職場の心理学 [142]
合併後、「エース社員」の
流出を防ぐには
ビジョン、人事制度の融合がひじょうに難しく、それが原因で
優秀な人材が流出するケースも増えている。
このような本末転倒の事態を防ぐにはどうしたらよいのだろうか。
営業マン同士の「文化・風土」の
融合が、最も反発が強い
合併・買収などのM&Aはいまや日本企業においても不可欠なツールとなっている。熾烈なグローバル競争を背景に市場での生き残りをかけた会社再建型もあれば、最近は他社の事業を買収して一挙に事業の拡大を狙うシェア拡大型も増加している。
しかし、M&Aは一見、企業が存続・発展するための手っ取り早い方法に見えるが、現実はそう甘くはない。合併する以上、当然1+1=2以上の効果が期待されるが、M&A先進国アメリカですらも「70%の企業が合併の効果が表れずに失敗し、成功したといえるのは30%にすぎない」(外資系M&Aコンサルタント)という実態もある。では“M&A後進国”日本ではどうかとなると、やはりというべき結果が出ている。
トーマツコンサルティングの調査(2006年2月)によると、過去のM&Aの目標達成度を10段階(10は達成、1は未達成、5は半々)で聞いたところ、8以上のM&A成功企業は12.5%と1割強にすぎなかった。そして統合作業において難しいと感じている点のトップは「文化・風土」の融合であり、次いで「業務プロセス」「経営戦略」「人事制度」の順となっている。これは他の調査機関でも同様の結果が出ており、統合不成功の理由の上位に「組織風土の融合」や「人事制度の融合」が常にランクインしている。いうまでもなく企業文化や組織風土、人事制度は“人の融合”の問題であり、それがまさに合併・買収の成否を握っているといってもいい。
当然ながら合併・買収後は既存の組織や設備や子会社の統廃合に始まり、人員の最適配置、場合によっては雇用調整などの合併効果を追求することになる。社員は身分の保証を含めて元の会社での地位や賃金など労働条件がどうなるのか、社風の違う昨日までのライバル企業の社員と机を並べることに対する違和感など、さまざまな不安を抱く。とりわけ吸収された側の社員にとっては不安感も大きい。しかし、実際にそうした社員の不安感を取り除くことは容易ではない。不安を解消できないまま合併に伴う改革を断行し、結果的に組織の指揮・命令系統が寸断され、職場が機能不全に陥った事例も少なくない。
“人の融合”の失敗要因は大きく(1)合併ビジョンの社員への浸透の欠如、(2)経営トップの強力なリーダーシップの欠如、(3)社員の既得権争いの激化、(4)合併作業遅延に伴う優秀社員の流出──の4つである。いずれの要因も相互に密接に絡んでおり、どれか一つでもクリアすればうまくいくというものではない。
一般的に同業他社同士が合併すると社員の業務分野によってさまざまな軋轢や疑心が発生する。大きく営業、研究・開発、管理部門の3つを比較すると、人事・総務・経理などの管理部門は経営トップの方針に忠実であり、反発も少なく融合もそれほど困難ではない。合併に対してもっとも反発が強いのは営業、とくに現場の社員である。日々しのぎを削ってきた競争相手の社員同士は単純に“昨日の敵は今日の友”になれるはずもなく、合併後は現場で火花を散らすことになる。営業といってもセールスのやり方などビジネス手法も違えば決済などで日常使う社内用語も違う。ましてや合併といっても吸収される側の社員は主導権を握られることに対する不安や恐怖感が高まる。
実際、全国に販売店網を持つ食品会社の合併に関わった人事担当は営業マン同士の融合の苦労についてこう語る。
「両社とも業界中位のライバル企業ですが、会社として社員の融合を図るためにさまざまな手を打ちましたが、なかなか難しい。たとえば、レクリエーション活動の一環で地域ごとに酒を飲みながら語り合う席を設けたんですが、逆効果になりました。社員は会社から一緒に飲めと言われれば飲むんですが、決して融和にはつながりませんね。逆に『あいつらの飲み方はひどい、あんな連中と二度と飲みたくない』と、かえって敵対心をあおるだけでした。正直言って融合には5年から10年はかかるかもしれません」
営業マン同士が新規開拓に燃えるなど、いい意味で競い合えば会社にとってもプラスにつながるが、互いの客を奪い合うつぶし合いに発展するとマイナス効果でしかない。
リーダーシップ不在で
「クロス人事」が行われると……
また、研究・開発職の社員は合併によって離職の可能性が高まるというリスクがある。彼らは会社の社風が好きだから入社したというより、大学院の指導教授に推薦され、好きな研究ができるからという動機で入社した人も少なくなく、概して会社への帰属意識は弱い。しかも社内の人間より日ごろから学会などを通じて他社の研究職など横のつき合いが多い。合併話で社内が揺れ動いている最中に他社から「うちに来ないか」と誘われれば転職に走る社員も発生しやすい。
とくに研究・開発部門への依存度が高い企業ほどビジネスの源泉である社員の離職は大きなマイナスとなる。じつは事前の買収交渉の際に常に問題となるのはそうした優秀社員のリテンション(引き留め)工作である。事業部門の買収において買収する側は単に営業権だけではなく、優秀な営業職や開発職の個別の社員が残ることを前提に価格交渉に臨んでいる。前出の外資系人事コンサルタント会社のM&Aコンサルタントはこう指摘する。
「とくに外資系企業は買収したい事業部門にどういう人材がいるのか事前にチェックしています。買収交渉の際は技術系や営業系の具体的なキーマンの名前を出し『彼は当然残ってくれるんでしょうね』と念押しします。そして、もしそのキーマンが1年以内で辞めることになれば、買収価格の数%を返却します、という契約書を交わすことを要求するケースもあります」
当然、吸収される企業側はキーマンが転職しないようになんとかして引き留めようとする。優秀社員の流出と現場の社員の離反は合併・買収企業にとって潜在的なリスクだが、これに経営トップのリーダーシップの欠如が加わると目も当てられない惨状が露呈する。
事実上の吸収合併でも表面的には対等合併を装う光景がよく見られる。それはそれで相手の会社に気を使い、融和ムードを印象づける効果はあるかもしれないが、さらに経営トップのリーダーシップが示されないようなたすきがけ人事を行うと、結果的に両社の社員間に疑心暗鬼を生み、既得権争いを演じることになりかねない。
2001年の合併で誕生したメガバンクは管理職クラスの人事配置においていわゆる「クロス人事」を実施した。部長は旧A行出身、課長は旧B行出身、課長代理は旧A行出身である。ところが仕事上のトラブルを機に課長と課長代理の関係が悪化した。その顛末を同行関係者はこう語る。
「課長の指示に課長代理がことごとく逆らうようになったのです。業務に支障を来すこともたびたびあり、たまりかねた課長は上司の部長に相談したんですが、部長は逆に『管理職として無能じゃないか』と叱りつけたらしい。部下からは突き上げられ、上からは抑えられるというサンドイッチ状態に苦しんだ課長は結局辞職しました。行内では部長と課長代理が結託して課長を追い出したと囁かれたものです」
じつはこうした合併後の主導権争いは決して珍しいことではない。前出のコンサルタントは「合併後に相手側の社員をつぶすことで自分たちの勢力を強化しようとする。つぶした部長や管理職にしてみれば上司や経営トップはこのことを喜んでくれるに違いないという心理がある。何のための合併なのかという経営のビジョンが伝わらず、リーダーシップが発揮されていないために起こる弊害」と指摘する。
社員の動揺や猟官運動を
回避するには
合併・買収は相手先企業の負債やのれん代などの金銭的コストだけではなく、優秀社員の流出と社員間の反目という人的資源の“負債”を最初から抱え込むことになる。最近でこそ少なくなったが、00年前後までは合併・買収交渉に経営トップと経営企画部門や財務部門の一部の担当者だけが参画し、合併・買収発表後になって初めて人事部門が参画するというケースも珍しくなかった。その結果、人的融合を図るうえで苦労を強いられることになる。同業他社の事業部門を買収した経験を持つ大手電機メーカーの人事担当役員はこう述懐する。
「買収案件では経営トップと経営企画の一部が秘密裏に動き、人事が知ることになったのは両社が判子を押す段階のときです。経営企画部長に人の問題はどうなっているんだ、と聞くと、いや人の問題までは考えていないと言う。受け入れる社員の給与や賞与、さらには退職金などの処遇やポストをどうするのかについて全然考えていなかった。彼らはいかにビジネスを安く買うかという考えしかなかったのです。結局、人の問題は後手に回ってしまい、相手先企業の労組の反発もあり、こちらが必要とする3分の1の社員しか移籍しませんでした」
とりわけ合併の場合は、発表前に合併企業の描くビジョンに基づく新たな組織像や人事処遇制度の基本理念や会社が求める人材像を検討しておくべきである。合併発表後は社員の動揺を回避するためにも経営ビジョンを明確に打ち出し、経営トップが率先して行動することで求心力を強化することが必要である。
最近は優秀な若手の管理職を部門横断的に集め、経営トップ直轄の組織として経営課題の解決を担当するクロスファンクショナルチーム(CFT)を結成する企業も増えている。上下関係を超えた合併両社の若手に采配を振るわせることで“会社が変わった”という点を従業員に印象づけるだけではない。優秀社員に「今後は君の活躍を期待している」と声をかけ、CFTの一員に引き入れることで社外への流出を防止するというリテンション効果も狙うことができる。
また、社員の動揺や疑心暗鬼を払拭するためにも人材の登用や人事処遇制度においては旧社の基準を一新し、できるだけ公平・透明性を高めることである。合併ともなるとポストを巡って水面下で激しい“猟官運動”が展開される。それを回避するには経営ビジョンや新たなビジネスモデルに合致する人材像を組織、機能、部門、階層ごとのポストに応じて細かく明示することが必要だ。それを前提に具体的な選考過程においては合併両社から提出された書類による審査だけではなく、個別にインタビューして見極める方法もある。最近は透明性を高めるために部長クラスの選考は外部のコンサルタント会社に面接を依頼し、その結果を参考に選考する企業も増えている。
「面接では、マーケットを重視しているか、変化に対応する能力を有するか、チームワークがとれるか、コミュニケーション能力に優れているかを中心に見ています。合併企業の場合はとくにチームワーク力を重視しています。個人のチャンネルで活躍してきたスタープレーヤーが今までは評価されましたが、合併会社ではチームワーク力のないプレーヤーは通用しません」(外資系人事コンサルタント会社社長)
選考の結果、事業本部長の椅子から転落する人もあれば、子会社の部長から合併会社の事業本部長に抜擢される人もいるという。旧会社に偏らない幹部の選定は現場の社員に透明性や公平感を印象づける効果もある。
新たな人事処遇制度の構築にあたっては、労使協議だけではなく、現場の末端の社員の声を吸い上げる仕組みをつくるべきであろう。合併した通信系企業は、人事処遇制度構築のプロジェクト参加者を支店・営業所を含めた全国の社員から募集した。そして支店の20代の女性から40代の本社の管理職を含めた総勢30人のプロジェクトがスタートした。メンバーは各地域の代表者としてプロジェクトの検討結果を職場に持ち帰り、そこで討議した内容を再びプロジェクトにぶつけるという作業を繰り返した。新人事制度を巡る議論は白熱し、最終的に出来上がったのは2年後だった。確かに時間はかかるが、検討過程を通じて制度に対する社員の理解が進み、制度スタート後の浸透も早まるというメリットもある。
M&Aの効果は即座に生まれるものではない。とくに“人の融合”は多大なコストと労力、そして時間を費やすことなくして実現できるものではない。











