「脳と心」が成果主義を拒絶する理由
失敗や挫折の中にあっても、やりたい仕事に取り組んでいるときに脳は活力を得る。
ノーベル賞候補に挙げられた脳科学者の故・松本元氏は、
このような研究成果を残した。
成果主義と脳科学とを結びつけたときに、見えてくるものは何だろうか。
人間の脳はプロセスの中でこそ発展する
すでに、社員3000人以上の企業の83%が成果主義による人事制度を導入しているという(2002年労務行政研究所の調査)。成果主義のもとでは、どうすれば公正な評価ができるのか、働く意欲を低下させるのではないか、長期的な視野が失われるのではないか、などの疑問点が指摘されてきた。そして、ここにきて湧き上がっているのが「成果主義そのものが人間の生き方や、サラリーマン社会に合わないのではないか」という根源的な問いかけだ。今回はその問いかけを、脳科学と現場研究の両面から追ってみたい。
まず紹介したいのが、理化学研究所で「脳型コンピュータ」の開発に携わっていた故・松本元氏の論考だ。ヤリイカの神経細胞の研究でノーベル賞候補にも挙げられた松本氏は、脳のメカニズム解明に関して独創的な研究を続けていた。
そのひとつが理研で進めていた「脳型コンピュータ」の開発だ。脳型コンピュータとは“自発的に考え、学習する”コンピュータのこと。その発想は、入力情報をプログラムに沿って“処理する”という、従来のコンピュータのしくみを刷新する新機軸だった。その松本氏は「脳」と「コンピュータ」の違いを、「プロセス」と「出来高」によって区別していた。
コンピュータの評価は、入力情報をどれだけ速く正確に処理して、出力するか、つまり「出来高」で決まる。
対して人間の脳は、入力から出力にいたる「プロセス」の中で大いに発達していく。人が何か新しいことに取り組むとき、予期せぬ事態は当たり前に起こる。その予想外の出来事に臨機応変に対応していくこと。それこそが脳の特質で、機械には真似できないメカニズム、かつ、人間社会が発展していくカギなのだ。したがって、脳の特質を理解できない組織に発展の芽はない、ということになる。
入力、出力を繰り返すことで発達する脳のしくみは、ひとつ脳の世界だけに留まらず、社会や歴史を発展させていく原理でもあると、松本氏は説いた。そんな人間の脳に、果たして「成果主義」は合っているのか──。成果主義が浸透する会社の現実を、研究者たちはどう見るのだろうか。
お金を社員のインセンティブにしてはいけない
「成果主義を取り入れて成功した会社は日本にひとつもありません」
と、開口一番、すっぱり切って捨てたのは、東京大学大学院経済学研究科の高橋伸夫教授だ。同教授は著書『虚妄の成果主義』で、成果主義とされるものを「(1)できるだけ客観的にこれまでの成果を測ろうと努め、(2)成果のようなものに連動した賃金体系で動機付けを図ろうとするすべての考え方」と定義し、それに対する批判を展開した。高橋教授の論旨は明快だ。
「ちょっと考えればわかることですが、ようするに、(1)も(2)も人間社会では不可能なことなんですよ。不可能なことを評価基準にしているわけですから、こんなに不条理でムダなことはありません」
松本脳科学では、コンピュータの能力は出来高で測ることができるが、それを脳にあてはめるのはナンセンスとした。高橋教授も、経済学の観点からまったく同じ見解を出しているわけだ。しかし、会社でそのことは理解されているのだろうか。
「いやあ、日本の会社員って本当に真面目なんです。だから成果主義が導入されると、理解するよりも前に全力で取り組んでしまう。100項目もの評価基準を前に、首をひねって苦しんでいる人事担当者がいる一方で、評価される側には、どんなにがんばってもどうせオレはC評価止まりで、賃金はこのくらいだ、というような無力感が蔓延している。人間は本来、何のために働くか。その基本的なところを、経営者は理解しなくてはならないはずです」
では、そもそも人間は何のために働くのだろうか。
「成果を上げた褒美として、報奨金をもらうことと、普段会えない社長から握手を求められること、どちらが社員にやる気を与えるかというと、それは断然、後者なんです。ですから会社はお金を社員のインセンティブにしてはいけない。社員には金銭ではなく、本人がやりたい次の仕事で報いるべきです。それでなければ現場は疲弊し、やる気は失われていきます」
同教授が説く、成果主義に代わる価値基準は、「上司が仕事上の目標をはっきり示す」「短期的な数字合わせではなく、長期的展望に立った仕事をする」「10年後の姿に期待が持てるようにする」などだが(『虚妄の成果主義』)、それらはいずれも「本来、未来に向かうようにできている」脳に合致する処方である。
働きがいを求める労働観に対してどう報いるか
「国民生活に関する世論調査」(2003年6月・内閣府大臣官房)では、「本当はどのような仕事が理想ですか」という問いに対して、「自分にとって楽しい仕事」が、99年の34.9%から03年では48.2%と、大幅に上昇している。ちなみに同調査では「高い収入が得られる仕事」を選んだ人が99年で7.6%、03年で8.3%と、いずれも選択肢中で最下位のポイント数になっている。
この結果に注目するのはワトソンワイアットの人材コンサルタント、高橋克徳氏だ。
「仕事を得て食べていくことは切実なことですが、そうはいっても自分にとって楽しい仕事をしたい、という思いは人間にとって自然な流れなんです。もうひとつ、外資系企業の参加が多い『国際企業経営者協会(IMA)』のアンケートでも、働く動機として、全体にやりがい感や、自分がその中で成長していく実感が、世代に関係なく上位にきました。成果主義のビジョンや運用は外資系のほうが明確ですが、それでもそこで働く人々は、収入が多ければ、面白くない仕事でもいいとは思っていません。やっぱり仕事自体が面白くないと、人は働く動機を持てないのです」
これは、たとえば子ども時代を思い出してみると腑に落ちやすい。算数で100点を取ったとき、あるいは図画で花丸をもらったとき、どうして自分はあんなにうれしかったのか。それは「100点を取ったら、100円あげる」と、人から言われたからではない。ある目標を成し遂げること自体に、私たちはワクワクとした喜びを感じていたはずだ。
脳は目標を定め、それに向かうことで発達していく。大切なのは結果ではなく、プロセスなのだ。そのプロセスを楽しむ余裕を与えずに、結果ばかりを重視すると、脳の高次な発達は止まり、その人の人格は矮小化へと向かう。この場合、目標とは自発的なもので、他者が設定するノルマとは違う。
「自分の会社がどういう勝ち方をするのか決めずに、社員を孤独に追いやり、結果だけを問いつめていくような会社は結局、失敗していますね。成果を欲するなら、成果を出せる仕組みを組織に取り込まねばなりません。その時に大事なのは、やはり『育成』なんです。現場で小さな達成を積み上げていく方式のトヨタ。クビ切りはしないと社員に宣言したホンダ。技術的な競争では厳しいプレッシャーがありますが、業績が順調な会社は、人材育成と、継続的な人間関係の構築をきちんと行っているんです」
目標を達成すると脳の活力は一気に下がる
脳は自己設定した目標に向かって発達していく。しかしもうひとつ、脳の特性として認識しておきたいことがある。すなわち、目標は、それが達成された瞬間に目標でなくなってしまうという、“哲学的”な矛盾だ。松本氏はその例として「山小屋のエピソード」をよく引用した。
冬山で遭難する人は、実は吹雪の山中で倒れているよりも、山小屋の手前でこときれる場合が多い、という。あと十数歩歩けば、安全な場所にたどりつけたのに、なぜ、力尽きてしまったのか。それは吹雪の中を死に物狂いで歩いていた遭難者の脳が、山小屋を目にしたときに「これで助かった……」とイメージしてしまうからなのだ。
「助かった」と思った途端、直前までサバイバルに向けてめいっぱい活動していた脳の活力は一気に下がる。脳の活力が下がれば体は、そこより先に進まなくなる。かくして無念の結末にいたる、というわけだ。
そうならないためには、「次は家族に知らせねば」というように、すぐさま目標の再設定を行わなければならないのだが、ここに脳のしくみの落とし穴がある。脳は有能であればあるほど、「もっともっと」と先の目標設定に力を注ぐことになる。このようなしくみが、あらゆる文明の発達をうながしてきたわけだが、それは一個人が背負うには、時としてあまりに苛烈な重圧ともなる。
成果主義は、このような“有能な人”をもつぶしてしまう危険な側面を持つ。ワトソンワイアットの高橋氏は、次のような例を挙げる。
「数は少ないのですが、黙っていても成果に向かって進むような、達成動機の強い人材は確かにいるんです。Aさんはすごいアイデアマンで、数億円の事業を2年ぐらいで50億円レベルにまで引き上げて、一気に課長から取締役になりました。彼のコンピテンシーというのは本当に高かった。でも、どんなに有能でも人間はそうそう走り続けることなどできません。大きな成果を出したAさんを待つのは、さらに大きな成果。それを達成すると、またさらに大きな成果。そのプレッシャーの連続で結局、彼は会社を辞めるまで追い詰められてしまいました」
成果主義の陥穽にはまらないためには、組織内に、人間の「脳と心」に合った働き方、考え方を行き渡らせる必要がある。
その際、人間への評価を機械のごとく出来高で測ろうとする成果主義は、非常にネガティブな物差しである。成果より目標に到達するまでのプロセスを評価しようとする企業が増えているが、それは、このような人の「脳と心」のメカニズムに根拠を見出すことができるのではないか。
松本氏は「脳力」を測る表現として「輝いているか、いないか」という言葉を多用した。企業も人も、いい仕事をしているときは「輝き」がある。人が輝いて生きるためには、脳が発達するような仕事の仕方を、いまいちど取り戻すべきなのだ。











