ビジネススクール流知的武装講座

戦略ミスを誘引する「成長期という魔物」

 
 
「成長期」ということばを耳にして首をかしげる人は少ないだろう。
しかし、筆者は「成長期であるがゆえに犯しがちな戦略的ミスがある」と指摘する。
たとえば、企業経営者やビジネスマンにとって魅力的に見える時期には、
成熟期や衰退期にトラブルを起こす要因が見えないことがある。このほか、
成長期によく考えておかなくてはならない経営戦略上の諸問題について論及する。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
沼上 幹 = 文
text by Tsuyoshi Numagami
ぬまがみ・つよし●
1960年、静岡県生まれ。一橋大学社会学部卒。同大学院商学研究科修了。成城大学専任講師を経て、現在、一橋大学大学院商学研究科教授。専攻は経営組織論、経営学方法論。
著書に『組織戦略の考え方』『液晶ディスプレイの技術革新史』『行為の経営学』などがある。尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

「ありがたい時期」と思われる理由

 成長期は恐ろしい。

 こう書くと、「そんなことはない。成長は素晴らしいではないか」という反論が即座に聞こえてきそうだ。とりわけ成長事業欠乏症にかかっている日本企業では、市場の成長は何にも代え難い貴重なものに見えるはずである。もちろん成長期には企業経営上好ましい特徴が多数備わっている。だから、成長期はありがたい時期であるのだが、同時にそのありがたい時期に大きな問題が多数出現するのを忘れがちである。成長期であるがゆえに犯しがちな戦略的ミスがある。一見簡単そうに見える経営環境下で発生しがちな問題について、もう少し考えてみよう。

 まず、一般には成長期が確かに「ありがたい時期」である理由を確認しておこう。

 まず第一に成長期には目の前の顧客が急速に増えているのだから、各社とも自分たちの顧客の需要を満たすのに精一杯で、他社の顧客を奪うための策略を巡らせているヒマがない。業界内のすべての会社が同様だから、企業間の直接対決は起こりにくく、厳しい価格競争には陥りにくい。成長がストップすると他社の顧客を奪うことによってしか自社の売上高を高める方法がなくなってしまうので、厳しい競争に陥りがちである。業界が成長していれば直接対決の可能性は低く、成長が止まればその可能性が高まる。やはり、成長期はありがたい時期である。

 しかも第二に、本来であれば業界の利益をマイナス側に引っ張る要因が成長期には表に出てこない、という点も成長期の魅力度を大幅に高める要因である。たとえば生産設備が専用化されていて、他の事業に転用できないような業界を思い浮かべていただきたい。いったん需要が低迷あるいは衰退し始めれば、専用生産設備は業界の利益率を引き下げる効果を持つ。なぜなら、設備を他の用途に転換できなければ、なかなか撤退しないからである。本来ならば需要量が減退した場合に何社かが退出してくれれば、需要量と生産能力が均衡するようになり、価格の下落が止まるはずである。ところが、当面赤字でも操業を続ける企業が多数存在するのであれば価格下落に歯止めがかからず、業界全体で大赤字を抱え続ける期間が永続する。だから、生産設備が専用化されていることは、衰退期には大いに問題である。しかし、明らかに、成長期には全く問題にならない。需要が大幅に伸びている限り、企業の撤退によって需給バランスをとる必要がある局面など、通常は発生しないからである。成熟期や衰退期には問題になりうる要因が、成長期には隠れていてくれる。だから成長期は確かに「ありがたい時期」なのである。

 しかし、よく考えてみれば、「目の前の顧客への対応に追われる」という点も、「成熟期や衰退期に問題になる要因が成長期には目立たない」という点も諸刃の剣である。成長期にはじっくり業界の分析を行うヒマがなく、しかも浅い分析をしただけでは、いろいろな産業が「過剰に魅力的」に見えてしまうからである。成長期の産業ですでに操業している企業は目の前の顧客への対応に追われており、また、これから参入しようとしている企業も急速に膨れ上がっていく需要に対応するための生産体制の新設作業に追われている。需要が急拡大しているということは、既存企業にとっても新規参入企業にとっても「大忙し」なのである。これほど忙しい状況に置かれると、ビジネスマン(ウーマン)たちは業界の本質的な特徴について分析する時間を持たない。時間的余裕のない状況下では、成長が止まったときに噴出してくるはずのマイナス要因を真剣に分析するところまで人々の頭が回らない。だから、多くの企業は成長市場を見つけると、その見かけの魅力度の高さに惑わされ、甘めの分析のみで急いで参入を決める。またすでに業界内にいる企業も、将来成長が止まったときに噴出するはずの要因について事前の準備を考えないままに増産に追われる。こうして成長期には多数の企業が参入し、成熟期に入ってから、過剰な企業間競争に悩まされる厳しい業界が生まれてくる。「成長期にはあれほど魅力的に見えたのに……」と多くの戦略家が後悔することになるのである。

ミドルが作成する予算の「落とし穴」

 どの企業にとっても成長期の業界は魅力的に見える。しかし、だからといって、すべての企業が皆同じように巨大な設備投資を大胆に行えるわけではない。実は多くの大規模企業が成長局面で中途半端な投資を気楽に行ってしまうという点に成長期を恐れるべき理由の一つがある。実際、「ちまちま」とした不十分な投資へと気楽に踏み切った大規模企業の事業部が、成長期に十分なシェアを獲得できずに下位メーカーの地位に甘んじ、成熟期になってから赤字と黒字の境目を行ったり来たりするというケースは稀ではない。

 もちろん投資競争についていくだけの財務的体力がなかったから、あるいは経営者が慎重な人だったから、大胆な投資に踏み切れなかったというケースもあるだろう。しかし、ここで強調したいポイントは、組織内の人々が通常の手続きに従った行動をとっていると、環境変化とはズレた投資決定が行われてしまう、という点である。資金を捻出する余力もあり、トップ経営者も強く成長したいという意欲を持っているにもかかわらず、組織内における意思決定プロセスが原因で一歩ずつ投資タイミングが遅れ、少しずつ投資額が他社よりも少ない金額で意思決定が進められていくという可能性に注意を促したいのである。

 この問題を理解するには、大規模な組織内で予算案の作成がどのように行われるのかを考えてみればいい。大企業では、本社トップや事業部長が自ら予算に介入することは多くはない。予算の原案を作成するのはその事業部のミドルである。おそらくほとんどの企業のミドルは、昨年度の予算・決算を見て、昨年度予算あるいは決算の数字をベースにして鉛筆をなめながら若干の修正を加えて新年度の予算を作成するはずである。過去の数字をにらみながら、それをベースとして10%増とか10%減というさじ加減を加えることで予算原案を作成するのである。このような予算原案の作成では、急に成長し始めた市場や急に衰退が始まった市場への適応は極めて難しい。

 市場環境にうまく適合しない組織内のプロセスは、この原案を作成する側の作業プロセスばかりではない。各事業部が要求してきた予算案を評価する側の作業プロセスも、伝統的な大企業では対前年比に縛られている。全体の予算枠が限られている状況下で、特定事業部だけ、たとえば対前年比300%増の投資案件を了承する、というのは組織的な手続きの集合からは達成できない意思決定である。この種の大胆な増額を行うには組織内の手続きを無視したトップの決断が必要である。だから伝統的な大企業では、トップ経営者がよほど成長事業にコミットしていない限り投資額が対前年比に縛られ、大胆さを欠いてしまうことになる。

 さらに、個々の事業部の評価を社内の事業部間の比較によって行っている企業も多数存在する。A事業部は売上高成長率が5%だがB事業部は80%であるからB事業部の予算案を満額認めるべきだ、といった社内事業部間の比較が組織内の議論ではしばしば登場する。しかし、確かに社内他部門との比較では80%が高成長だとしても、ライバル企業は120%の高成長を遂げているかもしれない。ライバル企業との差が成長期にますます開いているのだから、この事業部の運営には問題がある。社内的には優等生に見える事業部が、他社との対比で見ると劣等生だという可能性もある。対前年比や社内比(社内事業部間の比較)を使っていると環境の変化に適応できず、知らず知らずのうちに業界内の下位メーカーになっていく可能性がある。かなり意識的に対応しない限り、組織はそのままでは成長期についていくことができない。

「トップダウン型」でグローバル競争に勝て

 もちろん、こういった組織内の手続きがいつでもダメなわけではない。毎年一定率で成長したり、減少したりする環境であれば、また競争相手が同じ組織的手続きで投資決定しているのであれば、問題は発生しない。

 しかし、たとえば半導体や液晶ディスプレーなどのデバイス業界で典型的に見られるように、急速な需要減退と回復のサイクルを繰り返しながらトレンドとしては成長しているというような事業の場合、対前年比・社内比に囚われた予算の作成は非常に大きな問題をもたらす。なぜなら、対前年比で予算を組んでいけば、景気回復の兆しに反応することができずに投資が一歩遅れになり、景気減退が実際に数字上はっきり表れて手遅れになってから投資を絞ることになる。需要が好調になる局面では投資が不足して顧客を逃し、不況になってから過剰な生産設備が立ち上がってくる。好不況の波に一歩遅れでついていくことほど業績を悪化させることはない。

 しかも需要そのものやライバル会社との対比ではなく、社内の事業部間の比較や対前年比の議論を皆が「内輪」で行っている状況下では問題がますます悪化する可能性がある。毎年の業績のアップダウンに応じて、社内他部門と比較され、予算を作成する人々は批判を受けたときに言い訳が容易な判断基準に頼っていくようになる。対前年比からあまり大きく離れないように、また社内の他部門との対比であまり目立たないように、という配慮に固められた予算案が作成されたりする。需要減退局面で過剰に投資を継続してしまった経験は、組織内での批判にさらされ、さらに次の成長局面における投資判断を遅れさせ、投資額を保守的にさせる。こうして成長局面では一歩遅れて「ちまちま」した投資を行い、いざ成熟期が到来したときに撤退せざるをえない下位メーカーの地位をつくり上げてしまうことになる。

 同じ組織手続きを共有する日本の大企業どうしの競争なら、それほど大きな問題が生じなかったのかもしれない。しかし、ミドルが組織的な手続きに基づいて予算案を積み上げるのではなく、強力なトップがリーダーシップを発揮して予算を決定していくようなトップダウン型企業がグローバルには存在する。激しいアップダウンのサイクルを繰り返しながら成長していく業界で、海外のトップダウン型企業と競争するのであれば、ミドルが積み上げていく予算作成プロセスは破滅的である。こういった組織的な手続きに縛られている会社にとっては、やはり「成長期は恐ろしい」と言うべきではないだろうか。

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