「二つの顔」を持つ中国「2010年問題」

 
 
筆者は、7年ぶりに中国を訪れた。その急激な変容を目にして、
経営学者の直感が働いた。
急成長する中国経済に対する期待と不安だ。
豊かな中国と貧しい中国──「二つの顔」には想像を絶するギャップが。
それを政治的に調整しながら成長を遂げている中国だが、現在の状況を、
バブルと見る中国人は少なくない。2008年に北京オリンピック、10年には上海万博が
開催される。果たして宴の後の中国経済は……。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
伊丹敬之 = 文
text by Hiroyuki Itami
いたみ・ひろゆき●
1945年、愛知県生まれ。一橋大学商学部卒業、カーネギーメロン大学経営大学院Ph.D。73年より一橋大学商学部に勤務。75年から83年にかけて、2度スタンフォード大学ビジネススクール客員准教授。
著書に『場のマネジメント』『経営の未来を見誤るな :デジタル人本主義への道』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

赤ちゃんが700円で売買されている現実

 この3月下旬に、7年ぶりに中国を訪れた。まるで浦島太郎であった。想像をはるかに超える変化がたった7年の間に起きていた。私は、20年近く前からほぼ数年おきに中国を訪ねているが、この7年の変化のスピードは異常に見えた。生理的とも言える不安すら、感じた。発展が早すぎる、という不安である。

 そして、二つの中国がある、という不安である。

 上海のダウンタウンの交差点の夜11時。若いカップルが交差点の中でキスをしている。服装は東京・青山あたりと変わらない。まるでトレンディドラマの世界である。一方、蘇州の下町の薄汚れたアパートの中庭の昼下がり。20代の男たちが所在なさげに古ぼけたビリヤード台を囲んでいる。仕事がないので昼間からブラブラしているのだ、と同年代の日系企業で働く大卒女性が教えてくれる。

 新聞や雑誌で、北京や上海の郊外の別荘型住宅の広告によくお目にかかる。広いアメリカンスタイルの豪邸が売れているのである。株で儲けた人、不動産転がしで儲けた人、企業の経営者、さまざまな買い主だという。その一方、農村で赤ちゃんが一人日本円にして700円で売買されるというニュースがある。売る人はそのお金で別の子供の教育資金にしたい、買う人は臓器として使うために買うという。悲しすぎる話だ。農家収入が減少していることが農村を貧しくしている。それへの対応であろう、今回の全国人民代表大会では7%の農民所得税を5年でゼロにする政策が決まった。

 上海の日系企業の管理職として活躍する若い女性が日本円で500万円ほどのマンションを買った。一方、彼女のお姉さんは湖南省の小さな都市で国有企業に勤め、月給は日本円で1万7000円ほど。妹の月給はその5倍では済まないだろう。しかも、そのお姉さんはいずれ職がなくなると覚悟している。職場に行っても仕事はなく、毎日職場で麻雀をしているからである。大連の国有企業の中年男性の管理職も最近不思議な経験をした。企業は赤字で仕事もとくに忙しくないのに、5年ぶりに今年は月給が上がった。それも2割も。なぜかといぶかる気持ちもあるが、しかし自分の子供たちの世代が外資系で働いて自分よりもはるかに高い給料をもらっているのを見ると、自分も多少上がるのは当然に思える。

 明らかに、二つの中国がある。もちろん、どこの国にも、そうした二つの顔がある。しかし、これだけ短期間に二つの顔がこれだけくっきりと分かれることは、珍しいだろう。

 二つの顔のギャップが、私に二つのことを考えさせる。第一に、なぜこのギャップがここまで大きくなったのか。それは、なぜ中国がかくもすさまじい発展をできたのか、を問うことになる。たとえば、中国の巨大なインフラ投資、林立する摩天楼の投資の金はどこから生まれたのか。第二に、このギャップはどこかで爆発しないのか。二つの顔の巨大な格差を抱えたままの発展はどこまで維持可能なのか。

 中国の現場を見ながら考えていると、中国について読んだ多くの論考のいくつかの箇所や論理が、あぶり出しのように浮き上がって見えてくる。さまざまな説明がある中で、何が現場感覚に合う説明か、何がとくに大切な要因か、それを感じるようになる。現場の空気は大切だ。

赤字の国有企業で給料が上がる仕掛け

 経済の体制面から中国の発展の理由を考えれば、一つの大きなポイントは中国が市場経済のダイナミックスと政府のコントロールのミックスを巧みに行ってきた、ということであろう。80年代には農村が解放され、そこから多くの商品供給と資金が市場メカニズムに沿った形で生まれ、社会全体を潤した。人民公社時代の非効率から農村が解放されただけでも、大変な経済発展ができた。そして90年代は、外資の導入の時代であった。輸出企業を中心に外資が資本と技術を中国に持ち込んだ。そこで、農村部の大量の労働力が使われた。その労働力はいわば、国内移民のようなものであった。国内ではあるが経済特区に人々が「短期移民」し、そこで労働力を売ったのである。それが、国外からの富の大量の流入を可能にした。

 こうした政策を実行するプロセス、そのためのインフラ整備では、政府の権力は十二分に使われた。巨大な私権の制限があったのである。だから、たとえば、あっという間に上海の黄浦江に6本の橋が架かってしまう。

 しかし、国内の資源の移動と利用の観点から見れば、90年代は都市部による農村部からの資源の「くみ上げ」の時代であったという意見がある。都市部のインフラ整備、都市部の国有企業の従業員たちの待遇の改善、そのために農村部から資源が国家によってくみ上げられて都市部に投入された、というのである。そのくみ上げは税金の徴収という形でも行われたし、農民が使う工業製品の価格を国家が上げてその上昇分がその製品を生産している都市部の国有企業に入る、という形でも行われた。さらには、全国の銀行の預金の中から都市部の国有企業への貸し付けを行うという形でも農村部からの資金移転が行われた。

 その貸し付けも、事業拡大のためならいざ知らず、国有企業の従業員たちの待遇改善費用として赤字企業にまで貸し付けられた部分がかなりある、というのである。それが、じつは「赤字で仕事も暇なのに給料が上がるという不思議」の背後にある現象である。そして、こうした妙な貸し付けは、当然に不良債権化する。中国の銀行の不良債権問題が中国経済の弱点だとよく言われるが、その背後には都市部を中心とした国有企業へのこのような融資があるのである。株式市場での上場という形での国有企業への資金流入もまた起きている。中国全体の金の流れは、かなり国有企業偏重になっている。

 都市部の国有企業に働く人々の数は多い。彼らの待遇を改善することは、じつは都市部での社会不安を大きくしないためにも90年代には必要だったと思われる。外資系企業、独立系私企業が都市部では活躍し、そこでは高い賃金が支払われる。その賃金を横目で見ている国有企業の人々が過度の不満を持たないようにするためには、都市部に資金を投入する必要が政府としてあった。さらには、都市部でのインフラ整備は都市部での労働需要を大きくするための効果もあった。

 こうして都市部に資源を集中することは、国全体の長期の発展戦略として決して間違いではない。ただ問題は、その資源集中がいつまで続けられるか、ということである。

「国内移民」による労働力の「輸出」でどこまでいけるのか。そこには実質的な技術移転は少ないのである。農村部からの資源のくみ上げが農村部を疲弊させないか、あるいは農村部と都市部の格差が広がりすぎて、社会不安の原因にならないか。中国の過去の革命はほとんどすべて、農民の疲弊と流民化から生まれている。

中国企業の経営者が予測する「10年後」

 すでに中国はさまざまな意味でひずみが限界に達しつつあるようにも見える。社会の中の不満、供給過剰、資源制約。さまざまな成長への制約が生まれつつある。

 たとえば、あちこちで顕在化し始めた「二つの中国のギャップ」が社会不安の源になる。ただ、これまでの発展のすさまじさは、多くのひずみを吸収してきてしまった。国内にそれだけ新しい需要が生まれてきたからである。しかし、すでに中国国内市場は供給過剰状態になりつつある、という。物価が下がり続けるデフレ状態がすでに数年続いている。10%弱の成長をしながらデフレ状態という奇妙な姿が中国に生まれているのである。

 その上、中国経済の規模がますます大きくなっていくと、世界中の資源を中国が吸い込み始める。たとえば、中国の国民一人あたり原油消費量はまだアメリカの22分の1である。この消費量は経済規模の拡大とともに増えていくだろう。そのとき、世界全体の原油の需給に変化が生まれ、中国の拡大が原油価格上昇の原因になるだろう。原油ばかりではない。さまざまな資源分野で、中国の需要が国際価格をつり上げ始めている。その資源制約が、中国の成長の制約になっていくだろう。

 しかしそれでも、2010年までは中国政府はなんとかこうした成長の制約を乗り越えようとするだろう。2008年には北京オリンピックがある。2010年には上海万博がある。この二つの国際的大イベントをなんとしてでも成功させる必要が、国家の威信としてあるからである。したがって、都市部、とくに北京と上海を中心とした資源集中がそれまでは必死の思いで行われる。これまで巧みな経済運営を政治権力と市場メカニズムを使い分けて実行してきた中国である。それをやれないと思う理由はない。

 しかし問題はその後である。すでに中国の多くの人々が、株や不動産がバブルだと感じ、2008年あるいは2010年が過ぎれば価格は下がると考えているそうである。そういう予想が共有されている経済でいったん実際に価格が下がり始めると、それは一気に売り一色の市場になる危険が大きい。

 要するに、2010年までは現在程度かそれより少し低めの拡大が続くだろう。しかし、その後には大調整期が来るだろう。それが私の予想である。ただ、その大調整期が中国社会の大崩壊を招くとか、あるいは中国が分裂する、というような予想は私は持たない。この20年の中国政府の社会運営のバランスのうまさを考えれば、そこまではいかないと思えるのである。

 しかし、この10年ほどの発展のスピードが社会生理として異常現象である、とは思う。考えてみれば、文化大革命のときの中国も異常な現象が起きた。今回も、多くの人々を幸せにはしながらも、やはり異常な現象が起きていると思うべきであろう。そのつけは、いつか払わなければならない。ちょうど文革の後の中国が大きな代償を支払ったように。もちろん、2010年後の調整の代償が文革に比較すべきほどの大きさになるとは思えない。しかし、社会生理として異常なことにはいずれは修正がくる、という意味では同型なのである。

 中国の発展について、一直線の予想も過度の悲観論も持たないほうがいい。日本経済新聞のアンケート(3月24日)によれば、中国企業の経営者の10%が「10年後の中国経済は、いまと変わらない、あるいはバブルが崩壊して低迷している」と答えている。同じ答えを中国経済に対してした日本の経営者はわずか0.9%である。中国の現実を知っている経営者の中に、あえて「発展しない」と答える人が10%もいるということに、われわれはもっと注目すべきである。

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