ビジネススクール流知的武装講座
上場しない「長寿企業」が
元気な理由
不祥事を起こし再建に手を焼いている大企業が少なくない中で、
上場しないで堅実に経営している長寿企業が関西に多く見られる。
その中には、1400年以上の歴史を誇る会社もある。
それらの長きにわたり生き残ってきた企業には、
大企業が学ばなければならないさまざまな知恵が隠されている。
「まず戦略ありき」はビジネスの常識か
企業の平均寿命は
40年から50年
和歌山の和菓子会社、駿河屋の社長が架空増資の疑いで逮捕された。同社は、室町時代に創業された長寿企業である。おそらく上場企業の中ではもっとも長寿の企業だろう。社長の行ったことの愚かさに驚かされるとともに、同情も禁じえなかった。500年以上続く老舗ののれんを預かる長寿企業の社長にかかるプレッシャーの大きさを考えれば、窮余の一策に頼ろうとした気持ちが痛いほどわかるからである。長寿企業を受け継ぎ、それを次の代に引き渡すという仕事は大変な仕事なのである。たんなる守りだけでは企業の存続はおぼつかない。だからといって下手に攻めると企業の存続が危険にさらされる。
日本の会社の寿命は35年だといわれた時期がある。米国のフォーチュン500社を対象にした研究によれば、その平均寿命は40年から50年であるという。企業の平均寿命は意外に短く、日本人の平均寿命よりもはるかに短いのである。
ところが、日本の地場産業には、長寿企業が数多く存在している。近畿地方には、長寿企業がとくに多い。なかでももっとも長寿なのは、大阪の金剛組であろう。金剛組は、聖徳太子の命を受けて西暦578年に百済の国から招かれた3人の工匠のうちの一人、金剛重光によって創業された。それ以来、四天王寺の宮大工として1400年以上の歴史を持っている。日本でももっとも長寿の会社ではないだろうか。世界的にも珍しい長寿企業である。古すぎて資料が残っていないため、公認の記録にはなっていない。この金剛組と比べると他のどんな長寿企業も若く感じてしまう。同じ宮大工をルーツにする会社では、竹中工務店も古い。織田信長の家来だった竹中藤兵衛正高によって1610年に尾張の国で創業されている。その後宮大工としての歴史を守り、明治以降は神戸・大阪に本拠を移し、総合建設会社に脱皮した。まもなく400周年を迎える。
清酒醸造業にも多くの長寿企業が見られる。京都伏見では、1637年創業の大倉酒造(現・月桂冠、ブランドも月桂冠)があるし、灘では、1662年創業の辰馬本家酒造(ブランドは白鹿)、1711年の大関、1717年創業の沢の鶴、1743年創業の白鶴酒造など、長い歴史を誇る企業が多い。なかでもとりわけ長寿なのが1550年創業の伊丹の小西酒造(ブランドは白雪)である。
その他の産業でも、京都では、呉服卸の外与《とのよ》が1700年創業であるし、寝装品の京都西川は1566年の創業である。金粉金箔の福田金属箔粉工業も、1700年の創業である。
こうした長寿企業は、どのような経営を行っているのだろうか。そのヒントを与えてくれる研究がある。
世界中で100年以上の歴史を持つ長寿企業がどのように経営されているのかが調査され、その成果が『リビングカンパニー』(日経BP社)として出版されている。それによると長寿企業には4つの共通点がある。
第1に、環境の変化に対して敏感であること。第2に、長寿企業には強い結束力があり、企業組織全体の健康状態を大切にする経営者に経営をゆだねていること。第3に長寿企業は、連邦型の経営を行って現場の人々の判断を大切にしていること。第4に、長寿企業は、資金調達に関して保守的で質素倹約を旨としていること。
このうちのいくつかは、日本の長寿企業にも当てはまる。日本の長寿企業がどのような経営をしてきたのかを知ることは、経営の長期的な健全性を考えるうえで貴重なヒントになる。
日本の長寿企業も、時代の変化に対して敏感である。それだけではない。変化への対応に際して、自社の基軸を大切にしている。伝承された技術やノウハウが利用できる範囲でしか仕事をしていない。清酒醸造会社の多くは、明治になり、全国市場が成立するとともに、瓶詰めの酒を出荷し、自社ブランドを確立した。戦後は、焼酎、地ビールやワインなど、他の酒類にも進出している。最近では飲食業にも進出している会社が少なくない。酒だけではなく、飲酒文化を売り始め、製造業からサービス業に変わり始めた。しかし、多くの酒造企業は、清酒事業あるいは醸造業という基軸を大切にしている。
他の業種の長寿企業も同様である。京都の福田金属箔粉工業は、もともとは仏壇や織物、蒔絵用の金箔や金粉の製造販売を行っていたのだが、最近は、携帯電話機用の金属箔に進出し、環境の変化に対応している。外与も、もともとは呉服問屋であったが、最近は、婦人ファッション全般に事業を広げている。
金剛組も、建築技術の変化に対して敏感である。近年は木造だけではなく、鉄筋コンクリートの寺社建築技術を生み出している。技術の伝承は、たんに古い技術を守り続けるだけでなく、技術進歩や環境変化に対して新しい技術を生み出し、習得することも含むのである。
人を大切にする経営の効用
日本の長寿企業も働く人々を大切にしている。人は、2つの意味で大切である。1つは、予期できぬ危機への対応のためには人が必要だからである。長寿企業は、長い歴史の中で、大きな危機に何度も遭遇している。こうした危機には、事前に準備をしておくということが難しい。このような危機に対応するには、強靱な人を残しておくことが必要である。中国には、「来年のことを考えれば金を残せ、10年先のことを考えれば土地を残せ、100年先のためには人を残せ」という諺があると聞いたことがある。何が起こるかわからない将来のためには、資産ではなく人材を残しておくことが不可欠である。
息子が有能でなければ、若隠居をさせ、養子を取るということも行われている。それでもこの人物が誤った判断をしてしまうことがある。金剛組の金剛喜定は、明治初期に年少の息子に遺言を残している。それが同社の社訓として受け継がれている。「どんなことがあっても親類が集まり、相談の上、万事取り計らいをし、自分勝手なことはしないようにしなさい」という注意を与えている。
企業の独自の力の源泉となるのは、企業の中に蓄積された技術やノウハウである。それは多くの場合、人によって担われる。独自能力を残すためには人を育てなければならないのである。
人を大切にするというのは人を甘やかすことではない。内部で厳しく鍛え、時には内外のライバルと競わせながら厳しく育てることを大切にするということである。清酒醸造業の場合は、杜氏集団に技術を担ってもらうことによって技術を伝承している。杜氏はいわゆる常用従業員ではないが、社外にいることによって競争原理が働くし、従業員以上に技術に対する真剣さを持っている。
人に関する長寿企業の共通点は、人の弱さをよく知っていることである。それがもっとも端的に表れているのは、後継者選びと資産の継承についてである。長寿企業の多くでは、企業の経営権を一人の男子に継承させるという慣行を持っている。この慣行はいわゆる田分け、つまり資産の分散をさけるという効果をねらったものであるだけでなく、複数の兄弟が継承した場合に生じがちな内紛をさけるという狙いもある。「兄弟は他人の始まり」ということばにもあるように、兄弟の間ではもめ事が起こりやすいのである。
経営史家の故・宮本又次教授は家訓を積極面と消極面に分けておられる。消極面では、奉公・体面・分限の3意識について、人間の弱さについての警告を与える家訓が多い。
日本の長寿企業では、事業の多角化はあまり行われていないので事業部制という形態での連邦型経営は行われていないが、現場の自立的仕事集団を尊重するという意味での連邦的経営は行われていた。
金剛組では、棟梁は力をつけると自らの組を組織し自立するという慣行がある。竹中でも、力のある棟梁は別家として独立することを許される。竹中の別家や金剛組の組はお互いに競い合いながら技術を磨いていくのである。竹中家では、この別家が脇棟梁となり、竹中家を支えるという構造が生み出されていた。1899年に竹中の神戸進出が可能となったのは、別家が呼び寄せに応じたため神戸でも左官や大工が確保できたからである。
このような小集団による技術の伝承は、上述した杜氏集団でも行われている。相撲の部屋、花街の置屋も技術や技能を伝承するための小集団である。社会学者や教育学者の間では、こうした小集団は実践共同体と呼ばれているが、なぜ実践共同体が技術や技能の伝承に向いているのか。この問題についての考察は別の機会に譲るが、深く考える価値のある問題である。
上場が企業の寿命を縮める
長寿企業の興味深い共通点は上場をしていないことである。一般的には、株式会社は、企業を永続的事業体として存続させるための重要な手段だといわれている。長寿企業は、法制度としての株式会社の制度を採用はしているが、そのもっとも大きな長所である上場による資金調達はしていない。竹中工務店は、総合的建設会社にまで成長しているが、上場はさけている。灘の企業の中で唯一上場していた忠勇は、独立企業としては存続できなくなり、丸金醤油(現・マルキン忠勇)の傘下に入った。上場は企業の長期的な存続にとってかえってマイナスだといえるのかもしれない。なぜそうなるのか。上場によって資金を得てしまうと、無駄な投資をしたり無理な拡張を図ったりしがちである。企業の中で始末ができなくなってしまうのだろう。駿河屋の悲劇への道は上場の段階から敷かれていたというべきなのかもしれない。
日本の長寿企業の多くは非上場企業である。上場して資金を得るという財務政策は採られていない。財務政策に関しては保守的なところが多い。資金の調達よりも、資金の始末が重視されていたのである。金を大切に使うことである。始末は吝嗇ではない。効果を考えながら、限られた資金を大切に使うことである。そのように自己資金を大切に使っておれば、資金需要が少なくて済むので、融資や投資という形の外部資金に頼らなくて済む。始末は近江商人の知恵でもある。京都の外与や西川は、近江商人である。











