職場の心理学 [144]
リーダーシップ研修に
「演劇」を採り入れる理由
そこに着目して、真のリーダーたりうる「器の大きさ」を養う研修が始まっている。
産業構造の変化に合わせて、今までとは異なるリーダーの育成が必要になっているのだ。
部下は、スキルのある上司に
ついていくのではない
ビジネスがグローバルな規模で展開する中、日本企業は厳しい変化の時代を迎えている。
過去の成功体験は、もはや役に立たない。こうした環境下では、時代の流れを読み、業界の通例や組織の論理にとらわれない斬新な発想をするビジネス・リーダーが必要なのだ。
独自の全人的アプローチで、企業や社会をリードする人材を育てるNPO「ISL(Institute of Strategic Leadership)」の代表理事、野田智義氏も同様の問題意識を持っている。
そこで打ち出したのが「創造型リーダー養成プログラム(ILP)」だ。
これまでISLでは、40代を対象に、次世代の経営者養成のためのプログラムを展開していた。しかし昨年スタートしたILPでは、次世代を担う30代半ばに対象を絞り、「新しいビジネスのあり方を創造し、組織の変革を牽引できるリーダー」を育成する。
30代半ばといえば、組織の中堅として活躍し、責任も増す時期。組織の“色”に染まり、ともすれば守りに入りかける人たちに内省を促し、事業の創造や組織の変革の原動力となる「意志の力」を鍛えるのが狙いだという。
従来の日本の教育機関や企業の教育システムでは、調整型の管理者は育てられても、変革型の人材を育成するのは難しい。しかも、独立して事業を興す起業家ではなく、あくまで組織に留まり、その責任を果たしながら変革を引っ張る逸材を育てようというのだ。
この難題に挑むには、MBA的な知識の詰め込みやスキルの習得では不十分。周囲の人を巻き込んで、新しい何かを生み出すリーダーには、人間的な魅力が不可欠だからだ。
「人間は、スキルがあるからといって、その人についてゆくのではない。ビジネス・リーダーにとって最も重要なのは、ヒューマニティーの理解と涵養。ビジネススクールではリーダーは育てられないということは、欧米では誰もが認識していますよ」
野田氏は話す。
企業側のニーズも高まっている。
「当社の経営計画も、攻めのプランに変わりました。守りの時代は数字(金)を重視しますが、攻めるときはアイデアを練り、それを具現化する人間の力が必要。そこで経営幹部も人材育成に力を入れるようになったんです。ISLでは、リーダーとしてのマインドの持ち方やものの見方を教えてくれる。でも、3年前なら、こういう研修に人は出せなかったでしょうね」
ISLに社員を派遣する企業のひとつ、住友商事の仲野真司・人事部次長はこう語る。
理想のリーダーを養成すべく用意されたのは、約半年間にわたる、実にユニークで中身の濃いプログラムだ。
歴史を知り人間の営みや心の機微を深く理解することで、自らの世界観を問い直す──そういう経験を通じて「気づき」の瞬間を誘発し、内からの変革を促そうというのだ。プログラムの全体は、「全体俯瞰と振り返り」「自己との対峙」「創意工夫と行動の準備」の3つのモジュールから構成されている。北城恪太郎・日本IBM会長、河合隼雄・文化庁長官など豪華な講師陣を揃えているが、プログラムは“触媒”の役割を果たすだけ。学びはあくまでも、自分と向き合うことによって生まれるというコンセプトだ。
そこで、新宿でホームレスとゴミ拾いをするといった、自分を白紙に戻すための試みも用意されている。
第一期となる昨年は、26人が卒業した。業務継続型だけに、時間のやり繰りはたいへんだったようだが、卒業生のアンケートを読むと、満足度は非常に高かったことが窺える。
住友商事でも、派遣した社員から「深い気づきが得られた」との感想が寄せられたという。
「30代半ばというと、プレーヤーとしては最も脂の乗った時期。だが、優秀なプレーヤーが、必ずしも優秀なリーダーになるわけではない。思考の転換というか脱皮が必要で、このプログラムは、そのきっかけを与えてくれる場だと思います」(仲野次長)
野田氏が考えるリーダーとは、「システムを大きく変えることができる人」だという。「究極の目標は、マハトマ・ガンジーを輩出すること。今のプログラムでそれができるのかというと、残念ながら難しい。でも、それぐらいの気概を持ってやっています」。
差し当たって、30代向けのILPがロールモデルとするのは、組織に留まりつつ挑戦を続ける、ローソンの新浪剛史社長だという。
大切なのは、何があってもブレない自分の「基軸」を持つことではないか。しっかりとした「基軸」を自分の中に通すため、「コーチング」による内省の機会も設けられているが、とりわけ興味深いのは「演劇ワークショップ」が盛り込まれていることだ。
産業構造が変化したのに
教育は変わらない
演劇の手法をビジネスの研修で応用することは、欧米では珍しくない。MITやハーバードで学び、ロンドン大学などで教鞭を執っていた野田氏は、ISLのプログラムに演劇を採り入れたいと、かねてから切望していたという。一見、異質な取り合わせだが、演劇とビジネスには親和性があり、コミュニケーション能力やEQを磨くのに演劇が有効だと考えていたからだ。
気鋭の劇作家・演出家、平田オリザ氏の協力を得て、昨年、念願の企画が実現した。ワークショップ経験の豊富なコーディネーターやプロの演出家がチームを組み、計3回、約20時間のプログラムが実施されたのだ。
このセッションに、筆者も同席させてもらった。
ワークショップに先立って行われた平田氏のオリエンテーションでは、簡単なワークをはさみつつ講義が進む。
要点はこういうことだ。
ひとつの国家目標に向かって進んでいたかつての日本では、皆が共通の価値観を持っていた。そこでは何も言わずとも心からわかり合えたが、時代が変わり、バラバラな個人が多様な価値観を持つようになった今、違う価値観の人とでも、どうにかうまくやってゆく必要性が生まれた。
つまり、コミュニケーションの質が変わったということ。しかも、創造性が不要な「工業立国」から、柔軟な発想やコミュニケーション能力が求められる「消費者中心の社会」へと産業構造も変化した。にもかかわらず、教育や社会システムは昔のまま。イメージを共有し、コンテクスト(どんな意味でその言葉を使っているかの全体像)をすり合わせるスキルを身につける機会もない。そこで役立つのが、演劇で用いられているテクニックだ──そう説いたのである。
しかし、この段階では、受講生の表情から「なぜビジネスの研修で演劇を?」との戸惑いが隠せない。研修を通じ、彼らがどのように変化していくのか、大いなる期待と興味を持って見守ることにした。
実際のワークショップは、まず体をほぐし、おなかの底から声を出す、身体性を意識して歩くというメニューからスタートした。心と体をほぐすことで、日頃身にまとっている鎧を捨て、「自分の中の制約」を解放するのである。
ただ歩くといっても、人に見られていることを意識することで、独特の緊張感が生まれる。思わぬ個性が発揮されたり、自然と笑いがこぼれたり……ワークショップの会場に、普段とは違う空気が漂い始めた。
拝金主義の風潮は
どこから生まれたのか
次に、7、8人のチームに分かれ、一行は新橋へ。最もひきつけられた場所を見つけ、そこを観察。心と体で記憶して、そのイメージをメンバーと共有、「言葉写真」として再現することに挑戦した。2日目は、百人一首から自分の気になる歌を選び、それを選択した理由を「深層言語」として表現。そして最終日には、演出家のアドバイスを受けながら「言葉写真」と和歌、「深層言語」を題材に脚本を作り上げ、皆の前で演じてみせたのである。
この発表を見たとき、正直言って驚いた。最初のぎこちなさが嘘のよう。不覚にも涙ぐんでしまった作品もあり、これには平田氏も、「シブい作りで泣かせましたね。文句のつけようがない」と絶賛したほどだ。
受講生の顔に、ひとつの作品を創り上げた達成感と充実感が浮かんでいたのが印象深い。
講評の最後に、現代演劇と芸術の役割について、平田氏はこう語った。
「誰もが潜在意識の中に闇の部分を持っている。だが、普段私たちはそこには目を向けずに生きている。そんな心のひだを広げてみせ、魂を揺さぶるのが演劇の役目。心の闇に対峙する寂しさに耐えられるのが芸術家です」
この言葉に野田氏はいたく感激したという。「(他の人が目をつぶる)システムの矛盾を見据えて、孤独に耐える──リーダーシップと芸術の本質がつながっていることに驚いた。なぜ自分がISLのプログラムに演劇を採り入れたかったのか、非常に納得がゆきました」と、興奮気味に語るのだ。
演劇を導入した当初の目的は、コミュニケーションなどのスキルを磨くことだった。だがそれよりも、無から何かを創り上げる経験を共有することが力になると感じたという。
「(限られた時間など)制約された状況の中で、火事場のバカ力のような創造力が生まれる。その驚きを体験することが重要なんです。人間というものに対する理解も得られるなど、演劇にはリーダーシップ育成に必要なものが凝縮されている。方法論については練り上げる必要がありますが、大きな可能性がありますね」
初回を振り返って、野田氏はそう総括する。
野田氏の考えによれば、リーダーシップに必要な要件は、「ヒューマニティーの理解と涵養」「人間力(器の大きさ)」「生きることの意味を考え抜く力」の3点に絞られるという。
「生きることの意味を考え抜く」とは、なぜ人は生きるのか、人はいかに生きるべきか、という根源的な問いにきちんと向き合える胆力を持っている、と言い換えられよう。
「今や、教育の現場でも哲学はあまり教えず、『どうやってうまく生きてゆくか』というHOW TOばかり教える。これでは、一発当ててやる、時流に乗って儲けてやる、といった発想しか生まれません。人間の器が大きい人は、自分の基軸がぶれない。自分というものをしっかり持ちつつ、相手を受け容れることができるんです。でも最近の日本では、器の大きさで人間を評価することも、生きることの意味を真正面から考える機会も減ってきました」
野田氏の嘆きは深いようだ。
だが、明るい兆しもある。技術者のアウトソーシング事業を手がけるメイテックの西本甲介・代表取締役社長など、野田氏の思想に共感する経営者も少なくないからだ。
「経営は学問ではない。ストラテジーを知っていても経営ができるわけではないし、真の経営力が問われるのは、企業が危機にあるとき。だからリーダーには、自ら修羅場に飛び込んだり、困難から逃げない精神力が必要。そんなリーダーシップの本質に切り込もうとしている点で、野田さんのプログラムに共鳴しています」
そう西本社長は話すのである。
「小手先の理論武装を施すのではなく、人間そのものを育てよう」というこのプログラムは、日本の将来に対する危機感から生まれた。その志の高さに拍手を送ることにやぶさかでない。
とはいえ、短期間で人間力を鍛える、内からの変革を促すというのは、極めて困難、かつ大それた命題ではないだろうか。
家庭や社会がいつの間にか放棄した役割を、ISLのような研修機関が、どれほど肩代わりできるのか──カリキュラムや方法論も含め、相当の試行錯誤が続くことは間違いない。
それでもそこに、この国の希望の種が潜んでいると信じたい。相次ぐ企業の不祥事、事件を見ていると、そんな気持ちにさせられるのである。
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