「合同会社」の出現で見直される
人的結社の威力

 
 
出資しなくても事業家になれ、株式会社と同じく有限責任もある
合同会社(LLC)がつくられようとしている。この会社制度はアメリカで生まれたが、
日本企業の伝統的価値観と一致する人的な結社である。そこで今回は、
日本型スピンオフにより成功を遂げた森村グループや
その他の事例をもとに日本の産業社会における会社観を振り返る。
 
 
神戸大学大学院経営学研究科教授
加護野忠男 = 文
text by Tadao Kagono
かごの・ただお●
1947年、大阪府生まれ。70年、神戸大学経営学部卒業。75年、同大学大学院博士課程修了。79年から80年までハーバード・ビジネス・スクール留学。専攻は、経営戦略論、経営組織論。
著書に、『日本型経営の復権』『競争優位のシステム』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

新しく出現する会社制度の中身

 経済産業省が中心となって、新しい会社制度がつくられつつある。LLC(リミティッド・ライアビリティー・カンパニー)とLLP(リミティッド・ライアビリティー・パートナーシップ=有限責任事業組合)である。LLCには合同会社という日本語名称が与えられ、次期通常国会で法案の提出が行われるという。経済産業省は、構成員課税を可能にするLLCやLLPをより積極的に推進しようとしているようである。

 合同会社は、産業界の要請をもとにつくられた制度である。現在支配的な株式会社は、出資者を主役とする制度であるが、合同会社は、事業をする人々を主役とすることができる制度である。合同会社は、合名会社や合資会社などの人的会社制度とよく似ているが、これらの会社制度では、事業家は出資を必要とするが、合同会社では、出資をしない人々も事業家になれる。株式会社と同じように出資者の有限責任制度も導入される。さらに大きな特徴として、関係者の間でどのような権利義務関係をつくるか、どのような会社機関を設けるかを、定款で自由に定めることができる。

 この新しい会社制度の法的枠組みの原型はまずアメリカでつくられ、その後イギリスなどにも広がった。日本にとってはまったく新しい制度であるが、新しい会社が人的会社であるという意味で、日本の伝統的な会社観とも一致する。今回は、日本の産業社会がどのような会社観を生み出してきたかを振り返ってみることにしよう。草創期の日本の会社は、人的会社としての性格を持っていたのである。

 日本で会社制度がどのようにして成立したかについてはさまざまな説がある。そもそも日本で最初の会社はどこかについても歴史学者の間で異説があり意見がまとまらないようである。坂本竜馬が興した海援隊が最初の会社だという説があるが、国立銀行が最初の会社だという意見が学者の間では強いようだ。銀行業や保険業のように明治になって勃興した新産業だけでなく、伝統産業においても、会社制度がさまざまな形で用いられている。それを見ることによって、日本の社会で会社という制度がどのように成立したか、その背後にどのような会社観があったかについてのヒントを得ることができる。

 日本の伝統産業は会社制度をうまく使ってきた。神戸大学の天野雅敏教授の研究によると、明治以降、日本の醤油産業の盛衰を分けたのは、会社制度の使い方であった。江戸時代の醤油産業の中心は和歌山県の湯浅であった。明治になってから後発の産地である小豆島が勃興した。小豆島の産地はその後も発展できたが、湯浅は相対的な地位を落としていった。このような差が生み出された理由の一つを、天野教授は、会社制度の活用の違いに求めておられる。会社制度をうまく活用できたかどうかが二つの産地の差を生み出したのである。会社制度を利用することによって生産規模を拡大できた小豆島は、全国市場に商品を供給することができたのに、湯浅はそれができなかったからである。そのため、湯浅は明治になって相対的な地位を低下させてしまったのである。

意見が対立したとき
解決が難しい人的組織

 陶磁器産業でも会社制度が利用されたが、その事情は異なる。醤油とは違って、有田の陶磁器産業は、国際的な競争にさらされていた。江戸時代は藩の保護を受けることができたが、明治になって保護が解かれ、陶磁器産業への参入が自由になると産地では競争が激化し、粗製濫造が行われるようになった。江戸時代に180あった窯元は200になり、絵付けをする赤絵業者は、16戸から50戸を超えるまで増えてしまった。このような状況への対応策として会社制度が用いられた。佐賀藩士の久米邦武の助言をもとに、深川栄左ヱ門、手塚亀之助、辻常明、深海墨之助は、明治9年のフィラデルフィア万博に質の良い商品を出展するため、有力な陶工、絵付け師、商人を結集させ、合本組織香蘭社を明治8年に設立した。会社法や商法が制定される前であったので、正式の会社とはいえないが、日本で最初の会社組織ではないかという説もある。日本で会社法が制定公布された当時の状況を香蘭社のホームページでは次のように説明している。

「今から、およそ300年前。江戸文化が華麗に花開いた元禄の頃。初代深川栄左ヱ門が有田で磁器の製造をはじめました。香蘭社の前身です。そして日本に近代化をもたらした明治維新の激動期に、有田焼は佐賀鍋島藩の一切の保護と支援を失いました。/その再興に指導的役割を果たしたのが、八代深川栄左ヱ門でした。強い自立の精神が、当時の選りすぐった陶工や絵付師、それに陶商達を一つにまとめ結社をつくりました。これが香蘭社です。/時に明治8年。その後、あいついで世界各国で行われた万国博で数々の名誉金牌を受賞。海外でもその評価を高めるとともに、明治29年には宮内省御用達の栄にも浴し今日に及んでいます」

 香蘭社はその後分裂する。明治12年、国や県の援助を頼みたいとする手塚らと自力で生きていこうとする深川との意見が対立し、手塚らは分離独立し精磁会社を設立した。この会社は10年ほどで閉鎖されている。香蘭社の場合、会社制度は、現代の事業協同組合に近いもので、生産規模の拡大ではなく、優れた技術を持つ生産者の協働の場をつくるという意味を持っていた。

 瀬戸でも同じような趣旨で会社がつくられたという。このように、明治の初めの会社は人的な組織であったのである。経済史家の中には、出資だけを行う投資家の成立が株式会社成立の不可欠の条件だと見なす意見もあるが、経営体が会社であるという視点から見れば、初期の人的組織も十分に会社であった。

 日本の会社が人的組織を中心としたものであるという事実は、会社の細胞分裂という事実によっても確認することができる。人的組織であるため、意見の対立の解消が難しい。そのために会社の分裂が起こる。資本を中心とした株式会社であれば、持ち分の多寡で対立を解消することができるが、そのような便宜的解消法は人的会社にはないのである。

 同じように、会社制度を利用し発展したのが、名古屋の日本陶器をはじめとする森村グループの陶磁企業群である。森村グループは陶磁器産地の中ではなく、外に設立された。貿易会社森村組で働いていた大倉孫兵衛は、輸出用の陶磁器を生産する会社をつくり上げていった。自社には生産の能力がなかったから、瀬戸、京都の職人を集めて輸出用の洋食器の生産を行った。そのために設立されたのが日本陶器(現・ノリタケ)である。

森村グループに見る
「日本型スピンオフ」

 森村グループがユニークなのは、会社が次々に細胞分裂を起こしていったことである。洋食器のノリタケ、衛生陶器のTOTO、電力用碍子の日本ガイシ、点火プラグの日本特殊陶業、洋式タイルのINAXなどが、それぞれかなりの独立性を持ったグループを形成している。

 このグループをつくり出したのは、大倉孫兵衛と和親の親子であった。グループ成立の経緯は、砂川幸雄著『製陶王国をきずいた父と子』(晶文社)に詳しい。ここでは要点だけをかいつまんで説明することにしよう。

 森村グループで最も古いのは、明治37(1904)年に設立された日本陶器合名会社である。株式会社の社長に当たる代表社員は、大倉和親であった。この会社は、当時最大の電機会社であった芝浦製作所の岸技師から高電圧碍子の製作の依頼を受け、その製造のために大正8(1919)年に、日本碍子株式会社を設立する。日本碍子の実質的な経営者は、江副孫右衛門であった。江副は碍子の製造の傍ら、スパークプラグの国産化に取り組む。この部門が分離されて昭和11年につくられたのが日本特殊陶業株式会社であった。

 日本碍子設立に先立って、大正6(1917)年に東洋陶器株式会社が設立され、衛生陶器の生産が分離独立されている。愛知県常滑の伊奈家は外装タイルの生産を行っていた。近代設備を導入するため、この伊奈家は森村グループからの出資を仰いだ。森村グループとの共同出資で、匿名組合伊奈製陶所が設立された。

 現在のINAXの前身である。INAXとTOTOは衛生陶器の最大のライバルであるが、両者は、同じルーツを持っているのである。

 このような細胞分裂を通じて、企業が次々に独立していくのは、日本の特徴でもある。

 ダイセルから独立した富士写真フイルム、そこから生み出された富士ゼロックス、古河電気工業から独立した富士電機、そこから独立した富士通、さらにそこから独立した富士通ファナック、積水化学から独立した積水ハウス。これらの分離独立は、日本的スピンオフとも呼ぶべきものであるが、単純な資本の論理では説明できない現象である。

 この現象は、日本の会社が人的な結社であるということを暗示する事実なのかもしれない。それだけではない。日本型スピンオフは、日本の産業社会で新しい事業を発展させるための重要な手段でもあった。

 香蘭社よりも森村グループが陶磁器分野での新事業づくりにより成功できたのは、森村グループが日本型スピンオフをうまく行っていたからだといえるかもしれない。

 新しい人的会社制度である日本版LLC、合同会社の制度が導入されると、人的結社としての性格を明確にした会社がもっと多く設立されるようになるのではないだろうか。知的能力を持った専門職や、熟練の業を持った職人を事業の主役にする会社がつくられ、日本型スピンオフはもっと活発化するかもしれない。

photo
 
 
PRESIDENT 2004年12.13号
PRESIDENT 2004年12.13号
税込価格 650 円
売り切れ
 
PRESIDENT公式twitterアカウント

メールマガジン <プレジデントニュース>

 
 

「プレジデント」編集部員による取材現場でのこぼれ話やビジネスマンに役立つオリジナルコンテンツ、新刊書籍案内などを、週1回のペースでお送りいたします。

メールマガジン申込・登録変更