所得が減って消費が回復する
「お化け」の正体

 
 
景気回復の足音が聞こえてきた。いくつかの数字がそれを証明している。
その最大の要因は、GDPの約6割を占める個人消費が好転しているからだ。
所得が減っているのに、消費が活性化しているという、
一見、矛盾したかに思われる現象はなぜ生じているのだろうか。
筆者は、「日本人はお化けの正体をきちんと見定めた」からだと表現する。
「お化け」とはいったい何を意味しているのだろうか。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
伊丹敬之 = 文
text by Hiroyuki Itami
いたみ・ひろゆき●
1945年、愛知県生まれ。一橋大学商学部卒業、カーネギーメロン大学経営大学院Ph.D。73年より一橋大学商学部に勤務。75年から83年にかけて、2度スタンフォード大学ビジネススクール客員准教授。
著書に『場のマネジメント』『経営の未来を見誤るな :デジタル人本主義への道』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

給料が上がらないのに
消費が回復してきた謎

 本格的な景気回復を期待させるような数字が出始めた。今年の第1四半期(1〜3月)の実質経済成長率は1.4%(年率換算で5.6%)という高いものだった。しかも高い成長率が最近続いている。2004年3月の完全失業率(季節調整値)は4.7%と、前月に比べ0.3ポイントも低下した。消費者物価も下げ止まり感が出てきて、デフレ脱却かという期待が出てきた。

 しかし何よりもいいニュースは、民間消費支出の回復であろう。04年第1四半期の民間最終消費支出は03年第4四半期に比べて1%増えた。年率換算で4%の成長スピードであり、前年同期比でも3.5%増えている。GDPの6割前後を占める最大要因である民間の消費がとうとう動き出した観がある。図にあるように、03年第2四半期には0%の前年同期比増加率だった実質民間消費は、03年の後半から顕著に回復してきている。このグラフにはアジア通貨危機と日本の金融危機のあった1997年以降の7年間のデータを載せてあるが、これだけの回復はこの7年間で初めてである。初めてといえば、消費者態度の内閣府調査でも、家計の消費意欲を示す消費者態度指数(一般世帯)は45.4と前月比2.9ポイント上昇して4カ月連続で改善し、96年9月の45.6以来、初めての高水準となった。

 こうした消費の回復、消費者態度の改善の背後に何があるのか、という見極めは、この回復が一過性に終わるものかどうかを判断するうえできわめて大切であろう。とくにこの消費回復が雇用者報酬という一般の家計の所得総額がとくに増えず、むしろ実質賃下げの浸透の結果として所得減少気味の時期に起きているだけに、きちんとした解釈が重要となるだろう。「所得が減っているのに消費が増える?」という素朴な疑問が生まれ、「したがって一過性で終わる」と結論づけられやすい。

 一部にはこの消費の回復は株高の資産効果の寄与が大きい、という説もある。雇用者報酬は減っているけど、株高による収入増、心理的要因の好転が背後にある、というのである。たしかに、株高が心理的要因を好転させることは考えられるが、しかし現在の株価水準は小泉内閣誕生の頃の水準であって、決して96年以来の最高値というような水準にはない。しかも、株式保有が広く一般家庭に広まっているわけではない。株高効果による説明は苦しそうだ。

 私はむしろ、一般家計が将来の雇用情勢についての一種の下げ止まり、あるいは好転感を持ち始めたことが、消費の回復の最大の要因だと思う。しかも、たんに賃金や報酬がどう増えるかという問題ではなく、「雇用が失われる危険」という意味での雇用不安がかなり収まってきたことが人々の消費を回復させている最大の原因のように思うのである。

消費を冷え込ませた
山一証券の廃業

 私は00年2月に出版した『経営の未来を見誤るな』(日本経済新聞社)という本で、「97年秋に日本人はお化けを見た。そのお化けにおびえて、消費が一気にしぼんでしまったのが、97年秋以降の経済の急落の原因だ」と書いた。97年11月は、じつに異様な月だった。三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、と大手の金融機関が毎週月曜に次々と倒産・廃業を発表していった。きわめつきは山一証券の廃業で、当時の社長が「社員は悪くない、経営者の責任だ」と男泣きに泣く姿が全世界にテレビ放映されて有名になった。

 戦後初めて、日本人はこれまで壊れないと思っていた経済の岩盤が壊れることを知り、そして多くの雇用があっという間に消えてしまう現実をテレビで見た。山一証券の場合は廃業であった。

 それは自動的に、7000人の雇用が消えてなくなることを意味したのである。日本人はこのとき、失業というお化けをまざまざと見たのである。

 次は自分の順番でない、と誰が言えるのか。消費は一気に落ち始めた。図の消費のグラフを見ればわかるように、97年第3四半期にはまだプラスだった実質消費前年同期比増加率が、急降下を始めるのである。

 このとき、同時に急降下したのが、消費者の雇用環境の意識を示す指数である。内閣府の調査では、収入の増え方、物価の上昇、雇用環境などについて消費者の意識を調査して指数化している。そうした個別の調査項目の指数の総合指数が、この稿の冒頭で「96年以来最高」と紹介した消費者態度指数である。このグラフから明らかなように、雇用意識指数は97年12月の調査で、9月に比べてなんと13.1ポイントも低下する(36.6から23.7へ)。これだけ大きな下落は、めったにない。それが山一ショックだったのである。

 一方、人々の収入の増加についての意識はじつはあまり変化していない。収入意識指数は横ばい、ないしは多少の下落程度なのである。しかし、収入は大きくは減らないと思っているのに、消費は大きく下落した。そこがポイントである。人々の消費心理は、収入ではなく雇用不安によって支配されているのである。

 その後、98年9月には雇用意識指数は20.9という近年の最低に近い水準までだらだらと下がる。98年秋は長銀の国有化をめぐっての金融国会のときであり、日本の金融システムの崩壊の危険がさかんにマスコミ報道された頃である。ただし、消費は若干増え続けた。97年の秋に急に下落し始めた消費の水準のままで、かすかに増加する程度に終始したのが00年に入るまでの姿だったろう。

 しかし、01年になるとITバブルがはじけ、日本のエレクトロニクス産業の多くの企業が苦境に追い込まれる。それと軌を一にして、雇用意識はどんどん悪化していく。そして、衝撃が01年夏にやってくる。この夏、松下電器産業をはじめ多くの大手電機メーカーがリストラを発表する。とくに松下電器のリストラは従業員の一割近くが希望退職者になりそうだという報道もあり、「あの日本的経営の元祖のような松下がとうとう」とマスコミに取り上げられた。エレクトロニクスが一気に悪くなるということは、日本の本丸が崩れたかのごとくの印象になったのである。

 私は当時、「松下のリストラと他の電機メーカーのリストラの間には微妙な線が存在し、松下は日本的経営の原理を守ろうとしている」と、雑誌に松下の経営改革を擁護する論文を書いたが、しかしそうした「微妙な線引き」の議論を吹き飛ばすほどのリストラの量ではあった。

 01年9月の雇用意識指数は、6月の調査に比べて30.5から20.1へと、10ポイント以上急落する。90年代に入って、雇用意識指数が10ポイントも落ちたのは、97年の山一ショックのときと、このときだけである。松下ショックと言っていいかもしれない。

 ただしこのときは、消費支出は伸び悩みにはなったものの、大きく落ち込むことはなかった。人々は、97年に見たお化けをもう一度見ても、お化けに驚かなくなっていたのである。驚かなくなった理由は、2回目ということもあるだろうし、97年秋以降にも多少のリストラは含みながらも雇用維持に懸命に努力してきた日本企業の政策の効果でもあろう。「雇用を守れない経営者は腹を切れ」と経団連会長が公言する国は珍しい。

松下電器のリストラが
証明した「ある事実」

 松下のリストラは、大名リストラと冷やかされるほど、手厚い配慮が退職者になされたものであった。そればかりでなく、企業全体の事業構造の前向きな抜本的再編と一体化した経営改革であった。いいリストラと言っていいだろう(松下のリストラについては、近刊の『企業戦略白書 3:2003年の日本企業の戦略』[伊丹+一橋MBA戦略ワークショップ著、東洋経済新報社]に詳しい)。

 松下だけではなく、多くの日本企業で21世紀に入る頃からさまざまな経営改革がかなりの規模で実行され始めた。それらの多くは、雇用にかなりの配慮をしたものであった。それが生ぬるいという評価もあるかもしれない。しかし、人々の雇用意識、ひいてはそれが影響をする消費の態度には、プラスの効果があるのである。

 そのプラスの効果が明瞭になってきたのが、03年以降なのであろう。03年6月以降、雇用意識指数はどんどん改善し始める。それはじつに急ピッチで、03年12月に39.0、04年3月に42.0、そして4月にはとうとう46.4にまで上昇したのである。それとともに、消費が03年第4四半期から急回復していく。

 同じ頃、松下電器の経営改革がさかんにマスコミに取り上げられ始めた。消費回復がデジタル家電の分野での消費増に支えられている部分が大きいからでもあり、松下の業績回復がかなりあったからでもあろうが、しかし、松下の「新しい日本型経営」に人々の興味があるからでもあろう。

 雇用は大事にするが、しかしやみくもにつねに維持できるわけではない。最後には、もちろん経済合理性を貫く改革が必要なのだ。ただ、最大限の配慮を企業として雇用にしなければ、人々が納得しない。松下の改革はそれを象徴している。そして、そのメッセージが人々にさまざまな形で届き始めている。それが基底にあるからこそ、所得低迷の中での消費回復という現象が起きている。

「お化けは見たが、じつはその正体はそれほど怖いものではなかった」

 日本の景気の内的回復のためには結局、消費の回復がなければならない。GDPの圧倒的な最大項目なのである。その消費が回復するためには、人々の消費心理が回復しなければならない。この10年間、日本人は所得はあるのに使わなさすぎたのである。逆に、アメリカ人は所得と比べれば使いすぎている。いつかはツケが回るだろう。

 日本人の消費心理の回復には、年金問題という将来の不安を取り除く必要ももちろんあるだろう。しかし、もっと大切なのは、足下の雇用不安である。その不安というトンネルの向こうに光が見えてきたとき、人々は消費を増やし始めた。

 いや、人々がお化けの正体をきちんと見定めたのである。そして日本企業が、お化けはそれほど怖くないことを示して見せたのである。

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