職場の心理学 [145]
相手の怒りを静める
「洞察作用」と「浄化作用」
あなたはどのような弁明をしますか? 弁明の仕方を間違えてしまうと、
問題解決はむずかしくなってしまいます。
相手側が納得できるように謝罪するにはどうしたらよいのでしょうか。
怒りのために感情的に
なっている場合は要注意
取引相手、顧客との間でトラブルが生じてしまったときに、速やかに謝罪の気持ちを相手に伝えなければならない場面に遭遇したことが読者の皆さんにもあると思う。このとき、説明や弁明の仕方を間違えると、謝罪の気持ちは相手に伝わらず、状況はさらに悪くなってしまう。問題を解決するために上手に謝罪をするには、どうしたらよいのだろうか。
謝罪とは「非を認めて詫びる」ことである。これは単純に「あやまる」こととは意味が異なる。たとえば交通事故を起こしたとき、日本では、まず「すみません」などとあやまることが習慣のようになっている。訴訟の国アメリカでは「あやまれば非を認めることになる。決してあやまってはいけない」というが、日本では「あやまっても、非を認めたことにはならない」と考えられている。
「謝罪する」という行為の目的の一つは、謝罪することによって問題を解決することである。謝罪は問題解決に必要なステップとなる。
目的のもう一つは、あやまることで相手に怒りを収めてもらうこと、相手の気持ちをなだめることである。
問題解決が目的の場合、謝罪は頭を下げるだけで終わりではなく、相手に解決策を提示し、納得してもらうことで完了する。そのためには説得するためのコミュニケーションが必要で、
(1) 情報源として説得力のある人から話してもらう
(2) 話の内容に関する信憑性を高める工夫をする
(3) 情報の提供は押しつけ型ではなく、選択型に
という3点を押さえることが有効だ。
(1)では、心理学でいう「光背(ハロー)効果」をもたらすことになる。たとえばクレームの処理で客先を訪ねる際、上司に同行してもらう。上司だから担当者より問題がよくわかっているとは限らないが、責任者であるという肩書がある分、同じ内容を話しても説得力が増す。
(2)では、数字や専門家のサジェスチョンなどを入れることで、心理的に情報の信憑性が高まる。健康食品の広告で、医学博士のコメントを載せたり、「80%の人が、使用前、使用後で○キロ以上の減量に成功」などの数値を示すが、同じように謝罪の際の問題解決にあたっても、専門家の論文やデータを用意したうえで提案することで説得力が高まる。
(3)は、解決法の提案の仕方の工夫である。こちらにとって都合の良い話をするだけ(一面提示)では、相手の納得を得ることは難しい。マイナスの要素も併せて話す(両面提示)ことで説得力が高まってくる。
解決策を一つではなく複数用意することも有効である。その中の一つがこちらの「お勧め」であったとしても、「ほかに、こうした方法が考えられます」と選択肢を残し、意思決定を相手に委ねる姿勢をとる。それによって心理的に納得を得やすくなる。
一方で、企業のトップが会社を代表して不祥事について謝罪するケースなどは、問題解決のためというより、世論を落ち着かせることを目的として行うものである。待ち合わせに遅れて、「ごめん、ごめん」とあやまるような場合も同様で、怒っている相手の感情をなだめることが目的となる。
怒っている相手をなだめる際の基本は、「相手の言うことを傾聴する」ことである。
相手にひたすらしゃべってもらうことで、「洞察作用」「浄化作用」という二つの効果が見込める。これはカウンセリングの基本ともいえる。
怒って感情的になっている人はしばしば、自分が本当は何に対して怒っているのか、本人にもよくわからなくなっていることがある。そうしたケースではひたすら聞くのが正しい対応である。冷静に「あなたはこれこれについて怒っているのですね」などと説明したりすると、かえって怒りに火を注ぐことになる。
ただし聞きっぱなしではいけない。何に怒っているのか自分でも理解していない人の場合、なかなか話が終わらず、ひと通り怒った後でまた同じ話を蒸し返したりする。これではきりがないので、洞察に至らせるよう、目立たない形で誘導してやるのである。
まず、辛抱強く話を聞きながら、「ははあ、実はこのへんが問題だったのだな」と推察する。それができたら、わざと理解力の鈍いふりをして「すみません、今のところがよくわからなかったのですが、もう一度教えてください」などと教えを請う。そうすると相手は、怒りながらも同じことをもう一度説明する。
繰り返し同じことを話していると、話し手の頭の中で次第に問題が整理されてゆく。そのうちに「ああ、自分がカチンときた訳はこれだったのか」という自覚が生まれる。それによって冷静になり、怒りは収まってくる。
この洞察作用のプロセスの途中で口を挟むと、自覚を妨げ、余計に怒りを買うことになるので、あくまで聞き役に徹し、相手が自分で気がつくよう仕向けることがポイントである。
浄化作用というのは、感情が高ぶっているとき、相手に罵声を浴びせることですっきりするという効果である。
人によっては原因も定かでないことで怒り、感情をぶつけてくることがある。そんな場合には謝罪の意味ではなく、「すみません、気が利きませんで」といった、言葉の潤滑油としての「あやまり」で対応すればよい。
相手が求める
「妥当性のある謝罪」を
怒りをぶつけられたとき、反射的にあやまってみせても、そこには深い反省の気持ちは感じられない。かといってあまり長い時間反応しないのも相手を怒らせてしまう。タイミングが大切で、通常は「1、2、3」と数えて一呼吸ほどおくのが適当だろう。
とはいえ日本でも最近は、ひたすらあやまるという浪花節的な態度は通用しなくなっている。倒産企業の経営者が涙ながらに土下座しても、誤った情報を基に告発した国会議員が謝罪会見で頭を下げても、ホテルの法令違反についてトップが開き直り会見をしても、見た人々からは「説明責任を果たしていない」と追及されてしまう。そこでは謝罪より先に「なぜそんなことになったのか」という事実関係の説明=弁明が求められているからだ。
弁明は謝罪とは違う。「なぜそのような事態に至ったか」という説明であり、「言い訳」でもある。
問題が起きたとき、謝罪する側は「今、何が求められているのか」という、心理学用語でいう「妥当性のある謝罪」をしなくてはならない。
前述した経営トップのテレビ会見などの場合、求められているのは視聴者に誠意を感じさせることだ。これはソーシャル・スキルの一つなのだが、単なるスキルから行った謝罪で、本心からではないと思われては意味がない。
経営陣数人が並んで登場し、一斉に立ち上がって深々と頭を下げるという光景をよく目にするが、見ている側は「パフォーマンスにすぎない」と受けとめてしまう。
とりわけ謝罪する側に「頭を下げることで損をしないようにしよう」という意図が透けて見えてしまうと、謝罪しても効果はない。逆に損を厭わず、「私財を投げ打ってでもお詫びの気持ちを伝えたい」などと訴えれば、誠意をアピールする効果は高くなる。
大企業の経営者に対して、人々は「自信満々で尊大」といったお決まりのイメージを持っている。このイメージに反して、見ている人たちと同じ目線に立ち、「お互いに車座になって、心を開いて語りかけている」という印象を与えられれば効果が高められる。
「会社に言われてやったにすぎない」は禁句
また、中間管理職が組織を代表して謝罪するケースもある。この場合の問題はトップと違い、管理職の権限が限定的であることだ。相手もそれを知っているから、謝罪のやり方を間違えると「あんたじゃ話にならん」「社長を出せ」ということになる。
小さなトラブルが上を巻き込む騒動になってしまっては、現場の責任者としては失格である。こうした場合、「今問題になっていることについて、一番よく理解しているのは私です」「この問題にどう対処するか、意思決定の権限は私が持っています」と相手に伝え、すべての責任を一度は自らの身に背負う姿勢があれば、納得感を高められるだろう。中間管理職といえども会社を代表する立場なのだと、はっきり伝えることだ。
逆に「問題は会社にあり、私は会社に言われてやったにすぎない。自分の罪ではない」という態度は禁物である。
ナチス政権下で残虐な行為を行ったアイヒマンには、罪の意識がなかったという。「自分は官吏であり、上から命ぜられたことを実施しただけだ」と考えていたのだ。会社の業務遂行の過程で問題を起こした人々は、多くがアイヒマンと同様の心理状態になる。このような人間心理を確認したのが、アメリカで行われた「アイヒマン実験」である。人は強固な組織の一員であると、個人では考えられないような非常識な行為でも行ってしまう。これは「服従の心理」と呼ばれている。
組織が起こした問題の責任の所在は曖昧だ。下部の人間は「上に言われたからやった」と思い、上の人間は「従業員のためにやった」と思っていたりする。しかし外部に対して謝罪するとき、そうした意識がのぞいてしまうと、謝罪した効果はなくなってしまう。
謝罪という行為は、人と人の間のコミュニケーションの一つであり、当然、そのためのスキルが存在する。本人は心を込めてあやまっているつもりでも、あやまり方が状況に適していなければ効果は少ない。あやまるとは意思決定が関わる行為であり、「合理的なあやまり方のストラテジー」が必要だ。これについては、アメリカの経営学者シュトルツが提案する「LEAD法」が役に立つだろう。
謝罪しなければならない問題が起きた場合、まず相手の言い分を聞き(Listen)、問題がどこにあるか探り(Explore)、どう対処すべきか検討し(analyze)、実行する(Do)。
謝罪の場合、Doとはあやまることだが、反射的にあやまるのではなく、相手の話を聞いて問題点を探り、どうあやまるべきかを探り、それを実行する。ただしこの過程にあまり時間がかかってはいけない。「あやまり上手」と言われる人たちは、こうした一連のステップをごく短時間のうちに実行している。
謝罪するという行為は、状況に強制されてやむをえず行うものとして、マイナス面だけで捉えるべきものではない。謝罪が必要な状況では、お互いが常になく真剣にぶつかり合っている。それをきっかけに、それまでより良い関係が生まれることもある。
社内で一緒に仕事をしていても、普段の会話は単なる情報交換型になりがちだ。トラブルが起き、お互いに真剣になったときこそ、本当の対話ができるようになる。その効用を前向きに捉えるべきである。
謝罪しなければならない状況から逃げてしまう人がいるが、本当に危機的なトラブルに対処するためには、日頃から失敗に対する対処の仕方を考えたり、謝罪の戦略を立てておく必要がある。経験の浅い新人は失敗するのが当然であり、それを恐れてチャレンジから逃げていては、ビジネスマンとしての成長はない。
職場でも男女関係でも、大きなトラブルが起きると人間関係に変化が起きる。それを良い方向に持ってゆき、問題が起きる以前よりも深い信頼関係を築くことが、本当の意味での正しいあやまり方といえる。
謝罪のスキルを身につけることによって初めて、トラブルを千載一遇のチャンスに変え、「雨降って地固まる」を実現することが可能となるのである。
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