「官製談合」を抜け出せないミドルの苦悩
なぜ、これほどにも大規模な談合を長期にわたって続けることができたのか。
脈々と受け継がれる慣習の中で、中間管理職の罪意識が希薄化し、
とても一人では破壊できない強大なシステムができあがった、と筆者は考える。
談合維持が難しい三つの理由
鋼鉄製橋梁工事を巡る巨大な談合事件が注目を集めている。捜査が進行して事実関係が明らかになるまでは様々な判断を避けるべきなのだろうが、今回はこの事件について教科書的に思考を巡らせてみよう。
現在までの報道では、今回の談合は買い手側が積極的に関与して組織維持"努力"を行った「官製」のものだという。実際、今回の談合事件を見ていると、官製以外では成立・維持が難しい特徴がいくつも見られる。アメリカ製の教科書が教えてくれる談合維持の難しさを多少強引に簡略化してまとめるなら、次の三つである。
(1)規律の維持:メンバー企業に約束を守らせる強制手段がない
(2)企業数:企業の数が多く、多様であると、利害調整が難しい
(3)動機付け:そもそも普通の雇われマネジャーたちに違法行為を取らせるのは難しい
そもそも談合組織で規律を維持するのは難しい。なぜなら、非合法なことをやっている無法な他社を本当に信用できるのか、という問題に「普通」の談合は直面するからである。
たとえば、本来は自分の番ではない企業が安値を入札して「チャンピオン」になってしまうという抜け駆けが起こったとしよう。このとき、「普通」の談合であれば、抜け駆けした会社を「契約違反」として裁判所に訴えることは、もちろん不可能である。また、「表がだめなら裏で」と考えて暴力団を雇って「処罰」を加えるという手も考えられないではないが、暴力団を雇えば「ゆすり」などによって、かえってすべての利益を巻き上げられてしまう。だから普通の談合では規律の維持は難しいのである。
しかし、官製談合であれば問題は一気に解決する。抜け駆けした企業に対して買い手側が罰を与えればいいからである。技術的なスペックを特定企業に不利に変えたり、過去の橋梁の不具合についてことさらに問題視したり、他社には流す予定価格を知らせなかったり、といった罰を抜け駆け企業に与えることが官製談合では簡単にできる。
企業数の多さも、本来なら談合を成立しにくいほうに作用する要因である。企業数が多ければいつ誰が裏切るかわからない。誰かが裏切るという恐れがあれば、皆先に裏切ろうとするから、談合を維持することは難しい。しかも多数の企業が参加すれば、それぞれ事情が異なる企業が含まれるようになるから、すべての企業が納得する受注割り当てが成立しにくくなり、自分勝手に振る舞う会社や抜け駆けする会社が出てくる。だから企業数が多くなると談合は成立しにくくなり、成立したとしても早めに崩壊すると教科書には書いてある。アメリカで明らかになったカルテルの参加企業数は典型的には4〜5社であり、8社以上のものが存続した例はほとんど見られないといわれている。
これに対して今回の談合は参加企業数が多い。K会が17社、A会が30社、合計すると47社もある。二つの「会」に分離はしているが、互いに相手の「会」が存在していることくらいは知っていたと推測されるから、互いに相手の存在を「タレ込まない」という合意が守られてきたとすれば、非常に大きな談合が維持されてきたことになる。
これだけ数多いメンバー企業が長期間加盟していれば、各社それぞれに異なる事情を抱えていたはずである。なかには倒産したり、倒産しそうになったりした会社もあるだろう。つぶれそうな会社は長期的に存続することを考えずに、今を生き残ることだけ考えるので、異常な安値をつけてでも受注したくなる可能性が高いといわれている。そういう会社まで含めて、これだけの数の会社が統制の取れた談合組織として長期にわたって行動してきたという点で、今回の談合事件は非常に強い統制の下に置かれてきたと考えられるのである。
いや、逆に、今回の談合事件が「官製」であるのならば、むしろ参加企業数が多いことは、買い手側の企業の統制力強化に有利に働くとも考えられる。たとえば橋梁メーカー側が2社しかなければ、互いに得意分野に特徴を出すことですみ分けし、事実上の独占状態に持ち込むこともできたであろう。そうなれば違法な談合などしなくても合法的に利潤を獲得することができたはずである。逆に橋梁メーカー側の数が多ければ、一つひとつの企業は弱体であるから、すでに出来上がった官製談合に対抗することは非常に難しいであろう。
「官製」の組織化がなければ
激減していた企業数
本来、成熟・衰退産業における競争戦略の基本は業界全体の生産能力の縮減と互いのすみ分けである。吸収合併を繰り返して企業数を減らし、業界全体がピーク時に持っていた生産能力をドラスティックに合理化し、残った企業が互いに異なるニッチにすみ分けていく、というのが基本方針である。だから、「官製」の組織化努力が存在しなければ、どこかの時点で技術力・コスト力・体力勝負の競争やM&Aによって、47社も存在する企業(その他も加えるともっと多くの企業)が数社程度に減っていたはずである。「国内の業者を育成する」という美名の下に、実は非常に弱体な事業体を多数存続させ、意図のうえではともかく、少なくとも結果的には、買い手側のパワーが維持されてきた、ということではないだろうか。
官製であろうがあるまいが、アメリカ製の教科書を読んでいて、今回の談合事件を考える場合に最も違和感を感じるのは三つめのポイント、すなわち「雇われ管理者たちを非合法活動にし向けることが難しい」という指摘である。
教科書のいうところを簡単にまとめれば、次のようになる。自分自身で所有し、経営している会社であれば、談合の利益を一番多く手に入れられるのは自分自身である。だから個人所有の会社であれば談合が成立しやすい。しかし、雇われ管理者が法を犯すリスクを取って談合を行っても、彼が手に入れる報酬はそれほど大きくないはずである。
もちろん業績別に各事業部長が手にするボーナスが大きく異なるのであれば、雇われ管理者も談合のメリットに惹きつけられるかもしれないが、今回の談合に関与したとされている大規模企業にそのような極端な事業部別のインセンティブ・システムが長年維持されてきたとは考えにくい。おそらく管理者たちの個人的インセンティブに基づいて談合の議論を行うこと自体がアメリカの教科書と日本の実態との大きな相違なのだと思われる。
むしろ、アメリカ製の教科書で想定されている「普通の雇われ管理者」と日本の管理者は異なると考えるほうが素直だろう。型にはまった一般論になってしまうが、やはり長期雇用の下で長年同じコミュニティに属しながら社員の雇用を守って生きていくという日本的な管理者たちの場合、雇われ管理者でありながら、代々伝えられてきた「官製談合」を受け容れざるをえない立場に置かれる、ということである。少なくとも筆者が同じ立場に置かれていたら、残念ながら同じ行動を取ったと思われる。
自分の利益ではなく
「悪しき慣習」を守るため
おそらく今回の事件で、自分の個人的な利益を追求して談合に加わっていた人は一人もいなかったのではないだろうか。試みに、いったい誰がどの程度の利益を手に入れたのかを考えてみればよい。ある報道によれば、談合がなければ落札価格は平均18.6%低下するから、道路公団関連で企業側が得た不当利益は2004年度に約157億円、03年度には95億円程度であると推測されるという。このお金はいったい誰のポケットに入ったというのだろうか。橋梁メーカー側の部長クラスが何億円もの利益を手にしたのだろうか。
もちろん、ここから先はすべて推測にすぎないが、誰か一人がその超過利潤を手に入れたわけではないであろう。結局、どこかの政党や政治家に流れたという可能性はあるものの、企業人や公団職員で巨額の利益を手にした個人はいないのではないだろうか。おそらく、橋梁メーカー側の中間管理職の視点からすれば、自分の所得のためでも、自分の出世のためでもなく、ただ多くの人の雇用維持のために非合法行為に携わるようになっていったのではなかろうか。たとえば、「下手をすると自社のみ取引から外され、皆を路頭に迷わすことになるかもしれない。雇用を維持し、皆とその家族を食わすためには、いたし方のないことである」とか、「この時点で自分が自首して談合を明るみに出してしまうと、今の社員ばかりでなく、すでに退職した先輩たちを有罪にすることになるかもしれない」「自分ばかりでなく、先輩たちもそうやってこの事業と従業員を守ってきた。その構造と歴史を自分が一人で壊せるものではない」といった思考が頭の中を巡っていたのではないだろうか。「皆のために泥にまみれる」という意識以外に、橋梁メーカーの中間管理職をこの事件に連座させ続けてきた合理的理由を考えることは、少なくとも筆者には難しい。
公団の幹部も、巨額の富を得ていたわけではあるまい。先の落札価格の下落率を用いて考えると、公団OBが役員に就任しているK会17社中15社は過去5年間で200億円を超える金額を受注していたというから、天下り一人当たり37億円、年間に直すと7億円強の超過利潤を得ていたことになる。もし公団のOBたちが自分の利益を確保するためなら、一人当たり数億円の退職金をもらったほうがずっと合理的である。
おそらく彼らにも、自分の所得や自分の天下り先の確保よりも、「先輩たちの天下り先での立場・メンツを考えて受注できるようにしなければ」とか「後輩たちが今後公団を退職後もその能力に合ったふさわしい仕事場を確保するために」といった意識が作用していたのではないだろうか。あるいは、「特定の橋梁メーカーが受注できなくなったり、入札金額が低くなりすぎれば、多くの企業が倒産し、多数の人が路頭に迷うことになる。日本の技術を細々とでも存続させるためには、これが必要なのだ」という考え方もあったかもしれない。
自分の利益のために法を犯しているのではないケースでは、当事者たちの間に「違法である」という意識はあっても、「本当に倫理的に悪いことをしている」という意識は希薄化する。何代もの引き継ぎ期間を経た後に出来上がっている構造の中では、皆の罪の意識が希薄化し、周りの人々が現状を当然視するものになり、とても一人のミドルに破壊できるほどの単純なものではなくなっていく。
当事者たちのほとんどが自分では破壊することのできないシステムに囚われた状況に陥れば、それを解決できるのはそのシステムの上位者のみである。ここでシステムの上位者とは、公団でいえば総裁と理事、会社でいえば社長、そこで解決しなければ司法である。もちろん、過去と決別する決断は総裁・理事や経営者たちにとって難しいに違いない。しかしその難しい決断を行わなければ、結局、一番弱いミドルにしわ寄せがくるということになる。「結局は社長一人の責任」という松下幸之助の言葉の重さを考えさせる事件である。











