ビジネススクール流知的武装講座
日本人技術者が根づいた
「深セン・民営中小企業」の魅力
よき頃の日本で見られた良質な中小企業とどこか似ていた。
それらの企業は、「友人キャピタル」や「親戚キャピタル」といった
人とのつながりにより資金を調達し、短期間に総資産を増やしていく。
バイタリティやハングリー精神といった言葉だけでは語り尽くせないその実態とは。
20年前の日本で見られた「企業の姿」
これから数年の中国研究の最大のテーマの一つは、2000年頃から登場し始めている本格的な「民営中小企業」ではないかと思う。1990年代の末にもてはやされた「民営企業」、例えば、総合家電メーカーの海爾(ハイアール)、テレビの長虹、通信機器のTCLなどの場合、どこか政府の影がつきまとっていた。
ところが、この数年、中国の各地で目立ち始めた「民営中小企業」は、全く違う。日本の「良き中小企業」と雰囲気が非常によく似ている。現在の日本ではなく、むしろ、20〜30年前の日本の各地で見られた「良質な中小企業」はこうだったのではないかと思わせるものがある。
その特質は何か。置かれている構造条件はどんなものか。そして、彼らはどこに向かっていくのか。そんなことがえらく気になり始め、これからしばらく、中国の各地の「民営中小企業」を追跡していくことにしている。おそらく、日本の多くの中小企業がこれから中国で付き合っていくべきは、このような「民営中小企業」ではないかと思う。
当面、私は、先に報告した大連(本誌2004年10月4日号)に加え、北京、無錫、温州、深セン〜広州の計5カ所に注目していく。それぞれ非常に興味深い動きとなってきた。今後、次々紹介していく考えだが、今回は昨年末に訪問した深センのケースを見ていくことにする。
シール印刷だと言われて訪問した正〓源実業有限公司は、深セン特区の外側の宝安区福永鎮の工業団地の中にあった。会議室のショールームには、京セラ、コニカミノルタホールディングス、オリンパス、ノキア、ルーセント、エリクソンといった外資企業から、康佳、海爾、波導などの中国の有力企業に納入したシールが展示されていた。このようなOA機器、通信機器等に貼られるシールは耐熱性、耐磨耗性などが要求される。それほど簡単なものではない。工場もキチンとしており、日本の有力企業と比べても、整理、整頓などは行き届いていた。
董事長(会長)は37歳の男性、総経理(社長)は35歳の素敵な女性であった。経営全体は総経理が取り仕切っていた。以前に電子、通信機器などの梱包などの仕事をしていたが、貼られているシールの品質が日本などに比べて相当に差があることを発見。01年3月、5人でこの会社を始めた。現在は従業員約110人となっている。
設立時の資本金は約4000万円。これは董事長と総経理の2人が出した。3年半たった現在、総資産は4億円と10倍になっている。深センあたりでは、このくらいのスピードは当たり前なのである。
総経理はもともと、内陸の湖北省の出身、23歳のときに出稼ぎのワーカーとして深センに来ている。その後、故郷に帰り猛勉強を重ね、地域の最有力校である華中理工大に進学。卒業後、改めて深センに戻り、ワーカー時代の上司であった技術者の董事長と結婚、2人で会社を立ち上げ、ここまできた。チャイニーズドリームというべきであろう。現在の中国では、こうした「いい話」が少なくない。
中国のローカル企業になった「香港系」
次に訪れたのが宝安区松崗鎮の力可興電池有限公司(LEXEL)という二次電池(ニッケル水素電池)のメーカーであった。対応してくれた総裁は41歳。雲南省出身で大学は名門ハルピン工大。その後、国営の研究所に勤めた後、改めて修士、博士課程に学び、さらに大阪大学に留学、そこで学位を取得している。中国に戻ってしばらくは珠海の民営企業で研究に従事、97年、友人たちと3人で出資(約1300万円)してスタートした。創立当初は従業員35人であったが、その後、急成長し、現在では1400人、生産能力は創立時に比べて100倍になっている。売上高は約20億円を計上している。ヨーロッパを中心とした輸出の比重が高い。
環境問題への関心が高まっている現在、世界の潮流は乾電池から二次電池、さらにニッカド電池からニッケル水素電池へと向かっている。将来の市場はさらに大きくなるだろう。創業わずか7年だが、この領域ではすでに世界の5〜6番目に位置し、数年中の世界のトップ3を狙っている。
また、深セン周辺の民営中小企業には日本人技術者がたくさんいる。このLEXELにも年配(56歳)の日本人技術者がいた。彼は大阪で自動機の設計、製作の会社を経営していたのだが、総裁に惚れ込み、会社を閉めて、2年前から技術顧問として単身赴任をしている。「環境を悪くしたのは自分の世代。これから良くするのも自分の世代」と語り、「この地の人力に自動化をうまく組み合わせて、数年中に、この会社を世界一にする」と意気込んでいた。
LEXELの近くの科迅精密有限公司(FORSON)は、香港系の金型、射出成形メーカーであった。このFORSONの成り立ちも興味深い。
当社の株主は2人(香港人の王氏と龍氏)。2人とも香港の日系金型メーカーに勤めていた。その後、龍氏は92年、深センで金型工場を設立。他方、王氏は香港で金型工場を設立していたが、閉鎖し、94年に龍氏に合流した。現在では香港は事務所があるだけであり、事実上、深センにすべてが移管されている。もともとは香港系だが、すでに中国ローカル企業といってもよいのではないかと思う。
当初はプラスチック成形金型専業で、目立った動きはなかったが、02年の頃からブレイクする。当時、日系のコピー機メーカーが、発注を日系の協力企業から中国ローカル企業に移し始め、当社はその波に乗った。金型に加え、射出成形を充実させ、現在では、従業員1600人、成形機134台(すべて日本製)という壮大な規模になっている。金型製作用設備は日本の同業者と変わらない。主力取引先はコニカミノルタ、エプソン、カシオ計算機といった日系企業で、売上高も日本円で約30億円規模になっていた。
このFORSONにも、完璧な中国語を繰る日本人技術者(39歳)がいた。彼は90年に日系の金型企業の進出に伴い深センに着任し、02年までそこに駐在していた。だが、その日系企業が倒産、日本に戻る気を失い、現地にとどまることを決意、2年前にFORSONに移籍している。日本の良質な金型工場で鍛えられただけあり、見事な集中力を発揮している。社内の雰囲気は日本国内の工場かと見紛うばかりであった。家族を香港に置き、土日に戻る生活スタイルをとっていた。「帰国する気はない。活気のあるここにい続ける」と語っていた。
別れ際に、「仮に、現在、あなたに対して全く同じ条件で、香港系、台湾系、日系、(中国)ローカル企業からオファーがある場合、あなたはどこに行きますか」と尋ねると、彼は「香港系か、あるいは、日本に実体が全くなくなった日系」と答えてきた。「台湾系は」と尋ねると「広東語はできるが、北京語ができないからダメ」、「ローカル企業は」と尋ねると「もう少しの時間が要りそう」と話していた。
総資産が2年で12倍に増大
夕刻におとずれた福永鎮の瑞達電源有限公司は、02年6月に創業したばかりだというのに、従業員520人、売上高約35億円規模の企業になっていた。
40歳の総経理は湖南省出身。深センで日系企業などに勤め、友人3人を誘い、500万元の資本金でスタートしている。わずか2年で総資産は12倍の6000万元となっていた。
主力製品は電動車用、コンピュータ用、電動工具用等の二次電池であった。すでに国内にライバルといえる企業は少なく、視線は日本のジーエス・ユアサ コーポレーション、松下電池工業、台湾の日立CSBと見定めていた。5年以内にアジアで第3位を強く意識していた。
ところで、中国では意外に電動車が普及している。電動タクシーは各都市にかなり配置され、また、大きな工場の構内用運搬車はかなり前から電動車になっていた。現在、この領域では上海の比亜!)電池有限公司が著名である。彼らは「ガソリン車では中国は相当遅れたが、電動車ではそうはいかない」と語る。同社の総経理も「電動自転車、電動バイクでは実績が十分。次は電動自動車を狙っている」と語っていた。
内陸からやってきて深センの外資企業に勤め、30代後半に友人から出資を募り、これと見定めた事業に思い切り踏み込んでいく。そのようなスタイルが深センでは当たり前のものになってきた。2年で総資産が10倍以上、さらに、視線を世界の上位に向けるなど、日本の中小企業ではなかなかそうはいかない。
04年年末にプレ調査のつもりで訪れたローカル企業は、以上のようなものであった。その経営者の多くは30代後半。いずれも内陸から出てきて外資企業の風にあたり、しばらくして新たなビジネスチャンスを発見して事業化していた。また、大半は銀行との付き合いはなく、友人キャピタル、親戚キャピタルともいうべきつながりの中で資金調達をしていた。さらに、いずれも目標が明確であり、世界の第一線を目指していたことも興味深い。彼らには「夢」と「希望」が満ちあふれていた。
もう一つ、この四つのケースの二つに日本人技術者が在籍していたことも興味深い。年配者と若手であった。特にこの深センから広州にかけては、このような日本人がかなりの数、存在している。彼らはこの地の活力に惹かれ、生き生きと活動していた。先のFORSONの金型技術者は、別れ際に「日本の金型屋も頑張ってほしい。いつまでも自分たちの目標であってほしい。大陸に出られないまま苦しんでいる日本の金型屋は、より技術を高め、私たちとアライアンスしていくというのはどうか」と語ってきたのであった。
中国が対外開放に踏み切って四半世紀、ようやく日本の中小企業と語り合うことのできる良質な民営中小企業が、大陸のあちこちに登場し始めている。そこにいかに関心を抱いて一歩踏み込むか、それが問われてくるのではないかと思う。











