京都・祇園に学ぶ
「アンバンドリング」という手法
仕事をする人の緊張感をも高め、勤労意欲を高めることにもつながる、と筆者は考える。
では、そのためにどうすればよいか。
実は、京都・祇園の花街にヒントがあった──
お茶屋、置屋、仕出屋と
分業化するメリット
かつては日本の各地に花街があったが、その多くは衰退してしまった。芸妓さんの芸を楽しみながら飲食をするという文化は過去のものになりつつあるというべきなのだろうか。ところが京都の祇園はまだ健在である。他の花街と違って祇園が生き残ることができたのはなぜだろうか。神戸大学経営学大学院博士課程の西尾久美子さんは、その原因を探る手がかりとなるような祇園の研究を進めている。この冬には博士論文がまとまるが、彼女の研究で注目すべき要因は二つある。
一つは、アンバンドリングという事業の仕組みとそれを支えるリバンドリングサービスの存在。もう一つは、芸妓舞妓への教育、とりわけ基礎教育の充実である。
祇園は、接客サービスをさまざまな要素に分解(アンバンドル)して外部化(アウトソーシング)している。その典型は、芸妓舞妓のサービスのアンバンドリングである。祇園では、芸妓や舞妓を料亭で雇用するのではなく、置屋に置いている。大阪のミナミには、昔は置屋があったが、置屋の経営が成り立たなくなってしまったので、高級料亭に芸妓を置くことになった。そのためにかえって衰退が早められてしまった。料亭で芸妓を雇ってしまうと芸が磨かれないのである。格式のある料亭に雇われている芸妓は、芸がなくてもお客がついてしまう。芸を磨くことに対する圧力が働きにくいのである。他方、置屋にいれば、芸がないとお呼びがかからない。だから芸妓や舞妓を置屋に置いて競争原理を働かせることで、芸妓に芸を磨かせることができる。これは日本の花街の共通の知恵だったのだが、それをうまく守りぬけたのは祇園だけだった。アンバンドリングのもっとも明確な効果である。
祇園のアンバンドリングがさらに徹底しているのは、料理もアンバンドルされていることである。祇園の料亭は自ら料理をつくらず仕出屋から料理を取る。だから祇園の料亭は、料亭ではなく、お茶屋と呼ばれる。仕出屋はおいしい料理をお茶屋にタイムリーに提供できなければ、存在意義を失ってしまう。料理人も精進せざるをえないのである。
専門力を高める
祇園の「接客システム」
以上で述べたことのほかに、一般論として、アンバンドリングには、表に示したようなさまざまなメリットがある。第一のメリットとして、アンバンドルされた業務に特化する企業は、ある仕事だけに集中せざるをえないため、自力で生きていかなければならないという緊張感が生み出される。このような緊張感は以下に述べるさまざまなメリットの源泉となる。とりわけ効果が大きいのは、独自能力(コンピタンス)を確立し、強化する圧力があることである。独自能力がないと仕事が取れない。仕事が取れても利幅は小さい。これを第二のメリットとして挙げることができる。アンバンドリングによって集中特化していれば、厳しい要求を持った顧客からの情報を自然に集めることができるというメリットもある。
また、社内でバンドルされている場合と比べると、アンバンドリングによって市場競争原理をうまく使うことができるというメリットも出てくる。これも仕事の緊張感を高める効果を持っている。当然のことながら、この効果は、同じ仕事をしている競争相手がいる場合には、さらに明白となる。がんばらなければほかに取られてしまう。
集中特化することの当然のメリットとして、専門性を高めることができるという効果がある。狭い領域に特化すれば、専門能力が高まるのである。
多様な活動を自社内でバンドルしている場合と比べると、アンバンドリングによって社外の企業を使えば、固定的な人件費が少なくてすむ。固定費が小さければ、事業体の伸縮自在性が高まるというメリットがある。好不況の波にも耐性があるのである。
専門特化と競争が生み出す企業としての緊張感の高さは、仕事をする人々の緊張感をも高め、勤労意欲を高めることにもつながる。それだけではない。専門特化した企業には、その仕事が好きだという人々が集まってくるので、自然と仕事意欲が高まるという効果もある。
これらのメリットは、買い手の側に十分な知識があるときは価値があるが、買い手に十分な評価知識がない場合にはよいサービスの束がつくれないために、これらの効果を生かしきれない。香港に鯉魚門≪レイユームン≫という海鮮料理の集積地がある。ここでは、アンバンドリングが行われており、顧客は魚屋で魚を買って、それをお気に入りの料理屋に持っていって調理してもらって賞味する。香港でビジネスをしている従兄弟につれていってもらったときに食べたシャコのにんにく炒めの味が忘れられない。興味深い場所だが、私のように知識を持たない人間が行くと、そのよさを生かせない。このよさを楽しむには、知識を持った人につれていってもらうしかない。
アンバンドルしたサービスの評価のためには、二つのレベルの知識が必要である。一つは、個々のサービスの独立した評価のための知識である。第二のレベルは、サービスの組み合わせの評価のための知識である。サービスの組み合わせが、よい相乗効果を生み出すこともあるし、マイナスの相乗化をもたらすこともある。せっかくよい魚を買っても、その魚に合った料理ができる店を知らないと、宝の持ち腐れになってしまう。二つのレベルの評価のうち、後者の評価のほうが格段に難しい。この評価をうまく行うためには深くて広い経験と知識が不可欠である。ここに、ばらばらにしたサービスを再びまとめるサービスが出現する余地がある。このようなサービスをリバンドリングサービスと呼ぶことができる。祇園の場合、このリバンドリングを行っているのがお茶屋である。お茶屋は、さまざまなサービスの質のよしあし、組み合わせのよしあしを評価して、サービスのリバンドリングを行う。お茶屋はたんによい組み合わせをつくるだけではない。お客の好みを知って、顧客の好みに合うようにリバンドリングを行う。京都では一見さんを入れない店が多いといわれているが、初めての客は好みがわからないために、どのようなサービスの束をつくればよいかがわからないからであろう。
適切なリバンドリングのためには、顧客の好みを知らなければならない。そのためには顧客と長い付き合いをしていなければならない。自分の好みを知ってくれているお茶屋は顧客にとってもありがたい存在である。
即興的協働を支える
女紅場での「基礎教育」
祇園のこのシステムは、他の産業にも示唆的である。さまざまな産業でアンバンドリングが進められている。伝統的にアンバンドリングが行われていたのは、建設業である。コンピュータや情報サービス、通信でもアンバンドリングが進められている。電力の自由化によって電力産業でもアンバンドリングが行われつつある。アンバンドリングには表にまとめたような利点があるからである。
しかし、顧客は個々のサービスや商品ではなく、それらの束を欲している。上手に束をつくることができなければ、アンバンドリングも効果がなくなる。したがって、アンバンドリングが行われているところでは、リバンドリングサービスが成立する可能性があるのである。建設業における設計事務所、コンピュータや通信におけるシステムインテグレーションサービスなどがその典型である。自動車産業で部品をコンポーネントにまで組み上げてから自動車会社に供給するという方式が取られるようになったのも、リバンドリングサービスの一種であると考えることができる。
祇園のシステムの中で西尾さんが注目しているもう一つの要因は、祇園の教育システムである。彼女によれば、祇園の芸妓舞妓は、現役である限り、女紅場≪にょこうば≫という学校に通い続けなければならない。この学校では、舞、謡、お茶、お花などについて基礎的な教育が行われる。お茶屋でのOJT、先輩の指導による置屋での実践的練習のほかに基礎的な教育が行われているのが、祇園の特徴である。
祇園の芸は、お客の好みに合わせた、複数のメンバーによる協働的な即興芸である。誰と協働するかは、現場に行ってみないとわからない。しかもリハーサルなしで簡単な打ち合わせだけで協働を行わなければならない。お客の好みをその場で感じ取って、それを芸に反映させなければならない。柔軟で高度な即興的協働が要求されるのである。このような即興性を支えているのは、基礎教育だと西尾さんはいう。
この西尾さんの研究成果は、経営教育にも貴重な示唆を与えている。経営の現場で要求されるのは、状況に合わせた高度な即興的協働である。このような協働を支えるのは、たんなるOJTではなく、基礎教育である。このような基礎教育こそ大学が得意とするものである。実際に大学院のMBAコースに通う人々が本当に求めているのは、このような基礎教育である。基礎がしっかりしているから柔軟な応用が利くのである。残念なことに、このことを文部科学省はまったく理解していないようである。経営教育は、専門職大学院という形で応用重視で行うべきだと考えているようである。実務経験のない学生を教育する法科大学院と同じ基準を経営学大学院に適用しようとするからこのような間違いを犯してしまうのである。経営学大学院だけではない。応用重視の教育は、即興的な対応力を持つ法律家をつくるのにも向かないであろう。











