「民営化」がぶつかる
「お役所仕事」の壁

 
 
郵政の民営化を巡っては議論百出だが、そのプロセスで生じる問題については、
ほとんど語られていない。筆者は、公的な組織の民営化に反対しているわけではないが、
転換点において、人的資源と戦略とが一致していない実情を危惧している。
「お役所」として存在してきた組織が「民間企業」に変身するには、
かなり長い時間がかかり、その間に事態が悪化していく確率は高い。
組織論の観点から、起こりうる諸問題について論及する。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
沼上 幹 = 文
text by Tsuyoshi Numagami
ぬまがみ・つよし●
1960年、静岡県生まれ。一橋大学社会学部卒。同大学院商学研究科修了。成城大学専任講師を経て、現在、一橋大学大学院商学研究科教授。専攻は経営組織論、経営学方法論。
著書に『組織戦略の考え方』『液晶ディスプレイの技術革新史』『行為の経営学』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

「民間企業」になるまでの長い時間

 公的な組織を民営化する際に、「長期的には適切な資源配分を達成できる」という主張がしばしば聞かれる。しかし、最後には「最適な資源配分」が達成されるとしても、そこに至るまでの間に起こることについてはほとんど語られることがない。

 今回は、この途中で起こりそうなことについて、組織論の立場から論じてみることにしたい。実は民営化という転換点は、皆が当初予想しているよりも深刻な混乱が遙かに長く続いてしまう可能性がある。この点を織り込み済みにして、打つべき手を打っておかないと、事態がさらに悪化しかねない。この点に警鐘を鳴らすのが今回の目的である。

 民営化という転換点が大きな混乱を招く最大の理由は、人的資源と戦略とが決定的に不一致な状況にある、ということである。転換前の状況に合わせた人材が蓄積されているのに、転換後にはその人材が不要になるような環境と戦略の下で生きていかなければならない、という問題である。

 基本的に「お役所」だったところが、「民間企業」になるのだから、経営戦略的には大転換である。政治家や監督官庁の言うことを聞くのではなく、顧客のニーズや競争相手の動向を把握しなければならなくなる。

 官僚や政治家の話を聞くのと顧客の声を聞くのでは大違いである。政治家や高級官僚のニーズを把握するのは多数の顧客のニーズを把握するよりも相対的に楽である。政治家や高級官僚は数が少なく、相手の言っていることがわからなければ直接問い合わせることも可能である。人数が少なく、長いつきあいになるから、当初わかりにくかったものも徐々に理解可能になっていく。しかも、毎回取り決めたことを書類に残し、相手の要求したことを既成事実として積み上げることもできる。公的な組織は多かれ少なかれ、この種の作業をうまく処理できるような仕組みと人材をつくり上げてきた。

 ところが、顧客の声、とりわけマス・マーケットの顧客の声を聞くのは政治家や官僚の声を聞き取るのとは異質である。これまで一般の顧客のことなどほとんど理解しようとしてこなかった公的な組織が、そう簡単に顧客ニーズを理解できるようになるはずはない。

 慣れない作業だから、「顧客ニーズ=顧客の言っていること」という思い込みが生じやすい。それゆえに、顧客が伝えてきたクレームに単純に反応しすぎる傾向が強くなる。少し考えてみればわかることだが、顧客ニーズを読み取るのがうまい会社は、技法としての「マーケティング・リサーチ」がうまいのではなく、断片的な情報から真の顧客ニーズを推論する知恵が備わっているのである。

 たとえば顧客から寄せられるクレームを考えてみよう。クレームをつける顧客は平均的な顧客たちとはずいぶん異質である。だからクレームをつける顧客の言うとおりに素直に従うと、平均的な顧客の満足度が下がってしまうこともある。しかも顧客が口に出して言うことと、その顧客が本当に改善してほしいと思っていることとの間にもギャップがあることも稀ではない。クレームに素直に対処したつもりなのに、当の顧客からかえって怒られてしまうということもある。「特異なクレーマーたちの不十分な表現」を手がかりに、平均的な顧客のニーズを推論する作業が本当は必要なのである。しかも、そこには手続きを積み重ねながら不確実性を削減するという官僚相手の工夫も通用しない。「だって、この前は、こうおっしゃったではないですか」という反論は、官僚相手には言えても、民間のお客さん相手には言えるものではない。

 だから、民間企業になって、顧客志向にならなければならないと頭ではわかっていても、そう簡単に顧客志向になれるわけではない。「御上」の言うことを聞く、「官僚の世界の大人の論理」に慣れ親しんだ人材を抱える組織が、顧客の真の声を聞き分けられるようになるのには月単位ではなく年単位の時間が必要であろう。人々が問題意識を持ち、学習し、行動を変える必要があるのだから、転換点を乗り越えるには時間がかかる。環境と戦略が激変しているのに人材は変わらないのだから、一時的に業績は低下する。新しい環境と戦略に適合的な人材に学習を通じて育成されていくまでに多数の失敗が起こり、時間もかかるから、業績は予想以上に長く深刻に低迷する。民営化の転換点とは、「点」ではなく、かなり長く深い谷なのである。

「優秀で良い人」が上層部に溜まる効用

 民営化という大きな転換点に見られる新しい状況と古い人材というギャップは組織の上から下まで広く存在するが、その中でもギャップが一番大きく、しかも深刻に表れるのは、明らかに上位階層である。その理由は簡単である。

 内部昇進が多い組織であれば、古い状況に適合した人材が長い年月をかけて組織の上層部に溜まってくるからである。組織の上層部に溜まる人々は上に行けば行くほど古い状況に適合した人材に絞られてくる。しかも、古い評価基準で出世した人々が次の世代を評価していくという歴史を重ねていくのだから、組織が設立されてから100年もたっていれば、組織の上層部に溜まる人々の同質性は相当高度化しているはずである。

 それまで長年「お役所」として存在してきた組織では、「お役所」の中で出世する基本的な要件を満たした人が上位階層を占めている。その内部出身の上級管理者たちは、法規や前例に詳しくてミスをしないとか、人とケンカをしない「良い人」であるとか、内向きのコンセンサス形成が得意であるとか、決定的な言質を取られない「のらりくらり対応」がうまいといった特徴を持っている。多くの人は、自分で企画を考えたり、何らかのプロジェクトに賭けたり、といった決断とは無縁の世界で生きてきた。「お役所」では、重要な決断は政治家や上位機関の官僚が「勝手」に行って「外から組織に押しつけてくる」ことが多いから、自分では意思決定を行ったことのない人が多数育成されているのである。公的な組織では、決断をしたことがない、「優秀」で「良い人」が上級管理者層に溜まる傾向が強い。

 外部から民間出身の経営者を取り入れたり、社外取締役に民間出身者を取り入れるなどの工夫を凝らしても、つまるところ組織の動きを規定しているのは、この同質的な層を成す内部出身者たちである。なぜなら、組織の主要な意思決定のほとんどが、この上級管理者たちのコンセンサスに左右されるからである。もちろんこの人たちの合意がなければ何も決められないということではないが、この上級管理者たちから猛反発を受けるような意思決定をトップが下すことは極めて難しいはずである。

 そして、民営化直後の上級管理者たちは、民間企業を運営するための経営リテラシーを十分に持たず、また、今までどおりの組織運営法など旧来の経営スタイルを強く保持している。

 比較的短い時間で状況変化に適応できそうな若いコア人材とは異なり、すでに組織内で功成り名を遂げた上級管理者たちは簡単には変わらない。かといってこの層の大部分を外部から調達して首をすげ替えたとすれば組織内の人々が納得しない。内部の中堅が上級管理者に育つまで待つとすると、5年から10年の年月が必要である。公的な組織が民営化する際に問題なのは、次の世代の上級管理者が新しい状況を学習して育ってくるまでの、この5年から10年の間に、前の世代の上級管理者が悪手を打つことである。

 リテラシーが不足していて、旧来の経営スタイルを保持している旧世代の上級管理者層が打ちそうな悪手は典型的には二つある。まず一つめは、人材評価の評価軸を暗黙のうちにこれまでどおり維持してしまうというミスである。このミスを行えば、環境と戦略が激変したにもかかわらず管理者層の人材プールは旧来のまま維持されてしまうからいつまでたっても改革は進まない。抜本的な組織改革を行うという問題を先送りし、ゆっくりとした自然死的衰退のプロセスに入り込むことになる。

マスコミ受けを狙うマネジメントの愚

 自然死的衰退プロセスが目立たないけれども深刻で悲劇的なのに比べれば、もう一つの悪手は大いに目立つ喜劇的なものである。すなわち、マスコミ相手に「ウチは転換したのだ」というメッセージを強力にアピールするべく、ハデなパフォーマンスをことさらに狙うという悪手である。

 もちろん民営化を行う場合に、ある程度のメッセージを社会に対して打ち出すことは重要である。外部の人々が自分たちを見つめる眼差しを変えることで、組織メンバーの意識を変革することが可能になるからである。しかし、組織の実態を一切意識することなく、単に「マスコミ受けを狙うことが民間企業の経営である」という間違った信念を保有する人が旧来の上級管理者たちの中に登場する可能性もある。多くの人が見落としがちだが、実は公的組織や官僚たちは、極めてマスコミ志向である。一般大衆の声を聞き分ける技量がないから、監督官庁は政治家とマスコミの二つの声を非常に気にしながら公的組織を運営してきた。民営化で監督官庁から離れても、当分の間、マスコミの声に敏感に反応する志向性は強く維持されるであろう。

 しかしマスコミはその本性上、地道な努力の積み重ねをニュースには取り上げずに、毎回異なるハデな出来事をニュースにする。だから極度にマスコミ受けを目指したマネジメントは資源の散発的・分散投入につながり、継続性を欠きやすい。

 マスコミでつくられるハデなイメージとは裏腹に、組織内部の実態も、その提供するサービスの質も、民営化前よりも悪化していくこともありえないではない。長期的には「最適な資源配分」になるのかもしれないが、少なくとも中期・短期的に見れば、民営化は事態の悪化を招く可能性を十分に秘めているのである。

 誤解を受けないように最後に一言。筆者は公的な組織の民営化に反対しているのではない。否、むしろ多くの場合賛成であると言ってもいい。顧客の真のニーズにたどり着くまでに時間がかかるとしても、現状の政治家や高級官僚のニーズを聞くよりもずっと良いことが起こると思われるからである。

 筆者が今回主張したかったのは、(1)民営化によって比較的長い期間にわたり事態が悪化することが十分に高い確率で起こりうること、(2)もし問題を若干でも緩和する手があるとすれば、法人税等の優遇や赤字補填のための補助金の支給ではなく上級管理者層の世代交代を促進するための多様な支援策であること、また、(3)ある程度の混乱や事態の悪化を受け入れる心の準備が政治家や国民、マスコミ、当該組織のメンバーの皆に必要であるということである。

 それまでにたどる混乱を織り込み済みにしておかないと、うろたえた人々がさらにその混乱を無用に増幅しかねない。当たり前だが、マネジメントに限らず何事でも、「うろたえずに地道な努力を重ねる」ということが結局のところ基本なのである。

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