中国が直面する
「人民元切り上げ」の衝撃

 
 
2005年7月、中国政府は人民元をドルに固定するドル・ペッグ制度をやめ、
複数通貨から構成される通貨バスケットを参照にしながら為替相場政策を行うことを発表した。
筆者は、いっそうの弾力化により金融政策運営の自由度を確保することが必要だと考える。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
小川英治 = 文
text by Eiji Ogawa
おがわ・えいじ●
1957年、北海道生まれ。一橋大学商学部卒業、一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得、商学博士。88年より同大学商学部勤務。ハーバード大学(86〜88年)、カリフォルニア大学バークレー校(92〜93年)でvisiting scholar。
著書・訳書に『国際通貨システムの安定性』『金融経済入門』『金融リスク管理戦略』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

20年前の日本と類似している中国の状況

 今から20年前、250円/ドルというドルが過大評価されたなかでアメリカが双子の赤字(経常赤字と財政赤字)を抱え、巨額の貿易収支赤字を計上していた。特に、対日貿易赤字は大きく、日米間に貿易摩擦が生じていた。アメリカの貿易収支赤字を解消するために、1985年9月にニューヨークのプラザ・ホテルにG5諸国(アメリカ、日本、西ドイツ、イギリス、フランス)の財務大臣・中央銀行総裁が集まり、ドルの価値を大幅に切り下げ、円をはじめとするドル以外の主要国通貨の価値を大幅に切り上げるという合意がなされた。いわゆるプラザ合意の結果、ドル過大評価の是正のための政策協調が取られ、2年ほどのうちにドルの価値が円に対して120円/ドルにまで減価し、円が増価した。

 2005年12月初めにロンドンで開催されたG7(アメリカ、日本、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、カナダ)財務大臣・中央銀行総裁会議では、中国の通貨、人民元の過小評価の問題が議論された。現在、アメリカが巨額の貿易収支赤字を計上するとともに、中国が対米貿易黒字を計上しているという点で、20年前の状況と類似点が見られる。このような状況の中で、中国政府は人民元を切り上げるべきであるという議論、あるいは、中国政府はより柔軟な為替相場制度に変えるべきであるという議論が起こっている。

 人民元は、94年に5.80人民元/ドルから8.70人民元/ドルへ大幅に切り下げられた後、05年7月21日までの11年間にわたってほぼ8.28人民元/ドルの水準が維持されてきた。その水準について一度も見直しをされることがなかった。しかし、アメリカからの強い要請があったこともあり、05年7月21日に中国政府は人民元を対ドル為替相場で2%切り上げることを決め、翌日より新しい水準、8.11人民元/ドルに切り上げた。この人民元切り上げとともに、中国政府は、従来より採用していた、人民元をドルに固定するというドル・ペッグ制度をやめて、複数通貨から構成される通貨バスケットを参照にしながら為替相場政策を行うという「緩やかな」通貨バスケット制度へ移行することを発表した。また、人民元の対ドル為替相場の許容変動幅が基準相場の上下0.3%に設定された、きわめて狭い為替バンド制度を採用している。

 通貨バスケットの構成については、貿易、資本取引(対外債権債務)、直接投資などを考慮に入れて、ドルとユーロと円と韓国ウォンの4通貨を中心とすることが中国人民銀行総裁によって8月10日明らかにされている。これらの4通貨のほかに、シンガポール・ドル、英ポンド、マレーシア・リンギ、ロシア・ルーブル、オーストラリア・ドル、タイ・バーツ、カナダ・ドルの7通貨も言及されている。このように、今回の人民元切り上げは切り上げ幅こそ2%と小さいが、為替バンドをもった「緩やかな」通貨バスケット制度へ移行するという中国の為替相場制度改革の発表は、政策変更に関する重要な決定であり、為替相場制度改革の端緒となると期待される。

近隣諸国に影響を及ぼす
中国の為替相場政策

 それでは、中国の為替相場制度改革は中国経済それ自体にとってどのような意義があるのだろうか。資本が自由に移動する状況において、固定為替相場制度、特にドル・ペッグ制度が採用されると、通貨固定対象国の金利に国内金利を連動させなければならないために、独自の金融政策の運営が制限される。一方、自由な資本移動の状況にあっても、通貨バスケットを参照にする管理フロート制度のような弾力的な為替相場制度が採用されると、通貨当局はある程度の自由度を確保することができる。中国では、近い将来に資本移動の自由化を進める一方、北京オリンピックや上海万博開催前の景気過熱を冷却するための国内金融政策運営の重要性がいっそう増してくることを考慮すると、このような形での為替相場制度のいっそうの弾力化によって金融政策運営の自由度を確保しておくことが必要である。

 また、今回の中国の為替制度改革と同時にマレーシア政府もドル・ペッグ制度から通貨バスケット制度へ移行したことは、いかにマレーシア政府が中国の為替相場政策の影響を受けていたかの証左である。このように中国の為替相場政策は東アジアの近隣諸国に影響を及ぼし、そして、為替相場政策について国際協調を行うことができない(「協調の失敗」)ために東アジア諸国全体がドルに重きを置きすぎた為替相場政策を採用する傾向にあった。

 97年に発生したアジア通貨危機以前にはその傾向が強かった。また、ドル・ペッグ制度の採用がアジア通貨危機発生の一つの原因として指摘されている。中国が為替相場制度を弾力化すれば、ある程度は協調の失敗の状況は緩和されるであろう。

 次に、為替相場制度改革が発表された7月21日以降、実際に中国の通貨当局による為替相場政策に変化が見られているのだろうか。人民元の対ドル為替相場を見れば、切り上げ直後の水準である8.11人民元/ドルから8.08人民元/ドルへ若干の増価傾向をもちながら、少しの変動を見せている。しかし、切り上げ直後の水準から大きく増価していく動きはまだ見られない。

 為替相場政策の参照とされている通貨バスケットの構成について、もし貿易の面から通貨バスケットが採用されるならば、中国の貿易相手国別のシェアを見るとよい。中国の貿易相手国とその貿易量(輸出+輸入)の構成比率(04年)を見ると、アメリカ14.7%、日本14.5%、EU15.4%、韓国7.8%、残りが日本・韓国を除く東アジア諸国を含めて、その他の諸国である。仮にその他の国の通貨がドルに連動していると仮定して、それらの貿易シェアをアメリカの貿易シェアに加えて計算したとしても、通貨バスケットの構成は、おおよそ米ドル62%、円15%、ユーロ15%、韓国ウォン8%というウエートとなるはずである。

 なお、香港の貿易シェアは10%に達しているにもかかわらず、香港ドルは通貨バスケットの構成通貨の対象となっていない。その理由は定かではないが、1国2制度のもう一方の制度の通貨を外国通貨とみなしていないためなのか、あるいは、香港がドル建て外貨準備をバックアップとしたカレンシー・ボードを採用しているために、米ドルを通貨バスケットの構成通貨に入れておけば十分だとみなしているためなのかもしれない。これまで両者がドル・ペッグ制度を採用していたことから人民元と香港ドルが安定していたのに対して、人民元が通貨バスケットを参照にして、ドル・ペッグ制度から離れることによって、依然として米ドルに固定している香港ドルと人民元との間の為替相場が変動することが香港にとって貿易上、大きな問題となる。

 人民元とドルとの連動性に関する実証分析(Ogawa, Eiji and Michiru Sakane, “The Chinese Yuan after the Chinese Exchange Rate System Reform” RIETI, mimeo, 2005)によれば、7月21日以降も中国の為替相場政策には、若干の変化が見られているが、依然として極めて高いウエートをドルに置いて為替相場政策が実施されている。7月21日以前には、中国の為替相場政策のドルへのウエートが100%であったが、7月21日以降、ドルへのウエートが90%強に低下しているものの、前述した貿易シェアに比較すると、なおも過大なウエートであることがわかる。

民間部門が直面する
為替リスクの問題

 このように、中国の為替相場制度改革はまさに始まったばかりである。為替相場制度改革が発表されたものの、運用上、実際にはこれまでのドル・ペッグ制度を引き継ぎ、事実上(デファクト)のドル・ペッグ制度に転換したにすぎず、中国通貨当局は恐る恐る対米ドル人民元レートを変化させ始めている。中国政府は、通貨バスケットを参照にした許容変動幅(為替バンド)を有する管理フロート制度を実際に運営していくことによって、ドル・ペッグ制度から離脱することが望ましい。

 一方、中国政府が、今後、そのような為替相場制度の弾力化を進め、実際に運営していくためには、民間部門が為替リスク管理手段にアクセスできるようにしなければならない。従来、ドルに対して完全に人民元が固定されていたために、民間部門が利用可能な為替リスク管理手段をもたなかった。むしろ、民間部門は為替リスク管理を行わずに、その費用を負担せず、フリーライド(ただ乗り)してきたのである。しかし、通貨バスケットを参照にした許容変動幅を有する管理フロート制度のように、為替相場制度が弾力化すると、民間部門は人民元/ドルの為替相場についても為替リスクに直面するようになる。先物取引、金利スワップ、外貨建て借り入れなどの為替リスク管理手段の重要性が増してくる。

 これらの為替リスク管理手段へのアクセスは、為替管理や資本管理を緩和していくことを意味するために、中国の通貨当局はこれらの規制緩和を抑制していた。これらの規制に加えて、これまでドル・ペッグ制度を採用していたために、為替リスク管理の必要性がなく、為替リスク管理手段が十分に発達していなかった。これらの問題を解決するために中国の通貨当局は、為替管理や資本管理を緩和しながら、着実により弾力的な為替相場政策を運営していく必要があり、その方向に進んでいくことになろう。

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