職場の心理学 [146]

検証!住友商事の
革新的「OJT育成法」

 
 
かつてないほどの人材枯渇時代がやってきた。今後は、一部の社員だけでなく、
シニアも、若手も、女性も、事業会社の社員も含め、全員を戦力に育て上げていく必要がある。
競争力強化のための新たな人材育成の仕組みをご紹介しよう。
 
 
ジャーナリスト
溝上憲文 = 文
text by Norifumi Mizoue
みぞうえ・のりふみ●
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学政経学部卒業。雑誌記者などを経て独立。経営、ビジネス、人事、賃金、雇用問題を中心テーマとして活躍中。著書に『年金革命』『隣りの成果主義』『超・学歴社会』がある。
高橋常政 = イラストレーション
illustration by Tsunemasa Takahashi
 
 

早期選抜型の育成方式に
抵抗を感じる理由

 若手社員からひと握りの社員を選抜し、将来の経営幹部候補として育成する“早期選抜教育ブーム”が巻き起こっている。市場のグローバル化をはじめ企業環境の激変にともない経営者の能力・資質が厳しく問われる時代。これまで意識的に経営幹部を育てることをしてこなかった日本企業の危機感は強く、近年大手企業を中心に相次いで養成に乗り出している。育成の手法は各社各様だが、基本は“座学と実践”だ。単に教育研修だけではなく、経営の現場での“修羅場の修業”こそ不可欠となっている。

 しかし、それを実現するには、誰を選抜するかといった公平な選抜基準の設定、若くして経営職に抜擢するといった人事上の障害を乗り越えなくてはならない。しかも仮にそれをクリアしても果たして有能な経営者が育つかどうかも未知数である。

 というのも従来の日本企業の経営幹部育成の仕組みは配属先の事業部門のOJT(職場内訓練)を通じて同期入社組同士が切磋琢磨し、たとえば技術系であれば頭角を現した社員が設計課長、設計部長、事業部長といったコースを経て経営幹部として輩出される仕組みであった。しかも計画的な育成ではなく、多分に年功型昇進方式にしたがって出世の階段を上がっていく、いわば“日本的平等競争型育成”とも呼ぶべきものであった。

 今でもこの方式に対する根強い信奉者は企業内に多数存在する。とくにこの方式で上りつめた事業部門長にしてみれば相反する“早期選抜型育成方式”には心理的抵抗が強く、結果的に選抜人材の各事業部内での受け入れを阻む要因となっている例も少なくない。

 では早期選抜型育成でもなく日本的平等競争型育成でもない、第三の道は存在しないのか。その点、今年4月に住友商事が導入した新たな人事戦略はじつに興味深い取り組みといえるだろう。新制度の柱は「人材力強化」と「全員の活性化」の二つ。特定の社員を選抜して育成するのではなく社員全員に“成長するチャンス”を与えると同時に、年齢に関係なく自らの能力を最大限発揮できる活躍の場を提供しようというものだ。

 同社の新森健之人事部長は「今までの日本企業はどちらかというと若手の登用とか、スムーズな世代交代をどうするかを熱心にやってきたが、そうではない。一部の人間ではなく、シニアも女性も事業会社の社員も含めた全員が大事だ。全員が活性化し、全員で一丸となって取り組まない限り、厳しい時代のなかで会社がさらに発展するのはむずかしい」と言い切る。

 もちろん“全員野球”は経営者なら誰もが望む姿であろう。だが掛け声だけでは社員は動かない。実際にそれをどうやって実現するかという仕掛けが必要であるが、住友商事は大胆ともいえる仕掛けを編み出した。大きくハードとソフトに分かれるが、ハード面ではまず一般社員層の賃金・処遇体系を抜本的に変革。入社後10年間はプロの商社人になるための準備・教育期間と位置づけ、昇格のスピードに差を設けず同じ処遇とした。つまり入社後の月給は毎年同期の社員と同じ金額ずつ上がり、10年目の32歳までは格差をつけないというものだ。

 20代から給与や昇進格差を早めようという企業が増えるなかで、その流れに逆行する仕組みのように見えるが、無論同社なりの明確な理由が存在する。

「年齢とともに給料を上げるということではなく、大卒入社後の10年間は確実に能力が伸びる時期です。2〜3年でずば抜けた成果が出せるほど仕事は甘くないし、成果や1〜2年の昇格差に一喜一憂することなく、10年間じっくり勉強してくれ、会社もその間は責任を持って育成します、というメッセージでもあります」(新森部長)

 もちろん入社4〜5年で目に見える売り上げを達成できる業種もある。それに対して商社は配属後いろんな仕事を経験する。「マネジメント的な仕事の一部を担うこともあれば地べたを這うような仕事もやらざるをえない」(新森部長)という業態の違いもある。しかし、それ以上に会社にとって長期的に活躍してもらう人材を育てたいという狙いがこの仕組みの根底にある。

 新制度では入社後の4年間は基幹職C級という社内資格を付与され、5年目に基幹職B級に自動的に昇格するが、同社はこの間を“プロの商社人”になるための基礎訓練の時期ととらえる。たとえば基幹職C級の4年間は「プロの商社人の前に、まず一人前のビジネスマンとして英語力はもちろん、貿易実務や財務、金利動向、物流の仕組みなど商社に勤める者として最低限知ってほしい」(新森部長)という同社で「標準装備」と呼ぶ期間だ。

全員の力を底上げさせる仕組み

 次の段階の基幹職B級ではC級の基礎知識を前提に6年間でいろんな経験を積ませる。「たとえば3年と3年、あるいは2年と4年に分けて役割を違えて修業を積む。あるいは海外駐在員として100%の活躍を期待される前にトレーニーという形で海外駐在を経験してくるという道もあります。さらに国内の事業会社や海外の事業会社に出向するなど同じ本部・部門内で役割を変えてみることで鍛えていくようにしています」(新森部長)。

 単に人事部が各部門に呼びかけるだけではない。もう一つの仕掛けが新制度のキーファクターとして掲げる「個々人の成長意欲と周囲のサポート」と「計画的人材マネジメント」の実現だ。本部・部門ごとに若手を含めて中・長期的にどう配置していくかという全員の名前が記された人事計画を人事部に提出させる。

 当然、部門長には計画を実現させるために個々人の名前を頭に描きながら、では今年は彼をどういう研修に参加させるか、あるいはローテーションとしてどこに異動させてどんな経験をしてもらうかという計画的な育成とマネジメントが要求される。こうした将来を見据えた“逆算方式のマネジメント”をしてもらう運動を現在推進している。

 入社後10年でプロの商社人になるための経験を積んだ社員は、11年目に基幹職A級に昇格することになる。ここでも本人の能力に応じて計画的育成が実施されるが、給与・昇進など処遇に関してはガラリと変わり、年齢に関係ない完全な実力主義の世界に放り込まれる。従来の制度では管理職層は経験・能力に応じてD、C、B、A級の4段階にランクづけされ、能力があると評価されると上位の資格に昇格し、給与もアップする。しかも資格は職位と連動し、いったん昇格すると降格しないという多分に年功的な運用がなされていた。

 しかし、新制度の基幹職A級は年齢や能力に関係なく、本人が従事している職務や役割に着目し、同一の役割であれば給与も同じというものだ。つまりどれだけ重要な仕事をこなしているかというポスト(椅子)で給与が決定し、逆にポストが変われば給与も変わるというものだ。

 従来の資格が経験や能力といった「人」を基準に決定されていたとすれば、役割は「仕事」を基準とする。したがって従来の下がることはない資格と違い、期待された役割を十分発揮できなければ降格も常に発生する。同社ではこの役割を「期待役割」と呼び、基幹職A級は下位からグレード(G)5〜1の5段階に区分される。

 事実、新制度導入を機に2千数百人の全管理職層を期待役割に基づいて格付けしたところ「今まで資格で守られていた人がG4、G5に落ちたとか、あるいは年齢が若いからという理由で頭を抑えられていた若者がG3に上がってくるということがだいぶ発生した」(新森部長)という。

権限を現場に委譲し計画的に育て上げる

 入社後10年の研鑽を積み上げた若者たちもこの荒海に放り込まれる。10年間は同一の資格でも当然、本人の意欲により能力の伸長差が発生する。雌伏10年を経て「期待役割によってG5になるのか、G4あるいはG3になるのか。基幹職A級になった瞬間『おまえなら部長ができる』といきなりG2とかも理論上はありえます。実際はG5ぐらいから始まりますが。逆に極論を言えば実力が伸びなければG5のまま永遠に上がらないということもありえます」(新森部長)。

 とはいっても基幹職A級になったから後は各自勝手に努力せよ、というわけではない。ここで重要なのは管理職層の年功的昇進制度の仕組みを排除した点である。前述した中・長期の計画的人材マネジメントによる育成に加えて、役割グレードを決定する人事評価の中に「人材力強化」が組み込まれている。通常、個人の目標設定の仕組みは、会社の中・長期経営計画にしたがい、各事業本部ごとの目標が決定し、それが各部門、課に下ろされる“目標の連鎖”によって最終的に設定されるのが一般的だ。

 同社ではこれに加えて社員各人の能力・資質、本人の希望や成長意欲に基づいた育成方針が加味された目標である「期待役割」が決定される点が大きな特徴だ。個人の能力・資質を無視してやみくもにノルマ的目標を押しつけるやり方ではなく、人材育成が基本的柱となっている。

「本部長は部長を、部長は部下の課長を見て彼を将来どうしたいのか、そのためにどういうキャリアを積ませていきたいのか。本人の能力、やる気はどうかということを頭に描いて上司としての期待と育成方針を考えて期待役割を設定します。たとえば部下と面談し、部下が『ぜひここまでやらせてほしい』と言えば『おまえに任せる』という形で役割を設定します」(新森部長)

 期待役割の設定は全社一律のガイドラインである「期待役割測定シート」に基づいて上司が総合的に判断する。判断の指標として創造・変革、折衝・交渉、人材開発、リーダーシップなど九項目があり、それぞれについて部下に対する“期待度”を記入する。項目ごとの期待度が点数化され、本人のグレードが決定し、グレードに応じた定額の月給が決まる。つまり、上司の期待が高ければグレードが上がり、受け取る月給も上がる。

 この場合、普通の企業は高グレード者が多数発生するインフレ状態を回避するためにグレードごとの人数比率を人事部が設定するのだが、同社ではG3〜5についてはそうした枠を設けないで部門の裁量に委ねている点が特徴だ。自由にグレードを設定することができるということは、社員にどういう職責を与え、どれぐらいの月給を支払うかという人事権を部門に委譲することを意味する。

「規制をかけないで現場に自由にやってもらう。期待役割が大きければ、グレードが上がり月給もどんどん上がります。将来のための種蒔き的意味合いで即部門の業績にはつながらないかもしれないが、いずれ本人が成長すれば活躍してくれる可能性もあります。その代わり上司には役割に対する適正な評価と説明責任が求められることはいうまでもありません」(新森部長)

 社員の能力・資質の成長過程をよく知るのは現場である。同社としては現場が責任を持ってしっかりと人材育成してほしいとの期待が込められている。いうなればOJTによる計画的人材育成でもある。

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「会社が人材育成せよ、といくら声をかけても最後は部下を育てる主体は現場なんです。全員が生き生きと働けるような制度やルールを会社としてつくっても、実際に部下を育て、人材マネジメントを進めていくには現場が主体的に考えてやらなければ成功しない。個人の成長なくして会社の成長がないように、会社のさらなる飛躍・発展を目指すために人材力を強化する。そのために現場のマネジメント層が注力し、本気で取り組んでくれるかどうかにかかっています」(新森部長)

 住友商事の人材育成の取り組みの最大の特徴は、管理職層の年功的な処遇・昇進制度の完全な排除であり、もう一つは現場への賃金・昇進などの人事権限の委譲によるOJTを機軸にした計画的な人材育成である。

 現場のOJTという点では、冒頭に述べた旧来の年功型昇進方式に基づく日本的平等競争型育成方式に近いが、質的には大きく異なる新たな人材育成形態ともいえる。いわば第三の道といってもいい壮大な“実験”がどのように実を結ぶのか注目される。

 
 
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