職場の心理学 [134]
成果主義下で起きる
「逆算評価」という不条理
成果主義制度の設計図を構築することに腐心してきた。しかしながら、
いまだにこの制度が現場でうまく機能しないのはなぜなのだろうか。
成果を出した人が
高報酬を得ることを許容する風土
成果主義を導入している企業が7〜8割を超えるといわれているなか、その成否をめぐる議論が企業内だけでなくマスコミを巻き込んで続いている。とりわけ上司と部下の「評価」に関する混乱ぶりはいまだに消え去ることはない。
この現象を象徴するような一幕が今年2月、企業経営者向けのセミナーであった。分科会の冒頭で、日本IBM会長の北城恪太郎氏は国際競争力をつけるための日本企業の経営課題として真っ先に人事制度の変革、つまり成果主義の導入を挙げた。会社にとって有用な人材を評価し、責任ある仕事を与え、給与で報いることが重要だというのである。
「成果とは何か。決して単なる売り上げや利益の目標に対して上回ったかどうかだけが成果なのではない。それ以外にチームワークがきちんとできる人物なのか、自分の部門が不利になっても時には他の部門を支援し、会社全体の利益を考えて意思決定し、行動したのかというのも成果だ。評価の客観性、公平性、科学性というが、人が人を評価するときに大体数値項目を並べて、丸がいくつあり、100%達成したから評価がAと機械的にやることではない。ではIBMではどうしているか。上司が気分で決めている。年初に一応目標を設定するが、それがどう達成されたかは一番上司が知っているものだ。この人間は成果を上げ、能力を発揮したか、つまりチームワークがよかったか、人材の育成に力を入れたかなどいろんなことを全人格的かつ多面的に評価している」(社会経済生産性本部「東京トップ・マネジメント・セミナー」2月3日)
この北城氏の発言に対し、参加したある経営者からこんな意見が飛んだ。
「当社もコンサルタントを入れ、相当な金と時間をかけて成果主義をつくり上げた。しかし、いざ動かそうとするとまったく動かない。なぜか。数値項目を並べて評価し、現実に出てきた点数はわれわれが思っている感覚とまったく違う結果になってしまう。つまり、この部下は使える人材と思っても、出てきた数字は違うのである。社内ではこんなものは使えないと、大反対を受けているが、当社が相当の金と時間をかけてやっても使えない。日本で行われている成果主義は間違った方向に向かっているのではないかという気がしてならない」(同)
この企業の混乱ぶりが見てとれるようだ。しかし、経営者の極めて切実な問いかけに対し、北城氏は「年初に部下と話し合って目標を書き、できるだけ数値化することが好ましいが、達成した点数だけが評価ではない。何が達成され、何が達成しなかったかという点を本人に指摘し、総合的評価を本人の目の前で行えば問題ないのではないか」と先と同じような発言を繰り返すにとどまった。
印象深いのは、成果主義を機能させるための処方箋を切実に求める経営者に対し、成果主義運用の正論を述べて受け流すような北城氏の回答との噛み合うことのない“奇妙な乖離”である。北城氏が処方箋を説明するのを決して避けたわけではない。この乖離を換言すれば「IBMでは成果主義は機能する環境にあるが、発言した経営者の会社では機能する環境が成立していない」というものだ。
成果主義が機能するには単に制度や技術論ではなく、その背後にある成果主義の思想を受容できる風土があるかどうかである。つまり、がんばって成果を出した人間を周囲が称える風土であり、その人間が年齢や先輩・後輩の上下関係に関係なく、昇進し、高い報酬を得ることを許容する風土であるかどうかである。
しかし、年功型人事制度から成果主義に移行してまもない日本企業の多くは、いまだに横並び意識や先輩・後輩の上下意識が根強く残っている。逆にそうした風土だからこそ、およそ実現不可能な“誰もが納得できる客観的評価基準”を追い求めようとする。その結果、定量化=点数化する複雑かつ精緻な基準をつくり出し、社員の反発や批判を浴びるたびに修正を繰り返すという技術論のジレンマに陥っているのではないかという気がしている。
一口に成果主義といっても具体的な制度内容は個々の企業によって異なる。成果主義導入当初は、若い世代を中心に賛成論が多数を占めるという現象が起こった。「年齢や勤続年数に関係なく、実績・成果に基づく処遇制度を実現します」という企業が掲げた謳い文句に多くの社員が単純に共鳴し、支持を集めた。
とりわけ、たいした成果を出さないわりに高い報酬額を受け取る年輩社員に日々不満を抱いている若年層の社員は歓迎した。その背景には単に年功型賃金への反発というより、倒産や経営不振など会社の先行き不透明感が漂うなかで、若年層の賃金を抑制し、40代以降の世代の賃金を手厚くすることで帳尻を合わせる“賃金の後払い”的構造だと、いずれもらえるべき賃金がもらえなくなる可能性もあるという心理も働いていただろう。
組織ぐるみの
理不尽な不正行為も
しかし、いざ会社が導入すると、夢に描いていた成果主義と現実との落差を目の当たりにすることになった。若年社員と年輩社員の“世代間格差”が一向に埋まらないばかりか、成果主義とは名ばかりで、がんばって成果を出しても給与は以前とさほど変わらない。あるいは同期・同一役職間の格差が極端に拡大し、以前に比べて逆に給与が減少する事態も発生した。その格差も納得できるものであればいいが、格差の原因である上司の“評価”に不満を抱く社員が増大した。
成果主義を正常に機能させる要件として、「公正・公平」「透明性」「納得性」の三つがよく指摘される。確かに成果=賃金を獲得するには公正・公平な競争環境が用意される必要があり、成果を検証する手続きの透明性が確保されなければ完全な“自由市場”とはいえない。
しかし、この要件を担保するのは至難の業である。人事部は制度導入に際し、管理職が恣意性を排除して適正な評価が下せるよう「評価者訓練」を施し、客観的な評価を行えるようにできるだけ評価結果を定量化=点数化し、さらに評価結果の本人への開示による納得性を高めるなど腐心している。にもかかわらず問題は発生する。
こうした問題の背景には会社の評価指針の不備もさることながら、評価に臨む管理職の姿勢がある。社員の報酬に直結する評価を下すことはかなりのエネルギーを必要とする。
大手小売業の人事部長は導入初期に実際に社内で起きた現象をこう語る。「目標管理シートを与え、達成度に応じて評価できるようにしたが、最終的な評価は皆同じになってしまう。つまり昇給額も同じになり、以前の制度と変わらない結果になったのです。どうも管理職の側に格差をつけることで部下に疎まれたくないという心理が働くようです。評価結果のフィードバックにしても説明するのを怖がる上司もいます」。
もちろん、給与や昇進に直接跳ね返る成果主義人事制度下の評価では上司の情実や不正が介在しないような工夫も凝らされている。たとえばある中堅企業の営業職の部下(一般社員層)の昇給評価の項目には「営業計画」「有効提案」など10項目に各二つずつの具体的な評価項目が記載されている。計20項目について5点満点で評価し、最後に平均点を出す仕組みとなっている。
そして上司の不正行為や評価の“甘辛評価”を防止するために、この会社では評価をするのは直属の上司だけではなく、関連部署の上司と直属上司の上の上司の計3人が同時に評価することにしている。具体的には各自の評価点を直属上司が50%、他の2人が25%とウエート付けして、最終的な評価点を算出する。それを基に部門の社員の相対評価でA〜Eの5段階で昇給金額を決定することにしている。
だが、大手企業では一人の部下のために評価者の人数を割くことはむずかしい。勢い評価項目を増やし、評価の基準を具体的かつ明確に示して、客観的評価を心がけさせるようにしている。
しかし、抜け道もある。その一つが禁じ手とされる“逆算”評価だ。たとえばかわいい部下を昇給・昇進させるために、あらかじめ合計点数を決めておき、それに達するように各評価項目の点数を意図的に操作する方法である。ある部下をA評価にするのに合計80点以上の評価点数が必要だとする。そのために各評価項目ごとの点数について他の社員の点数との整合性をとりながら、微調整を行って、80点になるようにするのである。
この逆算評価が今、大きな問題点になっている。大手企業の人事部長は「期初に目標を設定し、達成度で給与を決定する業績評価を導入しても、全員がほぼ同じ点数になるように操作して、メリハリがつかないという問題も少なくありません」と指摘する。
しかし、数多くの評価項目があるなかで、一人ひとりを念頭に置いて“逆算”評価するのも大変な作業である。だが、この逆算評価も時と場合においては許されるのではないかという管理職もいる。
「ライバル心も旺盛で、仕事も懸命になって働く二人の同期の部下を抱えていたとする。当社は総合点で86点以上をとったAランクが昇格の条件となるが、1人の部下はAをとったが、もう一人は85点でBとなった。評価結果通りなら、2人は今後1年差で昇格していくことになるばかりか、ライバルの一人は『あいつに負けた』と思い、クサってしまうかもしれない。1点差を調整することで部下のモチベーション低下を防ぐことはいいと考えている」(不動産会社部長)
人事評価はあくまで社員活性化の手段と考えれば、微妙な評価の調整はあってもいいという考えだ。これだけならいいが、じつは現在、多くの企業で組織ぐるみの不正行為が続発している。外資系企業の人事部長はこう告白する。
「ひどい話なんですが、部署を異動したり、関連会社に出向する人間が事前にわかると、本人の評価をA評価からD評価に極端に下げることをやっていたのです。つまり、評価を下げて浮いた人件費原資を同じ部署の残った社員に分け与えようということなんです。出ていく人間より残っている人間がかわいいと思ってやるんでしょうが、評価を下げられて異動する社員は、最初からできないやつが来たという目で見られます」
じつはこの証言を初めて聞いたとき、この会社だけ特別なのではないかと思った。とくにセクショナリズムの強いボスが率いる外資系特有の現象なんだというぐらいに感じていた。ところが日本企業でも行われている。電機メーカーの人事部長は自らの体験をこう語った。「よその部署から人事部に異動してきたんですが、なんと最低評価だったのです。そこの部門の部長を呼んで問い質したところ、『いやすいませんでした。課長がつけたのを見ていませんでした』と言うのです。こっちは『見ていなかった、ふざけるんじゃない、もう一回調べ直してこい!』と叱りつけたんです。結局、最後は、人を出すから財源を少しでも確保するためにやったんです、と言ってきました」
部門の論理で社員の評価がいとも簡単に蹂躙される。成果主義評価がいかに機能するかがむずかしい象徴的な事例だろう。
こうした現象は、前述したように成果主義の成功は単なる“箱物”の整備だけではすまないということを示唆している。これまで多くの企業は制度内容に焦点を当て、たとえば評価の仕組みや基準がいかに客観的であり、精緻であるかという“設計図”の構築に腐心してきた。
しかし、成果主義を機能させるには設計図自体はほとんど意味を持たないばかりか、逆に弊害となりかねない。重要なのは企業の描く理念やビジョンと成果主義の思想が一致し、それが社員にどこまで浸透しているか。さらにそうした風土・文化における管理職のマネジメント能力の質こそが成果主義の成否を握っていることを改めて痛感する。











