特集/365日の走り方
〜大公開!最後に笑う人の「夢計画」〜

河内敏光(日本プロバスケットボールリーグコミッショナー兼社長)

「傍流から上流へ」
誰でも三度のチャンスはある

 
 
日本プロバスケットボールリーグコミッショナー兼社長
河内敏光 = 談
かわち・としみつ●
1954年、東京生まれ。明治大学卒業後、三井生命に入社し、バスケットボール選手として約10年間プレー。その間、全日本代表メンバーとして活躍。現役引退後、日本代表監督を務める。2004年bjリーグコミッショナーとなる。05年日本プロバスケットボールリーグ社長に就任。
田中義厚 = 構成鈴木直人 = 撮影
 
 

進歩し続ける秘訣は
「同じ失敗は繰り返さない」

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 バスケットボールのプロリーグを立ち上げたいと思い始めたのは、全日本の監督として参加した1996年のアトランタ・オリンピックが終わった頃からです。それまで日本のバスケは、すでにプロリーグを立ち上げていた中国、韓国、台湾、フィリピンなどのチームとも互角に戦えた。それ以後、アジアの中でもベスト4どころか下手をすると8位ぐらいに低迷するようになった。プロリーグを持つ国々のレベルが上がってきたからです。

 ちょうどその頃、Jリーグ発足後、数年で日本サッカーがみるみるうちに強くなっていったのを見て、バスケも企業スポーツではやっていけない、プロ化は避けられないと思うようになりました。

 当時、すでにプロ化構想はありました。日本バスケットボール協会が旧日本リーグのプロ化を視野に入れて、JBL(バスケットボール日本リーグ機構)を96年に発足。ところが私が選手として、監督として籍を置いてきた三井生命はこのプロリーグ構想には参加せず、97年にバスケ部を休部にしてしまった。

 私や選手たちは三井生命の正社員でしたから、そのまま会社に残るという選択肢はありましたが、一方でバスケに対する情熱も消えない。選手たちも「できることならどこかに移ってバスケを続けたい」という思いを胸に秘めていた。そんな状況の中で辛い数年間を過ごしました。

 その後、Jリーグに所属するアルビレックス新潟の社長の池田弘さんに出会い、三井生命を早期退職して、日本初のプロバスケチーム・新潟アルビレックスを立ち上げ、その代表になってJBLに参加し、リーグのプロ化を待ちました。しかし、これが何年待っても何一つ具体的な話に進展していかなかった。要するに協会も、バスケチームを抱える企業も率先してプロ化というリスクを取りたがらない。できるだけ波風を立てないように様子見をしているという状況でした。

 これはもう、JBLには任せてはおけない。自分たちだけでプロ化を進めよう。そう考えて、2004年に立ち上げたのが「bjリーグ」なのです。

 もちろん不安や迷いもありました。私はもともとは三井生命の社員です。会社に残ればそれなりに生活の安定は保証されている。当時私は45歳で、これから中学、高校への進学を控えている子供が二人いました。会社を辞めると決めてからも、「きっと誰かが止めてくれるに違いない」という気持ちがどこかにありました。それくらい心は揺れ動きます。止められても、「いや、このまま三井にいたら、いままでオレの人生のすべてだったバスケがなくなってしまうんだ。人生は一回しかないんだから、挑戦したい」と、説得する準備をしていたんです。

 しかし、どういうわけか妻も両親も全員「いいんじゃないの」と賛成。兄貴にいたっては「いざとなったら子供の学費は俺がみてやる」と。ありがたかったですけど、拍子抜けするほどでした。

 それで私も腹をくくった。よし、人間なんてプライドさえ捨てれば何だってできる。仮にプロリーグの立ち上げに失敗しても夫婦でパチンコ屋の住み込みでもなんでもやって生きていけばいい。チャレンジ精神、向上心がなくなったら、生きている価値はないんだと自分に言い聞かせ、会社を辞めました。

 とはいえ、ついこの前までサラリーマンだった私が、新潟アルビレックスの代表になり、いまはbjリーグのコミッショナーですから、初めての経験ばかりで、失敗の連続です。JリーグやNBAなどの成功手法を徹底的に研究し、いいとこ取りしているので、成功する確信はあります。それでも失敗は必ずあります。とにかく「同じ失敗は繰り返さない」ということを肝に銘じています。

 bjリーグの職員にも言っているんですが、放映権やスポンサー探しの営業に行って断られても、そこからがスタートなんです。若い職員の中には失敗するとガクッと落ち込んでしまう者もいます。

「おまえはよくやったぞ。ここからが勝負だ。ここからが営業だぞ」

 と励まし、断られた理由を徹底的に研究して、次の提案に反映させるようにしています。そうすれば失敗するごとに、提案はどんどんいいものになっていく。断られたり、失敗しても、その理由をきちんと分析し、自分の描いていた目標設定に向かっていく道筋を修正していけば、いまよりも一歩進むことができる。そうやってビジョンを修正しながら一歩一歩近づいていくのが夢だと思っています。

「bjリーグ」から
1億円プレーヤーをつくる

 神様というのはどんな人に対しても必ず3回のチャンス、転機を与えてくれていると信じています。運に恵まれた人だけではなく、全員に。ただ、そのチャンスというのは待っているだけではものにはできない。自分から取りにいかなければ勝ち取れないものです。

 その努力をしない人に限って、チャンスをものにした人を「運がいい」とか、「恵まれている」と言うんです。よく「イチローは天才打者だ」と言う人がいますが、私から言わせればとんでもない。彼ほど努力を重ねてきた選手はいない。だからチャンスをものにできるんです。

 私に対しても「いい星のもとに生まれたから」と言う人がいます。京北高校から明治大学、就職したのは日本鉱業(当時)、日本鋼管(当時)、松下電器といったトップチームではなく、2部リーグの三井生命です。日本代表メンバーに選ばれ、全日本の監督も経験しましたが、決してバスケのエリート人生を送ってきたわけではありません。「バスケットボールがやりたい」「プロリーグをつくりたい」など目標や夢を明確にし、もがき、苦しみながら、チャンスを掴んできたのです。

 実際、bjリーグを立ち上げた当初は協会からも有形無形の圧力を受けました。ビジネスとして成功する保証もどこにもありません。でも、私はbjリーグが自分に与えられた3回のチャンスのうちの一つだと信じて挑戦することにしました。仮に失敗しても、新しいことにチャレンジせざるをえなくなるから、それが次の転機につながっていくと思うんです。

最後に
笑うための
三原則
1 自分の
目標、夢を
明確にする

2 敗因を分析し
同じ失敗を
繰り返さない

3 チャンスは
自分から
取りにいく

 いまの目標は明確です。1億円プレーヤーをつくること。子供たちが「かっこいい」「僕もbjリーグの選手になりたい」と憧れることができるような選手を生み出すことです。海外のリーグ、あわよくばNBAからオファーがくるような一流選手を育てていきたい。

 仮にそういうオファーがきたらリーグとしてもチームとしても、全面的に協力するというのが我々の考えです。引き止めることは絶対にしません。逆にこちらから売り込みにいきたいぐらいです。

 もともと「日本のバスケをもっともっと強くしたい」という夢からスタートしたbjリーグですから、選手の夢は全面的に応援します。それが結局はリーグのためにもなると信じています。選手の夢を潰したり、足を引っ張るようなマネをしていては、絶対に子供たちが憧れるbjリーグにはなりませんから。

 実際、いまbjリーグでプレーしている選手の中にもNBAを夢見て、必死にがんばっている選手が何人もいます。その情熱と迫力だけは、絶対に外国のリーグにも負けません。ぜひ一度、会場に足を運んでもらって、生で彼らのプレーを見てほしいと思います。

 
 

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