「株主重視型企業」の業績が
悪化する、本当の理由

 
 
「株主重視経営」ということばが独り歩きしているが、その定義は明確なのだろうか。
株主の声を経営に反映した結果、業績が悪化した企業も少なくない。
一方では、株主を過剰に意識しない会社が最高益を更新し続けている。
経済学の祖であるアダム・スミスは、株式会社に疑心暗鬼だった。
フォードの創業者であるヘンリー・フォードは株主を「寄食者」と揶揄した。
筆者は、株主の意向に沿った経営の危険性について論評する。
 
 
神戸大学大学院経営学研究科教授
加護野忠男 = 文
text by Tadao Kagono
かごの・ただお●
1947年、大阪府生まれ。70年、神戸大学経営学部卒業。75年、同大学大学院博士課程修了。79年から80年までハーバード・ビジネス・スクール留学。専攻は、経営戦略論、経営組織論。著書に、『日本型経営の復権』『競争優位のシステム』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

 過剰な自信喪失から立ち直ったいま、株主主権を回復すれば日本の会社がよくなるという脳天気なことを言う人々は少なくなってきた。株主に迎合して企業統治制度の改革をしたけれども経営が悪化した例が出てきたし、逆に、キヤノンやトヨタ自動車のように株主への迎合を潔しとしなかった企業が高い評価を得ている。海外の機関投資家からの無理な要求に辟易している経営者の中には、株主の意向に沿うことが企業にとって、また株主にとっても、本当によいことなのだろうかという疑問を抱き始めている人もいる。

 小論では、株主の意向に沿った経営がどのような問題をもたらす可能性があるかを考えてみることにしよう。

アダム・スミスが指摘した
株式会社制度の胡散臭さ

 アダム・スミスが『諸国民の富』を書いたのは、18世紀後半の1776年。株式会社の勃興期でもあった。このアダム・スミスが、株式会社は胡散臭い制度であり、株式会社をあまり普及させるべきでないと主張していたことはあまり知られていない。

 実際に株式会社の草創期には、胡散臭い出来事が頻発している。イギリスで起こった事件の中でもっとも有名なのは1720年の南海のバブルと呼ばれている南海泡沫事件である。この事件はガバナンスの問題というよりも、株式会社という新しい制度を使った詐欺事件であったと考えたほうがよい。南海会社は、英国政府の国債を引き受け、その代償として中南米のスペイン領植民地との貿易の独占権を与えられた会社であった。1720年4月、会社の工作によって、政府はこの会社に3000万ポンドの国債を引き受けさせるという議案を、議会に提案・承認させた。これがきっかけになって、南海会社の株価は一気に10倍に暴騰した。南海会社だけでなく、他の会社の株式も暴騰し、証券市場はバブル状態になった。しかし6月下旬をピークに株価は暴落し、多くの市民が被害を受け、この事件は政治的スキャンダルにまで発展した。

 アダム・スミスは次のように書いている。「株式会社の事業は、つねに取締役会によって運営されている。もっとも、取締役は、多くの点で株主総会から規制されることがしばしばある。しかし、株主の大部分は、会社の業務についてなにごとかを知ろうとはめったに主張しないものであって、自分達のあいだに党派心でもはびこらぬかぎり、会社の業務の世話などやかず、取締役が適当と考えておこなう半年または1年ごとの配当をうけとり、それで満足しているのである。一定限度の額以上にはなんの煩労もないというこの事情が、合名会社にどのような事情があってもあえて財貨を投じたがらぬ多くの人々を奨励し、株式会社にたいする冒険者にならせる。したがって、このような株式会社は、どの様な合名会社もおよびもつかぬほど大きな資本を自分のほうへひきよせるのである。……」(『諸国民の富』岩波文庫 大内兵衛・松川七郎訳(四)91-92頁)。

株主の経営への介入を嫌ったフォード創業者

 会社自体が胡散臭いだけでなく、株主もまた胡散臭い存在であった。このような株主を嫌った企業家も少なくない。ヘンリー・フォードは株主を寄食者と呼び、「彼らには一セントたりとも払いたくない」と考えていた。実際に、ヘンリー・フォードは株主と果敢に戦った。ヘンリー・フォードと株主との対立を決定的にしたのは、1916年の利益処分をめぐっての意見対立であった。この年の決算でフォード社は、6000万ドルの純利益を挙げた。自己資本が10万ドルであったから自己資本の600倍に当たる利益である。ヘンリーは、この利益のうち4000万ドルを1台当たり80ドルの割り戻しという形で顧客である消費者に還元しようとした。残りの1900万ドルは事業拡張のための費用とし、残る100万ドルだけを株主に配当として配分しようとしたのである。もちろん、このような利益処分案で株主の賛同を得るのは難しかった。過半の株式を保有していたヘンリーは数の力で強引に自らの決定を押し通そうとした。不満を持つ株主は訴訟に訴えた。消費者が払いうる最高の値段で売るのが営利企業の任務だというのが株主の論理であった。裁判では少数株主が勝訴し、フォードは配当の支払いを命ぜられた。この敗訴がきっかけになってヘンリー・フォードは、しぶしぶ少数株主の株を買い取ることになった。株主の経営への介入を嫌ったからである。

 フォードの創業を可能にしたのは、小さなウォールストリートと呼ばれていたデトロイトの街の投資家たちであった。彼らは、フォード自動車への投資によって十分な利益を得ている。

 証券市場は、企業へ成長資金を供給する場だと考えられているが、10年代のフォード社のような成長期の企業は市場からの資金調達を必要とせず、留保利益だけで十分に成長をまかなえた。証券市場は企業にリスク資金を供給する場であるよりも、リスク投資をした人々に報酬を与える場と考えたほうがよいのかもしれない。日本でも同様である。出光佐三は神戸高等商業学校の先輩だった篤志家の出資を受け、出光商店を興したが、第二次大戦後の成長期にも株式会社制度は採用せず、個人商店の形態を守り抜いた。株主主導経営の怖さを知っていたからであろう。

 アダム・スミスが株式会社に懐疑的だったのは、株式会社に二重の無責任があるからだ。一つは、経営者の無責任、もう一つは、株主の無責任である。この二種類の無責任が相乗したとき、実に深刻な問題が起こる。日本でも二重の無責任が深刻な問題をもたらした例があった。

 日本では、日清戦争後に第二次株式会社ブームが起こった。こうして勃興した会社のいくつかは、第一次大戦後の不況で破綻した。高橋亀吉は、大正から昭和にかけて破綻した21社の分析をもとに、破綻のパターンを表のように六つに分けている。破綻のパターンは多様だが、根本的な原因は一つであるといってもよい。高橋はそれを次のように書いている。「株主の専横から蛸配当を強いられ、かくて事業を破綻に導いた」という原因である。これをもたらした経営者の気持ちを福沢桃介は「株主の利益をはかるためには自分の手足を食いつくす蛸のように、無理な配当もやむをえず」と表現している。

 高橋はこうした問題の解決策として、重役の無限責任制度の導入を主張している。第一生命保険の創業者である矢野恒太も銀行業界や保険業界では、役員の無限責任制度を導入すべきだと言っている。実際に、矢野の属する生命保険業界では、株主の意向を受けた近視眼的経営が数多くの破綻を招いた。1893年から98年にかけて設立された37社の生命保険会社のうち昭和のはじめまで営業を続けていたのは14社にすぎなかった。生き残ることができたのは、長期的視野を持つ株主(無限責任を持つ財閥会社)に株を持ってもらい、経営の自立性を高め、短期志向の株主による経営介入を抑えることができた会社である。

「ものを言う株主」と「ものを言わない経営者」

 株主由来のモラルハザードが起こる理由は単純だ。株主は有限責任である。出資分に対しては責任を負うが、それ以上の負債に対しては責任を負う必要がないのである。この矛盾が最も典型的に表れるのは、留保利益の分配をめぐる経営陣と株主の対立である。従業員への雇用保障を重視してきた日本の経営者は、継続的な経営安定化のために潤沢な資金を持ちたがる。他方、株主は、企業に留保された資金の過剰な分配を要求しがちである。有限責任であるから株主は債務不履行のリスクを過少に評価してしまう傾向にある。株主の利益分配要求は、株主に与えられた権限と責任との間のギャップから生じるモラルハザード、株主由来のモラルハザードと呼ぶことができる。

 機関投資家と企業経営者との争点となっているもう一つの問題は、委員会等設置会社への移行が是か非かという統治制度の問題である。機関投資家の多くは委員会等設置会社への移行を望んでいる。他方、日本の企業経営者の多くは、委員会等設置会社の制度は日本の経営の実態に合わないと考えている。どちらが正しいかを客観的に判定することはできないが、投資家からすると、われわれが統治する側だから、われわれに従えということになるのだ。しかし、この姿勢は、専門知識を持つ宰相の諫言を聞こうとしない王様と同じ危険をはらんでいる。

 ディスクロージャー制度が充実した現代資本主義社会で高橋亀吉が警鐘を鳴らしたような問題が起こるとは考えにくいが、株主の権利と義務との間にアンバランスを生み出している現代の法制度の下では、株主起因のモラルハザードが起こる危険は常に残されている。

 株主の要求に従うことが正しくないと感じたときに、経営者はどのようなスタンスで行動すべきか。もっとも明快なのは、会社は株主のものだから、仮に株主が間違っていると思ってもその意向に従うべきだという姿勢である。しかし、会社は社会的な存在であるということを考えると、この姿勢は正しくない。「逆命利君」を美しいとみなす日本の伝統的な価値観とも合わない。このときに必要なのは、ほどほどに聞くというスタンスだろう。

 松下幸之助は、消費者は神様だと語った経営者に、その神様が名君になるようにお手伝いするのがわれわれの仕事だとたしなめたという。大切な顧客に対しても言うべきことを言うというのが松下の精神である。

 同じように、株主に対しても言うべきことを言う必要があるのかもしれない。しかし、法的には株主が経営者の任免権を持っているわけだから、経営者の志ある諫言は自らの地位を危うくする。だからといってこのような自己主張を抑えつけてしまうのは株主の利益にもならない。

 株主は、経営の専門家としての経営者の意見を尊重しなければならないし、経営者は株主と上手に向き合わなければならないのである。組織内部と同様、経営者は「マネジング・ユア・ボス」をうまく行う必要がある。これまでの歴史をふりかえって見ると、古今東西の経営者は、そのためにさまざまな方法を使ってきたことがわかる。どのような方法が用いられたかについては、次の機会に譲ることにしよう。

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