様子をしている。監督や試合に目を向けようともしないばかりか地面に目を落とし、ジャージーを引っ張るジーコ監督からは目をそむけてさえいる。なぜなのだろう。監督と選手が熱い思い、感情を心から共有し、勝利に向かって行動をともにする相互の関係が築かれていれば、このような光景を目にすることはないはずだ。小野選手や中田選手との一連のやりとりは、ジーコ監督と選手の間の心理的な距離を表している。感情的な距離があると、監督とチームとがまったく機能しなくなる、と言えば言いすぎだが、うまくいくことは難しい。

 ジーコ監督が試合に全力投球していることは私の目には明らかである。それは試合の経過にはげしく反応しているからである。日本チームがゴールをはずしたときの、ジーコ監督の写真を見てほしい。ジーコ監督はゴールが決まってくれるように嘆願し、ほとんど物乞いのように手を差し伸べている(9)。人が最も大切な物を失ったときの苦悩と落胆の表情を、このときのジーコは浮かべている。

 試合の最終局面で、日本チームは内部崩壊してしまう。オーストラリアはわずか10分の間に、一方的に3点もゴールする。ジーコ監督は感情というローラーコースターに乗っているような状態である。最初は抑制された怒り(10)。オーストラリアが同点に追いつくとジーコ監督は上唇を上げ、口の端をぎゅっとむすび軽蔑の顔を浮かべる(11)。オーストラリアがあっという間に立て続けにゴールを決め、どんどん日本を引き離していったとき、ジーコは再び軽蔑の表情を浮かべるが、今度は苦悩の表情が入り交ざっている(12)。

 人は物事が思ったようにいかないとき、しばしば怒りにかられる。しかしながら、怒りは役に立つこともある。私たちと目標の間に立ちはだかる障害物をとりのぞく原動力となりうるからである。もちろん致命的な感情ともなりうる。夫婦喧嘩をしたとき、怒りが必ずしも結婚生活の破局をもたらすとは限らないという調査結果がある。しかし、夫婦がお互い軽蔑の感情を示したとき、将来離婚するリスクが大きくなる。軽蔑は相手に対する倫理的な優越感を伴うものであり、実際に戦争や侵略を正当化するときに表れる。

 残念ながら、日本チームはオーストラリアに敗れ、そしてブラジルにも敗れた。ブラジル戦で、ジーコ監督は、今まで示さなかった新たな感情を示すようになる。私が「反抗的な軽蔑」とよぶ感情である。この写真13に見られるのは、どちらかといえば冷静で、唇の右側がほんのわずか上がっているだけの、よそよそしい表情である。

 加えて、ジーコは腕組みをしている。腕組みは「考えている」ことを表すジェスチャーであるが、同時に反抗と防御のジェスチャーでもある。だが、監督は誰に対して反抗し、何に対して防御しているのだろうか? 日本のメディアの攻撃に対して立ち向かおうとしているのか? 批評家に対してか、あるいは彼のチームなのか、それとも彼が自分に課した完璧なサッカーと勝利に対する厳しい基準になのだろうか。私は、ここに見られるジーコ監督の感情は、試合後に行われた記者会見で彼が臨んだ姿勢、自分のコーチングとチームを弁護しようとした姿勢を暗示していると考えている。

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 民族主義や愛国主義は、強い感情を生み出す源泉の一つである。日本とブラジルの戦いを愛国主義的な視点に立って考察した人もいる。それは、ブラジル人が日本に単に勝つだけでは収まらず、日本に寝返ったジーコに恥をかかせるために、完膚なきまでに打ちのめそうとしたのだという分析である。真偽のほどはわからないが、これは、信じられない説だと思う。ブラジル人は日本人と同様に愛国心が強く、自国のスポーツチームを熱心に応援している。どんなチームに対しても、相手がジーコ監督に率いられていようがいまいが、ブラジルチームが勝利することを願っている。特にジーコ監督に恥をかかせるために、ブラジルチームの勝利を願ったとは、私には決して考えられない。自国の英雄ジーコが率いるチームに勝利し、日本に帰化した三都主選手がブラジル人相手に戦っているのを、つらい思いで観戦していたブラジル人は、事実多かったと思うが、一般的なスポーツファンと同様にブラジルの人々は自国チームの勝利を願っていただけで、三都主選手やジーコ監督に悪意を抱いていなかったと思う。

 だが、なぜブラジル人が悪意や憎しみを持っていると妄想に似た説までも登場したのだろうか。傷ついたり、怒りに駆られたとき、誰かをスケープゴートにしたいのが人の本性だと私は思っている。そして、日本がブラジルによって決勝進出の望みを断ち切られたとき、ジーコの戦略やリーダーシップ、時には彼の性格までもが攻撃されるのを私たちは目の当たりにした。誰かを非難することが必要なときもあり、誰かを非難したくなる気持ちも理解できるが、私にはジーコ監督が日本の敗北の責任を一身に背負い、メディアの集中砲火を浴びているように思えた。

 しかしである。もし日本が勝っていたら、メディアはどのように報道しただろうか。彼らはジーコ監督を賞賛し、特に彼の性格とリーダーシップを称えただろうか。私はノーと申し上げたい。日本が勝利したときにジーコ監督を褒め称える声は、日本チームが敗北したときに監督に向けられた誹謗中傷には及ばなかっただろう。

 私はジーコと同じ立場に立った経験がある。1999年、私はアメリカ柔道チームの監督だった。そのときすでに、我々がつくったトレーニング・プログラムで育った選手がアメリカにとって初めての金メダルをもたらしていた。2000年のシドニーオリンピックではその金メダル選手が、本命視されていたにもかかわらず、メダルを逃してしまった。彼が負けたとき、私やコーチングスタッフのところに大勢の人がやってきて、何が悪かったのかを質問し、責任をなすりつけ、非難の対象となる人物を探そうとした。しかし、スケープゴートを探しにやってきた人たちは、以前、アメリカの柔道選手が金メダルを取り、賞賛を浴びている場にはいなかった人たちなのである。

 従って、私は、このささやかな文章を通して、ジーコ監督の立場に同情と共感を表明したい。私は彼の戦略や、リーダーシップ、選手との関係についてコメントすることはできない。しかし私は、ワールドカップがジーコ監督の心の奥深く、感情を揺り動かすほどの影響を与えたということは痛いほどよくわかる。そしておそらく、彼の感情を観察し、日本チームが敗北したときの日本のメディアの反応を観察することによって、私たちは、私たち自身の感情について理解が深まり、人間の感情とどう向き合えばよいかを学ぶことができるのである。

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訳注.
眉の内側をひきよせ上げる表情は、悲しみと苦悩を表す。悲しみを引き起こす出来事の多くは、人間に苦悩をもたらす(Ekman "Emotions Revealed" p84)
 
 
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