組織に「参加」するアメリカ、
「所属」する日本
これは、筆者の主張の背後にある一貫したスタンスだ。
日米企業の違いを理解したうえで、戦略を考えることが必要である。
暗黙の前提を無視した「アメリカではの守」
この「ビジネススクール流知的武装講座」という連載に原稿を書き続けてきて、もう5年になる。私が所属する一橋大学大学院商学研究科で経営学修士コース(MBA)を2000年4月から正式に開始したのをきっかけに、商学研究科の仲間3人と連載を始めた。
私もそろそろこの連載からは退き、時評的な経営評論をしようとする別な連載へと移ることになった。この回が私にとっては知的武装講座での最後の原稿になる。そこで、私が5年間にさまざまなことを書いてきた、その背後にあった基本的なスタンスの一つについて、書いてみよう。
それは、「暗黙の前提」につねに目を配って論理を立てないと、アメリカ一辺倒の「アメリカではの守{かみ}」になってしまって、事を見誤る、というスタンスである。「ではの守」とは「アメリカでは」と言い募る人のことである。1990年代後半、日本経済が低迷を続け始めてからグローバル・スタンダードの名の下にそんな乱暴な議論をする人が増えた。「アメリカではこうしているのだから、日本でも同じようにすべきである」という議論である。
経営学の規範論的な理論は、「何々をすべきである。何々が望ましい」という結論になることが多い。たとえば、「戦略は市場でのポジショニングを最優先して考えるべきである」。しかし、ある政策が望ましいかどうかは、その政策が実践される環境のさまざまな状況に依存している。それにもかかわらず、経営学のみならず多くの社会科学の分野で、「進んだ実践が行われている国」と信じられている国の理論をかなり鵜呑みにして日本にも適用する、ということが行われやすい。そのもっとも強引な形が、「アメリカではの守」である。
それでは、まずい。アメリカの経営学の理論は当然、それが生まれたアメリカの企業社会の状況を反映したものである。その理論を取り巻く環境条件の中で、あまりにもアメリカ社会では当然であるので暗黙のうちに理論成立の前提として仮定してしまっている条件もありそうだ。しかし、日本の企業社会とアメリカの企業社会では、さまざまな環境状況が違うし、歴史的経路も違う。そのために、アメリカの経営学の理論の「暗黙の前提」のうち、日本では成立しない暗黙の前提条件が案外ある。だとすれば、アメリカで成立する理論的結論が、日本でも同じように成立するとは限らない。そんななかで「ではの守」をやれば、間違った提言をすることになるだろう。
もちろん、アメリカ発の理論の論理的構造は、経営のあるべき姿を考える際の論理づくりの参考にはなるだろうから、学ぶべきである。しかし、暗黙の前提を置いたうえで論理を展開した後の結論は、単純には日本企業に適用できないのである。
「資源蓄積派」の日
「ポジショニング派」の米
経営戦略論の世界で、日米でそれぞれに長く読み継がれている2冊の本が、80年という同じ年に出版された。アメリカではマイケル・ポーターの『競争の戦略』、日本では自分のことで恐縮だが、拙著『経営戦略の論理』である。ポーターの本は、戦略の本質はポジショニング、つまり市場の中で自社をどのような位置に置こうとするか、であると主張した。伊丹の本は、戦略の本質はどのように自社の資源蓄積を行うか、であると主張した。ポジショニング派と資源蓄積派とでもいうべき、戦略の基本発想の異なった二つの考え方である。
ポーターの主張はアメリカ企業の現実観察から生まれたものであろうし、私の主張はたしかに日本企業の現実観察から生まれたものだった。もちろん、どこの国でも、市場の中でポジショニングを誤れば、少ない顧客を不適切な競争方法でとろうとすることになって、戦略としてまずい。そしてどこの国でも、競争ができるだけの資源蓄積がなければ、たとえポジショニングがよくても競争には勝てない。ポジショニングと資源蓄積はともに必要なのである。しかし、どちらを第一とし、どちらを第二とするか、日米企業の傾向はちがう。日本は資源蓄積第一、アメリカはポジショニング第一、という傾向があるのである。
その日米企業の違いの一つの原因は、競争力の鍵になる資源の外部調達可能性の違いであろう。外部調達可能なら、資源の蓄積は大した問題ではなく、競争上必要ならば、市場から調達すればいい。人材のスカウト、企業の買収、さまざまに資源調達の方法はありうる。アメリカの労働市場と資本市場は、それをかなり可能にしている。そのように必要資源は調達可能という状況にあれば、資源利用の仕方がもっとも大切で、だからポジショニング重視になる。
しかし、外部調達できるほどには国全体の蓄積が十分でない場合には、資源の内部蓄積を重視するのが当然となる。それが、戦後長く日本企業が置かれた状況だったろう。あるいは、国全体の蓄積はかなり厚くても、外部調達の市場あるいは資源の企業間移動の市場が発達していない場合にもまた、資源の内部蓄積を重視するのが当然の戦略発想になるだろう。それもまた、日本の状況だった。その状況の中で企業の戦略がポジショニング重視に偏ると、しばしば資源面で実行不可能なポジショニングを企業が発想してしまう危険がある。企業の現場の表現で言えば、「そんなこと言われても、魅力的なポテンシャルのあるポジションであることはわかるが、なんとも攻めがたい」。
戦略の適切さを考える際の暗黙の大前提として、経営資源市場についての前提が日米で違うのである。
日本企業が資源内部蓄積重視になるもう一つの原因は、組織と個人のかかわりにおける日米の違いであろう。この連載の7月4日号の原稿でも述べたように、アメリカでは個人は組織に参加する。日本では組織に所属する。所属は長期化するのが通例であり、したがって個人が何を蓄積してくれるかは企業にとって大きな関心事になる。あるいは、過去の仕事・事業で生み出した蓄積を企業が使おうと考えるのが、自然の発想になる。さらに、資源蓄積は結局、ヒトがその蓄積の担い手となる。とくに技術やノウハウ、顧客についての情報など目に見えない資産の担い手はヒトである。そのヒトが簡単に組織から離れるような状況なら、資源の内部蓄積を重視する戦略は結果として資源の流出によって効果がなくなるかもしれない。しかし、人々が組織に「所属感」を持ち、簡単には組織から離れないのなら、その個人がしているはずの蓄積が組織から流出する危険はより小さい。戦略を蓄積中心に考えても、十分意味がある。
つまり、戦略を考える際のもう一つの暗黙の大前提として、組織というもののあり方についての前提が日米で違うのである。
こうした違いを無視して日本企業の戦略を分析すると、しばしば「日本企業には戦略がない」という結論になったりする。しかし、ポジショニングが仮に不利でも、その事業の生み出す波及効果や組織の求心力のために続けざるをえない戦略がある。あるいはポジショニングが不利な状況を我慢しながら、意図的に経営資源の蓄積を目的に行う戦略もある。「アメリカではの守」には、そういう戦略の合理性が見えないのである。
負の効果が大きい
成果主義の全面導入
日本ではヒトは組織に所属する、たんに参加しているのではない、という違いは、戦略のあり方ばかりでなく、人事管理のあり方、コーポレート・ガバナンスのあり方にもさまざまに影響を及ぼすに違いない。
単純な成果主義人事が日本企業で失敗することが多いのは、その一例である。成果主義だとなぜ人々がより大きな努力を仕事につぎ込もうとするか、その論理構造自体は日本でも成立する部分はある。成果を挙げた人と挙げなかった人を同じように遇しては、不公平だ、という素朴な論理は正しい。しかし、アメリカ型成果主義(短期の個人業績だけをベースに成果を測り、それに報酬を大きく連動させる)を全面的に導入した場合に、それが総体的に企業のよりよい業績につながるには、理論が満たすべき前提がある。たとえば、成果の悪い人は組織から退出する、という前提である。その暗黙の前提が満たされにくいのが日本の組織のあり方である。そこで成果主義を全面導入すれば、成果が悪くて報酬が低い人が不満を持ちつつ、組織に滞留する。その負の効果は案外大きい。アメリカのような結果にはつながらないだろう。
こういうと、「もはや人々の価値観は変わり、所属ではなく参加することだけを日本の企業人も求めている」という反論があるかもしれない。それは、ジャーナリスティックな評論の世界の話に私には聞こえる。現実の人間は、たしかに昔のような価値観でない部分もあるが、しかし総体的にはそれほど変わっていないと考えるのが妥当だと思う。最近の若い学生たちを見ていても、日本では「就社」する、アメリカでは「就職」する、という二つの表現の違いがまだまだ日米の間にはある。労働市場のデータを見ても、流動性は決してそれほど上がっていない。
会社は誰のものか、というコーポレート・ガバナンスのあり方についても、「所属感」の強い日本では自然に「働いている人たちのものでもある」という感覚が生まれるのである。権力の正当性が財産の所有に根ざすという長い歴史的伝統を持ってきたアングロサクソン社会とは、暗黙の前提が違うのである。日本では、権力の正当性はしばしば、所属とコミットメントから生まれている。だから、今日株を買って明日は売るような株主に権力の正当性はない、長く企業に貢献してきた働く人々が当然大切にされるべきである、という思いを自然に多くの人が持つのである。それは、この連載の5月2日号の原稿で私が述べたことである。
「アメリカではの守」はもうやめよう。日本社会の前提を考え、その前提の下で、しかしきちんと論理的に合理的な経営のあり方を考えよう。戦略、組織、コーポレート・ガバナンスのあり方、じつにさまざまな経営の分野で、それが必要とされている。











