「人的ネットワーク」が持つ
経営上の価値に注目せよ

 
 
働く人のキャリア形成に関し、多くの企業では、研修を実施したり
専門家を配置するなどして、支援を行っている。
しかし、はたして目立った効果は出ているだろうか。
筆者は、先輩や同僚などとのネットワークこそ重要だ、と主張する。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
守島基博 = 文
text by Motohiro Morishima
もりしま・もとひろ●
東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。イリノイ大学大学院産業労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・労使関係論・人的資源管理論でPh.D.を取得。2001年より一橋大学商学部勤務。
著書に『人材マネジメント入門』『21世紀の“戦略型”人事部』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

キャリア形成に関する
二つの学説

 新入社員が入って、2週間くらいたつだろうか。多くの企業で、新入社員教育の真っ只中であろう。新人がキャリアのスタートをきる。わくわくする時期である。

 こうした新人が、早いところでは入社3〜5年目ぐらいから経験するのが、「キャリア」に関わる研修である。なかでも働く人にキャリア自律を求める研修が多い。そこでは、「あなたのキャリアを考えなさい。10年後、どういう人材になっていたいですか。何があなたの強みですか。あなたにとって、意味を感じる仕事は何ですか」などという問いがちりばめられた講義やエクササイズが展開される。

 また、企業によっては、キャリアカウンセラーなどと称して、働く人がもつキャリアに関する支援を行う専門家を配置するところも増えてきた。働く人が自分の力でキャリアを開発していくために、多くの資源が使われている。しかし、はたしてそうした研修を実施し、カウンセラーなどをおいた企業で、目立った効果が出ているのだろうか。やや古いが、2000年に富士総研(現・みずほ情報総研)が行った調査によれば、企業側の回答(サンプル約1100社)では、約54%が今後のキャリア開発や人材育成の主体は、従業員自身になっていくと答えているのに対して、その企業で働く従業員(サンプル約3100人)では、今後の職業生活について具体的に考えていると答える割合はわずか9%程度であり、漠然と考えていると答えた割合でも約49%だった。なぜ、こうしたギャップが生まれてしまうのだろうか。

 すでに一部では議論されていることだが、今のキャリア形成に関する考え方は、大きく二つの学説に基づいている。一つは、昔からある「節目説」。キャリアには、いくつかの節目があり、次の段階に移る前の節目にはきちんと考え、キャリアをデザインするべしという説である。

 有名になったエドガー・シャインの「キャリアアンカー」などはキャリアの節目における自分の棚卸しのために、自分の強み、自分が意義を感じる仕事、自分の好きな仕事などを整理するための考え方である。キャリアアンカーを知ることで、節目節目での選択の基準が形成される。

 もうひとつが、ジョン・クルンボルツの「計画された偶然説」。キャリアは偶然の積み重ねだから、偶然のチャンスをできるだけ活かせるように、自らの能力や意識を高めておこう、という考え方である。したがって、節目に限らず、いつも自律を心がけなくてはならない。この立場について慶應義塾大学大学院教授の高橋俊介氏は、「偶発的な出来事によってキャリアが形成されていくにしても、自分にとって好ましい偶然の出来事がより起こるように、日ごろから能動的な行動パターンをとっている人にはより好ましい偶然が起こる」と述べている。

「迷い」を成長へとつなげる支援

 どちらにしても、共通しているのは、自律した、強い個人を前提としていることだ。前者であれば、自分のキャリアアンカーを知り、それに基づいて次の段階をプランできる人。後者であれば、自律して、偶然をチャンスに変えていける能力をもった人。

 そんな自律した個人はいったいどれだけいるのだろうか。それも、現在のように働く環境が大きく変わり、昨日立てた目標が、明日は意味を失うといった時代に、どれだけ、きちんとした自分の生き方を考え、それを実践しようとする意思と能力のある人がいるのであろうか。多くにとって、キャリアは自分自身のことなのだが、極めて考えるのが難しい対象である。

 もちろん、自律していないよりは、自律していたほうがいいに決まっているし、またみんなが自分のキャリアアンカーに基づいて、自分の将来をデザインでき、偶然を必然に変えていければ、幸運である。

 でも、私たちはそんなに強くない。一部の強い意志をもった人は別として、多くの人材は、キャリアをデザインする必要性は感じていても、それをどうやって形成したらよいのかを迷い、曲がり角や三叉路で、どの道を行ったらよいのかを考えている状態なのである。

 迷いがあるから、従業員は、自分がキャリアを自律的にデザインしていると言いにくいし、まただからこそ、企業がどんなに従業員主体のキャリア形成を、と叫んだところであまり効果がないのだろう。私は、キャリア論で「迷う」ということをもっときちんと位置づけることが大切だと思っている。強い個人論に基づく支援は、理想ではあったとしても、多くの人に対して、必ずしも助けとなるわけではない。

 逆に、迷いがあるということは自分の成長を真剣に考えているということだし、だから苦しむ。でも、それは当然のことなのである。苦しみは嫌だが、そこから成長がある。最近、教育心理学の世界では、未決定(indecision)を、「マッチングの欠如」として否定的に捉える立場から、「学習を促進する要素」として肯定的に捉える方向にシフトが起こっている。

 したがって、迷う、ということは決して恥ずかしいことではないのである。迷っていることは、あなたの自律不足の証明ではない。逆に自分がキャリアを真剣に考えている証拠なのである。さらに、迷うことは、学習を通して、会社にとっても、あなたにとっても、長期的にプラスなのである(ちなみに、これをお読みで、キャリアを確立してしまった方は、自分のキャリア形成の過程で、迷いはなかったか、また、それがどれだけ重要だったかを思い出してほしい)。

 迷いをポジティブに捉えると、社員のキャリアデザインに対する企業の姿勢も変化するかもしれない。まず、当然だが、迷った従業員への支援を考え始める。確かに、近年は迷い対策として、キャリアカウンセラーなどの役割が強調されてきたし、メンター制やコーチングなどの米国で発達した手法が採用されてきた。

 だが、実際問題として、会社が提供するルートでの支援よりも、働く人にとってもっとありがたいのは、より非公式な人的ネットワークでの支援だろう。そのほうが、ずっと迷っている側からすれば意味が大きい。実際、これまでも多くの企業で、人事部がコーチングなどと称して、意図的に新しい仕組みを導入しなくても、先輩や上司との相談による、今ならキャリアアドバイスと呼べる情報提供が自然に行われてきた。

 さらに、こうした考え方は研究の世界にもきちんと根付いている。アメリカの小さな町を詳しく調べた、マーク・グラノベターという社会学者は、働く人にとっては、通常頻繁に付き合いはなく、たまにしか会うことのないような人との緩やかな人間関係のなかで提供される情報やアドバイスが転職などのキャリアの節目に大きな意味をもつことを見出した(いわゆる、「弱い紐帯≪ちゅうたい≫」仮説)。そして、この原因として、グラノベターは、「弱い紐帯の力」がもたらすものは、自分の普段の行動領域を超えた多様・多彩な情報や刺激であり、それこそが就職・転職やキャリアの節目といった転機に役立つ価値のあるものであると考えた。

 逆に、強い紐帯で結ばれている人たち、つまり、同じ部門内の上司、同僚や、家族などは、いつも行動を共にしているために、思考・行動様式が似通ってしまうし、情報も固定的になる。部門内の人間であれば、キャリアの展開に対して、むしろ保守的なアドバイスのほうが多くなるかもしれない。こういった関係は、安心感を与えてくれる点ではいいのだが、節目においては逆にマイナスに働くことがある。

 グラノベターは、こう考えて、働く人のキャリア形成に影響を与える社会的つながりの重要性を指摘した。つまり、働く人のキャリアは、社会的なつながりに埋め込まれた(embed)とき、効果的に形成されるというのである。

 弱い紐帯の仮説に従うとすれば、こうしたキャリアアドバイスについての緩やかな人的なネットワークが社内に成立している企業は、キャリア支援が、人事部や直属の上司だけに限定されない多元性をもつことで、働く人のキャリアがきちんと開発されていくと考えられる。平たく言えば、先輩や同僚などとのネットワークが自然に築かれている企業では、キャリア支援の量が多く、質が高いのである。多くの人にとって、キャリアの三叉路で迷っているときに、それぞれの道を歩いた先輩のアドバイスは貴重である。

 だが、こうした人間関係ができにくくなっているのも多くの会社の実態であろう。成果主義的な評価・処遇制度は個人間の競争を刺激し、個性が強調されるなかで、よりドライな人間関係が好まれるようになっている。また、IT化や遠隔就労などの進展は、働く場面において、人のつながりを分断する影響を及ぼし始めている。

人間関係の質に依存する企業の成果

 そんななか、ネットワークを自分でつくれ、と働く人に要求することも考えられるが、それがどんなに難しく、手間のかかるものか少し考えると理解できるだろう。社内の人間関係の質を維持し、向上させることは、会社にとっても、個人にとっても大きな効果が望めるのである。企業が工夫をして、なんらかの仕掛けを提供することの価値は十分あろう。

 いきなり大きなテーマに話が飛ぶが、こうした議論は、ある意味では、会社とは何か。またそのなかで働く人のキャリアが誰のものかという大きな問題と関連してくる。

 企業というのは様々な見方ができる。例えば企業を、コントロールのための階層構造として見る視点もあり、またインプットされた資源をアウトプットへ転換する仕組みとして捉えることもできる。だがもうひとつ、企業をそこで働く人のつながり(かっこよく言えば、社会的ネットワーク)からなる、ひとつのコミュニティーとして考えることもできるのである。

 企業が効果的に機能するか、その結果として、企業が様々な意味での成果を上げられるかは、そのなかで働く人(確かにその範囲の限定は難しいが)がもつ、人間関係の質に依存する部分が大きい。いうなれば、企業を大きな人間関係のネットワークとして捉え、そのネットワークがもつ経営上の価値を考えてみるのである。今回の議論は、働く人のキャリア支援に対する役割を強調したが、他の場面でも、社内の人間関係の質がもつ、経営資源としての役割に注目する必要がある。

 例えば、愛知県経営者協会が、昨年5月にまとめた調査報告書によると、「モチベーションを高める源」について、正社員、非正社員とも「仕事上の仲間との良好なコミュニケーション」という項目が大きな割合を占めた。昔から言われているように、人間関係の質は、意欲の源泉なのである。

 いずれにしても、企業を働く人の社会的つながりの束として捉え、その価値に注目する立場は多くの可能性に富む。ただ、残念なことに、今、多くの企業で、成果主義やIT化などにより、知らないうちに人間関係やそれを培う職場環境が変化しており、そのことが経営に及ぼす影響はあまり議論されていない。

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