粗悪品から脱却!
中国「民営中小企業」の脅威

 
 
改革・開放が開始された80年代、浙江省の東南に位置する温州では、
全国から情報を集めた行商人たちが、簡易な日用消費財を生産し始める。
その中からは、中小企業のレベルをはるかに超える民営企業も生まれていった。
中国の民営中小企業に、これから日本企業はどう対峙するかが問われている。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
関 満博 = 文
text by Mitsuhiro Seki
せき・みつひろ●
1948年、富山県生まれ。成城大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修了。専修大学商学部助教授を経て、98年より一橋大学に勤務。経済学博士。
著書に『地域産業の未来』『現場主義の知的生産法』『世界の工場/中国華南と日本企業』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

農民個人が創業した
「温州モデル郷鎮企業」

 1978年末に経済改革、対外開放に踏み出して以来、中国は劇的な発展を実現してきた。その主要な担い手は、80年代は「中国農村の希望の星」といわれた「郷鎮企業」であり、90年代は「外資企業」ということになろう。そして、2000年代に入ってしばらくは、間違いなく「民営中小企業」の時代が到来する。本シリーズでも、何度かにわたって最近の中国各地の民営中小企業を取り上げてきた。そして、最後に、中国民営中小企業を語るときに外すことのできない「温州」の民営中小企業にふれていくことにしたい。この温州は中国沿海の浙江省の東南に位置し、日本の秋田県ほどの面積に約760万人を抱えている。海側まで尾根が切れ込む山岳地帯であり、96年までは鉄道もなかった。耕地の乏しい貧しい閉塞された辺境の地であった。そして、その貧しさを乗り越えるために、人々の移動が厳しく制限されていた文化大革命(66〜76年)の頃においても、温州の人々は果敢に全国に行商に向かっていた。当時は計画経済であり、モノ不足の地域に御用聞きに向かい、小まめにそれを全国から集めて供給する役に任じていたのである。

 そして、改革・開放が開始された80年代には、温州では農民個人による企業が大量に生まれてくる。行商に出ていた人々が全国の情報を寄せ、人々は簡易な日用消費財を生産していった。それは改革・開放直後の極端なモノ不足の時代の新たなビジネスチャンスに対応するものであった。服、靴下、靴、ボタン、メガネフレーム、ボールペン、弱電部品などの運びやすい小物軽量な製品が多く、行商人が担いで全国に売りにいった。

 90年前後の頃の温州の郷鎮(もともとは人民公社であったが、84年に解体され、行政的な機能の郷と鎮になった。ほぼ人口3万人程度であり、市街化が進むと郷から鎮に名称が変わる)の政府を訪れると、「一郷一品」「一村一品」などのスローガンが掲げられ、一つの狭い地域が特産物の産地を形成していたものであった。ボタンの橋頭鎮、弱電部品の柳市鎮などが特に著名であった。

 そして、そのような鎮を訪れると、市街地の中心には巨大な専用卸売市場が形成され、小さなブースが数千の単位で折り重なっていた。農民による特産物産地の形成と専用卸売市場が両輪となり、温州は80年代から90年代にかけて興味深い発展を示したのであった。90年の頃には、温州全体でこのような産地と専用卸売市場の組み合わせは500カ所もあった。これら全体の仕組みを「温州モデル郷鎮企業」という。貧しさへの反発のエネルギーが、こうした興味深い仕組みの形成を促したのであろう。

全国各地に「浙江村」
「温州村」を展開

「農民個人の創業」「行商」「特産地化」「専用卸売市場」は温州モデル郷鎮企業を特色づける基本的な要素だが、もう一つ付け加えなければならないものがある。それは全国から海外にまで展開している「浙江村」「温州村」「温州街」の存在であろう。

 現在、温州人のうちおよそ200万人は市外に出稼ぎに行っている。中国国内だけで約160万人、ヨーロッパを中心とした外国に40万人が出ている。これらの人々は特定の場所に集住し、小さな商売に従事している場合が少なくない。そのような場所を「浙江村」「温州村」などという。中国国内だけでもその数は200カ所とされている。

 その代表的なものとして北京郊外の「浙江村」が知られる。私は99年頃に訪れたことがあるが、約3万人規模の北京浙江村は半分ほどは瓦礫の山であり、残りの半分で皮革製品のコートなどを縫製し販売していた。この北京浙江村は風紀が乱れているとして、北京市政府により解体させられていた。何とも緊張感の漂う妖しげな雰囲気であった。

 00年には、この北京浙江村は完全に解体されたとされていたが、05年夏に訪問してみると、衣料品から皮革製品などの巨大な「卸売小売市場」に変貌し、さらに周辺には学校、病院、ホテルなどが立ち並ぶ近代的な一大ショッピング・ゾーンというべきものに変貌していた。北京の市民に尋ねると、一部の人はかつてのイメージを抱いていたが、他の一部の人は「安くていい」と歓迎していた。北京の浙江村も洒落た巨大な集散地市場に衣替えしつつあるように見えた。

 また、過激に簡易な軽工業品の生産に終始してきた温州は、他方で粗悪品のイメージが強かった。80年代の「モノ不足」の時代をくぐり抜け、90年代に入ると、粗悪な品物は売れなくなる。このような事態に対し、温州の人々は品質の向上、ブランドイメージの確立に関心を寄せ、イタリア人、台湾人などのデザイナー、技術者を導入し、著しい発展を実現する企業を生み出していく。

 弱電部品から変送電システム等に展開している正泰集団(CHNT)、徳力西(DELIXI)、服装の報喜鳥(BAOXINIAO)、庄吉(JUDGER)、法派(FAPAI)、靴の康奈(KANGNAI)、奥康(AOKANG)、吉爾達(JED)、メガネフレームの泰恒光学(TIDE)などが知られる。これら個人で創業した温州の民営中小企業の中からは、この10年ほどで従業員数千人から数万人の規模の中小企業のレベルをはるかに超える民営企業を登場させているのである。

 また、これら温州の企業の視線は従来は国内市場に向けられていた。行商や浙江村などにより全国に販売ルートを形成し、また、地元に巨大な専用卸売市場を設置し全国から買い付けを惹きつけていた。だが、大きく発展してきた民営企業たちはすでに地元の専用卸売市場や全国の浙江村からは脱し、独自の販売ネットワークを形成している。このことが、伝統の専用卸売市場の機能の低下を促していることも重要であろう。

 さらに、中国国内市場が次第に成熟化の方向に向かう現在、発展軌道に乗ってきた温州の民営企業は、一気に外国市場への関心を深めていることも興味深い。中国国内に独特の販売ネットワークを形成してきた温州の民営中小企業は、現在、大きな転換点に立っている。発展する一部の企業が全国から世界に視野を拡げているのに対し、圧倒的大多数の中小企業は次への展開が見出しにくいという階層分解が生じているのである。

 加えて、陸の孤島とされた温州も、96年以降、鉄道の敷設、高速道路の開通などにより地域条件を劇的に変化させてきたことも重要であろう。温州は辺境の地であるがゆえに、独特の特産地化と専用卸売市場を発達させてきた。だが、交通条件の改善は近隣の市場との競争に直面することを意味する。特に、温州の場合には近くに義烏市の巨大な「中国小商品市場」がある。この義烏の市場は日本の100円ショップの仕入れ先といわれ、集客力が圧倒的に高い。そのため、温州郊外のボタンの橋頭鎮等の専用卸売市場は、相当に影響を受けているとされている。

専用卸売市場の衰退で
陸の孤島から全国へ

 この点、現在、中国にも全国から東アジア程度を視野に入れた巨大な集散地市場が形成されつつあることも重要であろう。配給制度を基本にしていた中国では、従来、全国流通を視野に入れる集散地市場は成立していなかった。そのため、温州の辺境の地に産地市場でありながら全国を視野に入れる専用卸売市場が成立しえたのであった。だが、改革・開放以後、四半世紀を過ぎた現在、各地に巨大な集散地市場の形成が始まりだしている。

 特に、広東省の広州周辺は、現在、その焦点になりつつある。香港から深セン〜広州のゾーンの物流条件は大幅に改善され、また、04年8月には物流を意識した新たな広州白雲国際空港が開港している。そして、その周辺には家具、皮革製品、陶磁器、アルミ建材、宝飾品、シャンデリアなどの巨大な集散地市場が形成され始めている。その姿は、あたかも東アジア全体を視野に入れる集散地市場を痛感させる。このような集散地市場と温州の専用卸売市場が競争することは、かなり難しい。こうした事態が深く進行しているのである。

 その場合、零細な個人企業が近くの市場に製品を持ち込み、鍛えられながら、成長していくという流れはどのようになっていくのか。ここ数年が新たな枠組み形成のポイントになっていくようにも思う。また、北京浙江村が次第に洗練され、集散地的な機能を担い始めると、温州の若者たちの見方も大きく変わってくるのではないかと思う。

 このような次の時代を担う若者から、父の時代の激しい行商、出稼ぎはどのように見えるのだろうか。若者たちが北京に向かうとしても、必死に稼いで故郷で製造業を興すであろうか。仮に、何かの事業を興す場合、それは故郷になるのであろうか。このあたりのことは、ここしばらくの動きを見ていかないと判断しにくい。

 そして、温州人が豊かになることと、地域が豊かになることが次第に乖離してくることも懸念される。すでに、平地の少ない温州の地価は高く、限られた数の有能な人材のコストも高いとされている。全国ブランドを形成し、すでに温州レベルをはるかに超え始めた企業群は、温州にとどまり続けるとは限らない。より冷静な選択をしていくことも考えられる。

 このように、閉塞された地域であった温州も、この20年の取り組みの中で、現在は明らかに次の時代に向かうための踊り場にいる。温州の民営中小企業も新たな取り組みを重ねていくのであろう。

 明らかに、日本企業、特に中小企業がこれから直面するのは中国の民営中小企業であろう。本シリーズで何度も検討したように、この数年、中国の民営中小企業は劇的な発展を重ねている。それらと私たち日本の中小企業が、これからどのような関係を取り結んでいくのか。21世紀が深まるほどに、興味深い枠組みが形成されていくことになろう。そして、私たち日本の中小企業が、それに挑戦的になれるかどうかが問われることはいうまでもない。

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