権限委譲が「職場力」を壊す
かつては協働、人材の育成、所属、同質性の促進という
4つの基本機能がうまく働いていた。
が、そのバランスを欠いた現在の職場に、筆者は警鐘を鳴らす。
「できる人」「できない人」の二層化が進む職場
今、企業内で、職場が変化している。それも、必ずしも、好ましい方向にだけというわけでもないようだ。
のっけから、調査データで恐縮だが、表1のデータを見てほしい。これは、(独)労働政策研究・研修機構で、昨年度に私たちのグループが行った調査の結果であり、働く人に、過去3年間で起こった自分や職場に関する変化を聞いた合計24項目中、職場に関する変化と、自分に関する変化と思われる項目のうち、上位5つずつを抜き出したものである。対象は、ホワイトカラー職場で働く従業員約2800人であった。

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- 資料出所:(独)労働政策研究・研修機構、『変革期の勤労者意識──「新時代のキャリアデザインと人材マネジメントの評価に関する調査」結果報告書』労働政策研究報告書、No.49,2006. なお、変化項目に関する上記2分類は筆者による。
これを見て、やっぱりそうなんだ、自分のところだけじゃなかったと膝を打った方も多いのではないだろうか。ホワイトカラーの職場は確かに厳しくなっているのである。仕事ができる人に仕事が集中し、「できる人」と「できない人」の二層化が起こるなか、進捗管理が厳しくなり、自分から辞めていく社員が増えているのである。
そして、厳しさを増している職場には、お尻をたたかれて、頑張らざるをえない働き手がいる。ストレスをためつつ、会社と自分の業績に強い関心を抱き、自分の目標が明確になるなか、変化や仕事量の増加に対応するために、一所懸命新しい知識やスキルを勉強しようとしている個人がいる。こうした図柄がバブル経済崩壊後の日本の多くの職場の姿だといっても大げさではないであろう。
もちろん、これだけのデータで何がいえるのか、と疑問をお持ちの方もいるであろう。そうした方には、中村圭介・石田光男編著『ホワイトカラーの仕事と成果〜人事管理のフロンティア〜』(東洋経済新報社)を読むことをお勧めしたい。今のホワイトカラー職場の現実が、きわめて明快に伝わってくるすばらしい研究書である。
だが、このデータのなかで私が注目したいのは、表1のなかで太字になっている部分である。まだまだ少数だが、仕事の厳しさが増すなかで、職場の基本機能がやや疲弊しかけている危惧を示唆する数字である。
例えば、回答者の4分の1以上が、自分の職場では若手の育成機能が低下していると答えている。また、5分の1近くが、職場での協力しあう雰囲気が低下していると答えている。
この逆は、職場での競争であろう。ちなみに、上位5位という制限を設けてしまったので、表1には示していないが、職場に関する変化の第6位は、「職場内で社員の間の競争意識が高まった」(15・3%)である。
こうしたことは何を物語るのだろうか。私が過度に心配性なのかもしれないが、今、経営のなかで、職場が衰退し、職場が果たしてきた基本機能が弱体化し始めているのではないかと思うのである。そしてこのことは企業の競争力といった観点から見ると、大きな問題を含んでいる。
例えば、本誌5月15日号で、藤本隆宏氏が、「擦り合わせ」と「組み合わせ」について書いておられる。氏はそのなかで、日本企業(特に製造業)の強みのひとつとして、擦り合わせの能力を挙げているが、実はこうした擦り合わせを可能にしてきたのは、職場集団の存在であり、それがしっかりしてきたからこそ、この擦り合わせ能力が培われ、維持されてきたという可能性が高いのである。
また、藤本氏が言及されているのは、主に製造業、特にものづくりの現場を前提としたものであったが、同様の内容でより広い範囲で、ホワイトカラー職場まで含んだ洞察を提示したのが、野中郁次郎氏をはじめとする知識創造論の考え方である。野中氏の知識創造モデルを受け入れるかどうかについては議論できても、日本の職場から多くの新しい知識が生まれてきたことを否定するのは難しいだろう。
つまり、両者とも、広い意味での職場を前提とした日本企業の強みを語っており、そこでの前提は、働く人が集い、コミュニケートし、若手がチャレンジできる環境を通じて育成され、時には仲間に癒される場としての職場なのである。
では、職場の機能とは何なのだろうか。あいにく職場についての丁寧な研究があまりないので、推測の域を出ないが、私は基本的には、企業のなかでの職場は、基本的に協働の場、育成の場、(メンバーの)所属の場、そして同質化の場だと思っている。一つひとつ説明しよう。
日本の職場における4つの基本機能
まず、第1は協働の場である。この場合、協働の目的は企業によって与えられる目標の達成である。多くの場合、職場というのは、企業内でなんらかの目標やミッションを与えられており、その目標の達成がもっとも重要な機能である。それを個人プレーではなく、メンバーの協働によって行うのが職場である。
第2が、人材の育成である。若手の成長をモニターしながら、同時にチャレンジのある仕事を割り振る。さらにそのなかで上司やリーダーが、側で見張っているでもなく、といって放任するのでもなく、進捗管理を行う。職場はこうした丁寧な人材育成を可能にしてきた貴重な場であった。日本企業でOJTを活用して人材育成が進んだのは、職場がしっかりしていたからである。
第3が、働く人が所属するコミュニティとしての職場である。職場での人間関係やネットワークに入り、受け入れられることで、私たちは、所属感と安心感をもつ。最近こうした心理的所属の対象としての職場の位置づけが変わってきているとはいえ、職場での活動や繋がりを通じて、その場に対する愛着心が湧いてくることも多い。
また、NHKの「プロジェクトX」を見て、がんばっているメンバーたちの働く意欲やコミットメントの源泉が、会社よりも、自分が所属している職場の仲間であることがいかに多いかに気づいた方も多いだろう。
そして、第4が、同質化の機能である。組織行動論の言葉を使えば、「社会化」の場だと言ってもよい。社会化は、育成とは少し違う、価値観や考え方の共有を中心とした職場の機能である。そうした価値観や考え方の基礎を共有することで、人材は、その企業のメンバーになっていく。これまで多くの企業で、会社の理念や価値観が最終的に腑に落ちるのは、人事部の配るパンフレットなどではなく、職場での一言、二言を通じてである場合が多かった。
だが、これらがオモテの機能だとすれば、長い間職場は、ウラの機能も同時に達成していた。別に悪事を意味するのではない。
例えば、協働に対する競争である。協働するなかで、お互いに誰がどの程度仕事ができるのかを評価しあい、そのなかで自分がより良い仕事を行うための競争があった。職場というのは、少なくともこれまでは、メンバーがお互いに見える距離で働いていたために、そのなかでライバルを見つけることは容易だった。職場は、協働の場であると同時に、競争の場でもあったのである。
また、育成の場であると同時に、評価・選別の場でもあった。能力のある人材は、職場のなかで評価され、チャレンジ性のある仕事を与えられてテストされ、勝敗が決まって、選別されていった。こうした丁寧な評価を可能にしたのも、職場なのである。
さらに、所属の対象としてのコミュニティであると同時に、参加の対象でもあった。その意味で、働く人にとって、職場の価値観や考え方が絶対ではなかった。職場は、あくまでも、個人として参加する集団でもあったのである。コミュニティは極端な場合、集団に個が埋没することもあるが、参加であれば、個として参加するクールな自分が常にある。そしてそのことが集団による暴走を食い止めてきた場合もある(もちろん、逆もあるが)。
また、職場は同質化の場として、同質化を進めるなかで、同時に自分の意見が安心して言える場として、異質性を促進する場でもあった。異質性やダイバーシティは、それが潜在的に存在するだけではダメで、それが行動や考え方としてオモテに出てこなければならない。職場は、コミュニティとして受け入れたメンバーに対しては、異質性を安心して表出する場を提供してきたのである。
「ウラ機能」の肥大で組織のバランスが崩れる
これらの考え方をまとめたのが、表2である。これまでの職場は、協働、育成、所属、同質化という4つのオモテ機能を、それぞれのウラ機能とバランスを保ちながら、維持してきた。バランスのありようは企業や業態によって違うだろう。だが、オモテの機能を中核に置いて、隠し味でウラを維持してきたために、職場はわが国の企業組織で大きな役割を担ってきたと考えられる。
こうした職場の機能が、現在揺らいでいる。すでに見た変化は、この揺らぎの実態は、オモテ機能に対して、ウラ機能が大きなウエートを占めるようになってきたという姿である。その意味で、完全に職場機能の崩壊ではなく、これまでオモテの陰で、ひっそりと機能していた部分が肥大してきたために、職場の変質が起こったということなのだろう。
なぜこういうことになってしまったのだろうか。巷では、数多くの要因が指摘されている。成果主義の導入、人員削減と非正規従業員の増加、コスト削減の過度の重視、トップマネジメントレベルでの経営戦略やビジョンの欠如……。こうした要因は確かにある。環境要因としては重要だ。
私は、批判を受ける覚悟で、基本的に現場に権限委譲をして、そのフォローを行わなかった経営のあり方に一番の問題があると言いたい。ただ、ここまで言うと誰もが、現場への権限委譲が現場のオモテの機能を育ててきたではないか、と反論する。
だが、経営が苦しくなって、コスト削減が重視されたりすると、職場のリーダーやメンバーが、権限が委譲されているがために、プレッシャーに適応するために、ウラの機能を強化してしまう。それしか、彼らが生き残る道はないからだ。
したがって、私は、職場をダメにしてしまったのは、まさに現場を強くしてきた権限委譲(というか、放任)だと思っている。
職場というのは、日本企業のきわめて重要な財産である。職場の働きが日本企業の強みをつくってきたことは、すでに強調したとおりである。強い管理の対象とすることは現場の活力を殺してしまうが、職場のメカニズムとそこで何が起こっているかは、経営としてきちんと把握しておく必要がある。職場のもつ能力の意味と、能力が発生し、維持されるダイナミクスをきちんと理解し、その強みを大切にしていくことが、日本企業の長期的な競争力にとって重要なのである。











