職場の心理学 [151]
「組織と個人の底力」を引き出す法
知的資産が事業の要となっているオールアバウト、
古い縦割りの組織形態が残っていた日立ソフトウェアエンジニアリング。
それぞれの知的資産経営の現場を探った。
詳細なインタビューが日々の仕事の盲点をつく
「サイト閲覧者からのクレーム対応に関して適切な体制が構築されているか」「高いレベルの広告を継続的に出していく体制が整備されているか」「(パートナーである)ガイドが離反する可能性はないか」……普段、意識していなかった仕事の盲点をつかれた気がした。オールアバウトの広告事業部ジェネラルマネジャー、森田恭弘さんは、最近、ある人から、2時間にわたる詳細なインタビューを受けた。同社は、ビジネス、住宅、趣味などのテーマごとに、「ガイド」と呼ばれる個々の専門家が、自らの経歴を公開しながら情報提供を行うオールアバウトというインターネットサイトを運営する。
森田さんは話す。「それぞれ『極めて高い』とか『やや低い』とか、8段階で答えるのですが、『なぜそう思うのか』という根拠まで尋ねられるので、自分の仕事を振り返ったり、反省したりするいい機会になりました」。
おわかりかと思うが、このインタビューは、雑誌やテレビの取材ではない。同社は2005年9月にジャスダックに上場したが、それに合わせて発表した「知的資産・経営報告書」作成のためだった。これは日本企業として初めての取り組みでもあった。
「知的資産」とは、人材力、技術力、組織力、人脈、ブランドなど、目に見えず、金銭に換算できない無形資産のこと。「知的資産経営」とは、貸借対照表に載らない知的資産の価値を「見える化」して測定し、継続的な向上を図る経営手法のことである。こうした経営の登場は、経済のサービス化の進展により、知的資産の重要性がますます高まっていることが背景にある。
インタビューは約120の質問で構成され(森田さんが受けたのはその一部)、経営陣3名、社員6名、出資者、取引先、広告代理店、ガイドなどの社外関係者18名、計27名に対して実施された。同社取締役兼CFOの加藤健太さんは話す。
「知的資産・経営報告書の作成には、貸借対照表だけでは判断できない会社の強みを投資家にアピールしたいという目的がありました。当社は01年のサービス立ち上げの時期から、知的資産を重視する経営を実行してきました。不動産などの物的資産の割合が非常に小さく、ガイドを束ねて情報を編集する属人的なノウハウなど、知的資産こそが最大の資産であるという考えからです。今後も毎年1回、この報告書を発表していく予定です」
昨年発表されたはじめての報告書の中身は全18ページ。社長からのメッセージ、経営哲学と今後の経営ビジョン、価値創造の流れ、これまでの実績、今後の展開と続く。知的資産の現在の評価がBB(平均レベル)、将来の評価がBBB(比較的高い)と示され、「知的資産を将来に向けて改善するための取り組みがなされている」と、後述する知的資産コンサルティング会社による所見が述べられている。
ネット企業の経営はわかりにくいといわれる。オールアバウトも例外ではない。サイトの有用性で人をひきつけ、次に意識を広告に向かわせ、最終的には商品を購入してもらう、その数を継続的に増やすことで広告媒体としての価値を高める、というのが同社のビジネスモデルだ。そこで強みとなる知的資産が、「情報編集力」「専門家ネットワーク力」「収益マネジメント力」「人材・組織力」「信頼と共感のブランド力」の5つだという。
見方を変えれば、これらは同社の社員ひとりひとりに求められる能力でもある。つまり、自社の知的資産と価値創造プロセスを明確にしておくことは、社員が自分の強みや、逆に足りない部分を認識し、日々の仕事に対する意識を高める効果が期待できる。同社は、サイトの顔である「ガイド」を束ねる役割のプロデューサー職から、これらの能力と評価制度をつなげていこうという試みも検討している。
知的資産を計測するには物差しがいる。1990年代初頭、世界ではじめて、知的資産を測定する物差しを考え出し、自社の経営に取り入れたのが、スウェーデン最古の保険会社、スカンディアだ。基礎になった考え方はこうだ。企業価値は財務資産と知的資産の総和で成り立ち、知的資産は、(1)戦略や市場性に関係する「ビジネスモデル」、(2)特許、知的所有権、業務プロセスなどを含む「組織資産」、(3)経営陣と社員の力を表す「人的資産」、(4)顧客やブランド、各種ネットワークの力を意味する「関係資産」の4つで構成される。同社はこの説明に「木」の比喩を使う。知的資産は地表からは見えない「木の根」であり、収益という「果実」を得るには、養分を吸い上げる「木の根」が要であり、その健康を保つのが知的資産経営であるというのだ。
同社は業績低迷により存亡の危機に見舞われていたが、知的資産経営への注力により業績の急回復に成功、変額保険に特化した世界的に見てもトップクラスの保険会社に生まれ変わった。
同じ手法を日本で広めているのが、知的資産コンサルティング会社、アクセルである。オールアバウトの報告書作成にもアクセルが関わった。この手法は「ICレーティング」と名づけられ、社内外を問わず、多数の関係者への詳細なインタビューによって知的資産の「見える化」を行う点が特徴だ。質問はビジネス全般にわたる多岐なものであり、個社ごとにカスタマイズも行う。人材・組織に関する共通項目としては、「戦略人材に対して必要な能力開発を行っているか」「社員のモチベーションは高いか」「コアとなる社員が離職する可能性はどのくらいか」などがある。
知的資産経営は同社の専売特許ではない。経済産業省も知的資産経営に大きな関心を示し、昨年8月に出した報告書で、個々の企業がオールアバウトのような知的資産の情報開示を行うことを推奨している。知的資産を「見える化」するために、「経営者による社内情報発信回数」「従業員一人当たりの能力開発費用」「従業員満足度」などの定量的情報の開示も提案している。
同時にこれは世界的な潮流でもある。北欧諸国、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカでも、知的資産の情報開示を企業に求めるという同様の動きがあり、日本などの提案により、近く経済協力開発機構(OECD)も本格的な検討を始める。
客先常駐社員の
帰属意識低下が顕在化した
日立ソフトウェアエンジニアリングは、一昨年から継続している全社改革の方向性の確認という目的で、昨年12月、2つの事業部でICレーティングを実施した。対象は、組み込みのソフト開発を行う事業部と、パッケージ開発を行う事業部である。経営陣、社員、顧客、代理店などのパートナー、株主など、広範な関係者に詳細なインタビューを行う手法はオールアバウトの場合と変わらない。まず前者から見てみよう。
同社第二開発本部本部長の尾形幹人さんによれば、ICレーティングの効果は4つあった。「1つ目は漠然と『こうかな』と考えていたことが『やっぱりそうなんだ』と確信できたこと。2つ目は自分たちの強みを再認識し自信につながったことです。インタビューの結果は、関係者の肉声がそのまま書面に再現されているものを提供してもらい、非常に得るところ大でした。3つ目は以前、打ち出した方針の正しさが証明されたことです。最後に、勤務する場所によって社員の意識に違いがあることがわかったことです」。
同事業部は携帯電話、カーナビゲーション、家電といった電気製品に組み込まれるソフトを開発している。取引先の顧客企業に常駐している社員も多い。さらに本社がある東京・品川のほか、横浜に開発拠点が、名古屋、小田原、広島に各事業所がある。ICレーティングの質問項目に「全社方針が理解されているか」「組織に入り込んで働いている実感があるか」といったマネジメントに関する項目があるのだが、客先常駐が長い社員や各事業所にいる社員ほど、その項目に低い点数をつける傾向が強いという結果が出た。
「会社への帰属意識が薄れているというサインです。これはいけないと思いました。早速、ICレーティングの調査結果の説明会や開発の工程会議を本社ではなく、それぞれの事業所で開くようにしました。思いをざっくばらんに語ろうと、昼食会を開いたりもしました」(前出の尾形さん)
一方のパッケージ製品を扱う事業企画本部ではどうだったのだろうか。同事業部の情報漏洩対策ソフトウエア「秘文」は3年前に発売を開始し、現在約3000の企業で使われている。本部長の甲原忠敬さんは話す。
「お客様や販売代理店がうちの事業をどう評価し、逆にどんな問題点や課題を感じているのかを調べる目的で実施したのですが、思った以上に高評価を得ることができ、安心しました」
同事業部最大の課題は、現在はともかく、2年先の事業イメージが描けないということだった。そこで、この調査結果をもとに、設計から開発、営業まで、主要メンバーが集まり、今年2月、三浦半島で1泊2日の合宿を行った。事業部の首脳がこれだけ一堂に会するのは極めて稀なことだ。侃々諤々の議論が繰り広げられ、「企画―設計―営業」といった横の連携が弱いことが大きな問題点として残った。そのため、製品が売れないと、営業は「企画が悪い」といい、一方の企画は「営業の売る努力が足りない」となる。結論として「各部に製品別の責任者をおこう」ということになった。そうすれば、企画の段階から、顧客の事情をよく知る営業の意見を取り入れることができ、無駄な動きが少なくなるとともに、仕事へのコミットメントも強まる。
この体制は06年4月からスタートしたが、新体制発足前の3月、客先のパソコンからのデータ流出を防止するUSBメモリという、営業発のアイデアがもとになった新製品が早くも生まれ、売れ行きを伸ばしている。
尾形さんによれば「定点観測という意味で、レーティングは今後も定期的に行いたい。知的資産の計測結果はいろいろな活用法が考えられるが、何のためにやるのか、という使う側の主体的な問題意識がなければ、手間だけかかって、結果は宝の持ち腐れになってしまう」という。
自分が担当している仕事の意味を、他部署、取引先を含めたネットワーク全体のなかで確認できること。全社のなかで、モチベーションや帰属意識の低下がどこで起きているかを把握できること。これらをまとめると、「共通の目標に向けた組織の方向づけ」ということになるだろうか。オールアバウトと日立ソフトの事例が示唆する知的資産経営が職場にもたらす効用はそこにある。
有名な話だが、傍らを通り過ぎる人に「何をしているのか」を尋ねられた3人の石工の話をご存じだろうか。最初のひとりは「これで食べている」と答え、次のひとりは「国で一番の仕事をしている」と答えた。最後のひとりは「教会を建てている」と答えた。もちろん、最後の男があるべき仕事人の姿である。
あなたの会社や組織が1番目や2番目のような社員で溢れているなら問題である。仕事に誇りをもっていても、自分の仕事が、社会や顧客、あるいはスタッフ部門の場合は社内に、どんな価値を生み出しているかわからなかったら、その仕事は部分最適のひとりよがりなものになってしまう。当然、業績も上がらないだろう。そういう場合は、知的資産経営の導入で、組織全体の方向づけと個々の仕事の意味の再確認を改めて行うべきかもしれない。












