市場を読みにくくする
「顧客の学習効果」

 
 
消費者が商品やサービスを通じて経験を積み重ねていく。
筆者は、この行動を「顧客が学習してしまう」と表現している。
このことにより、消費量や支出が増えるケースは多い。
また、他社製品への乗り換えが起こりにくくなるものだ。
だが、長所だけではない。顧客の動きが読めなくなるという死角もある。
「顧客の学習」を前提に市場を読む重要性に論及する。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
沼上 幹 = 文
text by Tsuyoshi Numagami
ぬまがみ・つよし●
1960年、静岡県生まれ。一橋大学社会学部卒。同大学院商学研究科修了。成城大学専任講師を経て、現在、一橋大学大学院商学研究科教授。専攻は経営組織論、経営学方法論。
著書に『組織戦略の考え方』『液晶ディスプレイの技術革新史』『行為の経営学』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

花王の「ヘルシア緑茶」が
もたらした大きな効果

 市場を「読む」のは難しい。「市場は気まぐれだから」とか、「十人十色だから」という理由で難しいと言っているのではない。そういう普通の意味での難しさ以上に、「顧客が学習してしまう」がゆえに、市場がどう推移していくのかをシナリオとして読むのが難しい、という点を今回は強調したいのである。

「顧客が学習してしまう」という言い方は、奇妙に聞こえるかもしれない。というのも、多くの場合、顧客の学習は企業にとって「良いこと」をもたらすからである。たとえば、製品の使用を通じて顧客は「素人」から「玄人」へと進歩し、ライト・ユーザーからヘビー・ユーザーへと変わる。若いうちにビールの味を覚えると中年になるまで消費量を増やし続けるとか、化粧を覚えると徐々に高額化粧品の消費量を高めていく人がいる、というように、学習とともに消費量・支出金額が増えるケースは数多い。これは明らかに企業にとってありがたいことである。

 あるいは学習を重ねることで顧客の側に重要なノウハウ等の資産が蓄積され、ブランド・スイッチが起こりにくくなることも知られている。ウィンドウズの使用者は、ウィンドウズの使い方を学習し、その結果としてリナックスに変更するのが難しくなる。顧客がブランド・スイッチしなくなると、価格を引き下げて顧客を奪い合うという過激な競争が減る。過激な競争が減るから、その結果として市場価格が安定し、企業は利潤を獲得しやすくなる。これもまた、ありがたいことである。

 一見、望ましくないことが起こっているように見えても、顧客の学習が最終的に望ましい結果をもたらしてくれることもある。たとえば花王の「ヘルシア緑茶」が他の緑茶飲料メーカーに与えたインパクトについて考えてみよう。

 体脂肪を減らす効果があるとして特定保健用食品の認定を受けた「ヘルシア緑茶」の売り上げは好調である。年間100億円の売り上げを目標として昨年(2003年)5月に発売された「ヘルシア緑茶」は、コンビニとの連携をうまく活用して、約1年後の現在、年商約200億円の商品に育っている。好調はまだ続いており、今年度は年商400億円を目指すといわれている大ヒット商品である。

 これほどの急激な販売増は競争相手にとっては脅威であろう。おそらく他の緑茶飲料の売り上げにも影響が出たに違いない。既存ブランドの売り上げ低下を押しとどめ、シェルフ・スペースを死守するべく、他の緑茶飲料メーカーは厳しい対応を迫られてきたに違いない。

 しかし、だからといって、花王の「ヘルシア緑茶」が緑茶飲料全体にもたらしてくれたプラスの効果を見誤ってはならない。たしかに「ヘルシア緑茶」は一時的には他の緑茶飲料の代替品である。「一時的」というのは、短期的には緑茶を飲む人の数も、一人当たりの緑茶を飲む量も、それほど増えないからである。だが、顧客は学習する。1年間で200億円を売り上げたヒット商品の登場がもたらす効果は計り知れない。とりわけ茶カテキンが体に良いことを日本社会に浸透させた効果は絶大である。ずっと以前から茶カテキンが体に良いことを訴え、カテキン飲料まで販売してきた伊藤園にとっては心外であろうが、カテキンの効果を日本社会に浸透させたインパクトの強さに関して花王の「へルシア緑茶」は圧倒的であった。しかも、花王へルシアのあの「味」を顧客が学習したことも大きいはずだ。「体に良さそう」に感じるように、意図的に渋みと苦みを残した「ヘルシア緑茶」の味は、長期愛用者を虜にする。普通の緑茶飲料ではなく、かなりの渋みと苦みがあるがゆえに、「へルシア緑茶」は独特の魅力を持ち、「へルシア緑茶」に対するブランド忠実度が高まるのである。ところが、あれほどの渋みと苦みが商品として成立すると、こんどは通常の緑茶飲料と「へルシア緑茶」の間に多様な味の差別化が可能になるに違いない。そして、「へルシア緑茶」を経験した人々は、そういった多様で微妙な緑茶飲料の味を見分ける訓練を積んだことになるはずである。つまり「へルシア緑茶」の味を学習した人は、緑茶飲料の多様な差別化に敏感に反応する人々へと学習して「育って」いるのである。

「茶カテキンが体に良い」という学習や「お茶の味」に対する学習が進むと、中期的には緑茶飲料に注目が集まり、差別化余地が増え、緑茶飲料メーカー間の競争と顧客との相互作用が活発化し、緑茶飲料というカテゴリー自体が全体として大きく成長していく可能性が出てくる。もし緑茶飲料全体が長期的に成長していくのであれば、「へルシア緑茶」によって一時的に売り上げ低下をこうむり、対応に大わらわだった会社も、ほんの1〜2年の間に業界全体としての売り上げ増に乗って大きく業績を上げていく可能性がある。

「ジューサー・ミキサー」と
「自動パン焼き器」の教訓

 しかし、普通の人々からすれば、「顧客が学習してしまう」ことから発生する市場の変則的な動き方は「読み」にくく、市場の動きにただただ翻弄され、その場をどうにかしのいでいく、ということになってしまう。市場全体にとって最終的に良いことが起こるとしても、それを「読み切る」のは難しい作業である。だから、「顧客が学習してしまう」という言い方もまんざら間違いとは言えないであろう。

 顧客が学習する内容はプラスのものばかりだとは限らない。顧客が製品の問題点を学び取ってしまい、その問題点を克服する学習を行うのではなく、むしろ「その製品は無用の長物である」と学習してしまう場合もある。その意味でも「学習してしまう」という言い方は適切であろう。

 たとえばジューサー・ミキサーや自動パン焼き器の場合を考えてみよう。これらの商品の場合、顧客は使い始めに楽しい思いをしたけれども、同時に使い続けることで「メンテナンスが面倒くさい」ということを「学習してしまった」のである。使い方を学習し、より便利に、より簡単に使うための工夫を考え出してくれるような学習が生じてくれればよいが、これらの商品の場合はむしろ「面倒だ」という学習が進み、その学習成果をご近所の主婦たちが共有してしまい、固定観念化していったところに問題がある。多くの人は、結局のところ、おいしいパンを近所のパン屋さんで買い、100%果汁のジュースを1リットル入り紙パックで買うほうが便利なのだ、という学習をしてしまったのである。

 こういった学習が進み、それがコミュニティで共有されてしまうと、製品の売れ行きが急速に低下してしまうだけでなく、その後にどのような売り上げ回復策を導入しても、なかなか効果を上げにくくなる。消費者が行う学習の方向をマネージできるのであれば、問題を緩和することが可能だが、そこまで読み込んで製品を開発する人はほとんどいない。だから、思わぬ学習が進んでしまうことで、市場の推移を読めなくなるという問題が発生するのである。

デジカメがつくる「新市場」の不安

「ジューサー・ミキサーや自動パン焼き器など、もう過去の商品だ」と思って片づけるわけにはいかない。同じような論理のケースは現時点でもリアル・タイムで存在しているからである。たとえば、近年のデジカメから写真を出力する写真画質のインクジェット・プリンタ(IJP)市場が今後どのように展開していくのかを読むのは非常に難しい。これを例題に読者もぜひ考えてみてほしい。

 今は、デジカメ・フィーバーが吹き荒れているから、写真を自宅の高画質IJPで出力する時代がくることを信じて疑わない人は多い。だから、「写真画質のIJPがジューサー・ミキサーや自動パン焼き器と類似のケースになる可能性がある」などと筆者が言っても、まじめに聞いてくれる人は少ない。しかし、顧客の学習を考えてみると、本当に高画質IJPで皆が写真を自宅でプリントアウトする習慣が定着するのか否かは非常に「読む」のが難しい問題である。

 デジカメの画像を毎日あるいは毎週末自宅でプリントアウトしている、という人はおそらくそのうち大いに学習するに違いない。パソコン画面上で見るカラーとプリントアウトで見るカラーはずいぶん印象が異なる。頻繁に使い続ければ、画面上でどう見えるときに、どういう設定を行うと、どういうプリントアウトが得られるのかというノウハウが身についていくであろう。だからパソコンでの画像処理と自宅でのプリントアウトに飽きない限り、この人たちが写真画質のIJP用カラーインキや写真用紙を、大量消費するようになる可能性はある。

 しかし毎日あるいは毎週末に自宅でプリントアウトする人はそれほど多くはない。デジカメ・フィーバーに乗って、写真画質のカラーIJPとデジカメを量販店で購入し、毎日のように遊んで楽しんでいた人も、そのうち飽き始める。物珍しいおもちゃを手に入れたときにはのめり込むが、その情熱を維持できる人は少ない。そして、普通の顧客たちの学習が始まってしまう。

 たとえば半年ぶりにIJPを取り出して、年末の年賀状書きのためにプリントしようと思い出した人を考えてみてほしい。久しぶりに出してきたIJPは調子が悪くなっていたり、特定の色のインキが切れていたり、写真用紙が劣化していたり、なくなっていたりする。プリントしたいと思ったときに、画面とプリントの色が食い違うばかりでなく、うまくプリントできなかったり、そもそもインキや紙がなくなっていて買いにいかなければならなかったり、という経験をする人が出てくるであろう。こういう経験をした人は、果たして数年後に新しいデジカメと新しいパソコンに買い替える際に、写真画質を謳うカラーIJPに買い替えてくれるのだろうか。「普通のカラーIJPは使うけれど、写真画質のカラーIJPはジューサー・ミキサーや自動パン焼き器と同じ。物置に入るだけだ」と言われるようになる可能性は大いに残されている。デジカメ・フィーバーが吹き荒れている今、「そんな消極的なことを言ってどうする」「みんなで渡れば怖くない」と怒られるだろうから、IJPのメーカーは生産増強に追われているに違いない。しかし、「顧客が学習してしまう」ことを視野に入れて考えると、ある程度の学習が完了する数年後に、写真画質のIJPの需要がどのようになっているのかを読むのは非常に難しいのである。

 年に2〜3回の旅行をして、同じく2〜3回のイベントがあって、合計数回だけデジカメのホームプリントを楽しみたいと思う普通の人たちにとって、写真画質のIJPによるホームプリントというのは本当に便利で経済的なのだろうか。維持するのが面倒だから、普通のIJPでもいいと考えるようになったり、カメラのキタムラでデジカメ・プリントするほうがいいと考えたり、もはや紙にプリントアウトはしないということになるなど、多様な答えがありうる。「顧客が学習してしまう」がゆえに、今、目の前の顧客に質問して得られた答が数年後にも同じように成立し続けているとは限らない。これが市場推移を「読み切る」ことを著しく困難にする要素である。市場の推移を読み解くのは難しく、しかし、それゆえにこそモノを考える楽しみに浸れる最高のテーマなのである。

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