内向きの論理を捨てきれない
日本の企業システム
「成功」として扱ってしまう。社会から手痛い仕打ちを受けないかぎり、
回復軌道に戻すことは難しい。そうなる前に対処すべき二つの予防策を、筆者は提案する。
「血と汗と涙」により
神話化される「失敗」
人は実践を通じて学ぶ。とりわけ実生活の中で修羅場をくぐり抜け、自分自身で血と汗と涙を流した経験の価値は計り知れない。生涯にわたって、その経験を振り返り、反省的思考を注ぎ、深掘りを繰り返していくことで、その経験は自分の人格そのものにまで昇華していくに違いない。
「血と汗と涙」などと大げさなことを言わないまでも、人は日々の生活の中で、実践を通じて学んでいく。自ら良いことだと考えて実行した結果、成功が得られればその方向へ進み、失敗すればその方向を回避しようとする。だから、日々の仕事を通じて、周囲の人々から得られる賞賛と批判を感度良く受信して自分の行動を修正し、努力を重ねていけば、人はいつしか優秀な人材に成長するはずである。
だから企業が従業員の育成に際してOJTを重視し、現場・現物を重視することは適切である。現場で自分の仕事をこなしながら、その都度疑問を抱いたことを周囲の人に聞き、実践を通じて学んでいくほうが強い現場をつくるうえでは効率も良いし、効果も高い。この点では筆者もまったく異論はない。とりわけ経営人材を育成するうえで、やはり実践が決定的なカギを握っていると筆者は心底信じている。
しかしながら、それほどまでに実践が重要であるがゆえに、逆にわれわれは実践から学ぶプロセスがもつ問題点についても十分に注意しておく必要があるように思われる。実践から学ぶという非常に貴重な経路を本当に生かすためには、実践から学ぶ際に起こりがちな罠について十分な注意が必要なのである。
まず初めに注意しておかなければならない点は、人は失敗経験や挫折経験が自分の人生にとって非常に重要であったと過剰に思いこみ、それによって学習内容を歪めてしまう可能性があるという点である。誰でも、流した「血と汗と涙」の分量が多いほど、その「血と汗と涙」が無駄だったとは思いたくない。成功体験は、成功したという結果のみでも報われるし、その後の昇進・昇級でも報われるはずである。周りからも祝福され、「報われた」という思いが素直に形成される成功体験は、したがって、精神的にはそれほど「後を引く」ことがない。
これに対して失敗経験は、すでに大量の「血と汗と涙」を支払ってしまったのに、周囲の誰からもほめてもらえない。何の役にも立たない苦労という現実を人間はそう簡単に受け容れられない。自分が支払ったコストが大きいのに、周囲から客観的に得られた報酬が少ないと、その失敗経験の苦労から何らかの効能が得られたという神話を創造したくなる。失敗経験をした人々は必死になって「成功」という物語の結末を探し求めている。その結果、たとえもし今の成功と昔の苦労との間に因果関係がなかったとしても、「あのときの失敗が重要な基礎になっている」という結論が導き出されやすい。
若手の成長を阻害する
「あいまいな論理」
「あのときの苦労がなければ今の自分はない」と考えることで人は失敗の痛手から回復する。だから、失敗経験を重視すること自体は個人の精神衛生上は重要であり、「自分で自分をほめてあげる」という行為自体は適切である。
問題は、因果関係のないところに因果関係をでっち上げてしまい、組織内に神話が横行してしまうところにある。たしかに人間を磨くには、時には苦労も大切であろうし、失敗経験も大切であろう。しかし残念ながら世の中には意味のない苦労や次につながらない失敗も存在する。失敗経験がむやみに現在の成功と結びつけられるような神話が横行すると、無意味な失敗まで美化されすぎてしまったり、なぜその失敗が次につながったのかがわからないまま、あいまいな論理のストーリーがそのまま次の若手に語り継がれたりする。因果関係が不明確なストーリーやあいまいな論理の議論が社内で平然と語られるようになると、組織内の若手の頭の発達が阻害される。とりわけ過去の失敗経験の場合、「つじつまが合わない」と若手が疑問に思っても、問いただすことがタブーになる可能性もある。問うてはならないものがつくり出され、組織内の議論が封殺されることにもつながりかねない。経営者が部下や自分自身を慰めるためのレトリックに溺れて、未来を切り開くための知恵を混乱させる、ということは健全な組織を維持するためにも避けなければならないのである。
実践から学ぶ際に気をつけるべき二つめの注意点は、「成功」と「失敗」というシグナルが間違っているケースがあるということである。「間違っていればすぐに顧客からクレームがきたり、競争相手に負けたりするから自然に修正されるだろう」などと考えるのは相当のオプティミストである。たとえば、「いったい日本はどれほど不要な道路をつくり続けてきたのだろうか」という問いを考えてみればよい。あるいは小中学校教育における「おちこぼれ」を少なくするために、教育努力を強化するのではなく、教育内容を平易化していくという「ゆとり教育」の政策は、多くの識者たちの批判にもかかわらず、かなり長い間「失敗」としては認識されずに放置されてきた。皮肉なことに、現代日本のように豊かな国では、腐敗する余裕があるから腐敗が長続きしてしまうのである。腐敗したシステムの下では、社会全体にとっては失敗であるものを、そのシステム内では「成功」として扱ってしまう。
大企業も同様である。巨大な一流企業は、そう簡単に倒産しない。巨大企業は、堕落できる余裕があるがゆえに、長期にわたって堕落する。顧客にはまったく不要であるけれども、技術者が見て惚れ惚れするほど複雑で楽しい新技術が研究開発部門内で大ウケし、過剰な経営資源を無駄に投資してしまうとか、マーケティング部門や本社スタッフの内輪ウケで空虚な仕事が次々と進んでいくこともある。もっと悪いケースで言えば、内向きの合意形成を得意とする〈落としどころ感知器〉のような人材が評価されて次々に育成されていったり、談合をまとめてくるのが得意な人が評価され、それができるようになることが「大人」になることだと若手が信じているということもあるだろう。いつかはこっぴどく報復を受けるとしても、何年も何十年もそのシステムの中で人が生きていくという可能性も存在する。
劣化してしまった組織では、成功と失敗の見分けがつかない人が互いに成功・失敗のシグナルを出して周囲の人を方向づけていくから、実践を通じた学習によって間違った判断基準を持つ若手の拡大再生産が行われ、自助努力で健全化するのが難しくなっていく。世間一般の目から見ればどれほど間違った成功・失敗のフィードバックでも、人間は周りからほめられれば嬉しいし、けなされれば悲しい。周囲がほめたり、けなしたりという現実が、まさに実社会における実践経験の中核部分を形づくる。だから実践を通じた学習が本当に長期的に見て効果的か否かは、組織内にどれほどの比率で高潔な「目利き」が存在するかに大きく左右される。劣化した組織はいつかは顧客や競争相手から手痛いフィードバックを受け取るのだろうが、「いつか」がかなり遠い可能性がある。優秀だった若手が間違った成育を遂げた中年になってしまうのに十分な年月が経過してしまうことは稀ではない。
組織の劣化を防ぐ二つの具体策
こういった問題を回避するには、いったいどうすればいいのだろうか。いったん本格的に腐敗した組織に堕してしまえば、社会から手痛い仕打ちを受けないかぎり、回復軌道に戻すことは至難の業であろう。残念ながら、しかし、社会からの手痛い仕打ちは、それ自体で企業生命を終わりにする可能性もある。だから、いったん劣化する前に予防を心がけるのが適切であろう。
予防のための一つの具体策は、できるだけ顧客や競争相手のフィードバックが早めに戻ってくるように仕事や組織を見直すことであろう。巨大な職能制よりも、小さな事業部制組織やクロス・ファンクショナル・チームが望ましい理由の一つは、それが顧客と短サイクルで結びつきやすいからであろう。創る→作る→売るというサイクルを早く回し、なるべく早めに外部からの成否のフィードバックが入るような組織設計を心がけるべきであろう。
この点では最終顧客に直面していない企業の場合、直接の販売相手ばかりでなく、最終的な顧客を視野に入れておく必要があるという点に注意が必要である。最終顧客にたどり着く前に、流通の巨大企業や買い手側の独占的企業などが存在すると、多くの企業は最終顧客ではなく流通業者や独占企業の声を顧客の声だと思いこみがちになり、最終顧客をまったく想定しない製品開発が進み始めることもある。しかも直接顧客とする流通企業や買い手側の独占企業が劣化した優良企業だとすると、最終顧客からの正しいフィードバックが届くまでに何年もの年月が経過してしまう可能性がある。それゆえ、戦略や組織を設計する際に、できるだけ最終顧客に直接触れる部分をつくり込むように気をつけたほうがいい。
もう一つの予防策は、今目の前にいる自分の周辺の人々以外にも自分を客観化する異なる視点と接するように心がけることであろう。実践を通じて学ぶ姿勢が問題を起こすのは、まさに自分が所属する集団が世の中からかけ離れた評価眼に同質化してしまう場合である。だから、自分の行為が成功か失敗かを評価するための外部の物差しに常に接するように努力することが有望な予防策になりうる。より具体的には、異業種との交流を深めるという手もあるだろう。自事業における常識が通じなくても、ビジネスの背後にある論理は共通語で語れる可能性が高い。その共通語で語れる部分から、自分たちの現状を振り返ってみることで常に自分たちの周辺の健全度をチェックすることが可能になるはずである。
この「共通語で語る」という点では、われわれ経営学者が論理的に述べていることも、時には役立つかもしれない。「流行り言葉の経営学」や「センセーショナルな主張の経営学」ではなく、一歩ずつ常識的な論理を使って詰め将棋のように思考を重ねていく経営学であれば、実務家たちが実践を通じて学ぶプロセスに若干の手助けを提供することができ、組織劣化の予防に少しは役立つのではないかと筆者は考えている。すでに五年弱の期間にわたって連載してきた筆者の担当分は今回が最後である。これまでお読みいただいた読者の方々がご自身の実践から学ぶ際に少しでもお役に立つことがあったとすれば筆者にとって望外の喜びである。
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