[最終回]
もし環境オリンピックが開催されたら、日本企業はメダルを狙える。しかし……
「環境力」と日本の明日
ビジネスチャンスに溢れている。困難で高い目標であればあるほど、
他者に先んじた者は、より大きな成果を得られるのだ。
中小企業へ波及する環境ビジネス
およそ1年間かけて、「『環境』の現場を行く」シリーズで19社を回った。世間では「企業は、環境、環境と言っていても、イメージアップのためにそう言っているだけで、実際には大したことをしてないんじゃないか」と思っている人も少なくないだろう。しかし、日本企業全般とはあえて言わないまでも、今回訪ねた19社に限っては、そんなことはまったくなく、本物だと言っていい。「本物」という意味は、「世間に素顔を見せたくないから、厚化粧しているわけではない」ということだ。
日本で環境を経営のど真ん中に据えている企業は、もし環境オリンピックといったものがあるとすれば、アメリカやヨーロッパの企業に伍して、優に金銀銅を狙えるところにあるとずっと思っていたのだが、今回実情を目の当たりにして、ますますその意を強くした。訪問した19社は、もちろん日本を代表するような大企業ばかりで、中小企業は含まれていない。そこで、中小企業にはちゃんとした取り組みをしているところは少ないのではないかと思われる人もいるだろうが、そんなことはない。私の知る限り、中小企業でも、大変な勢いで環境問題に取り組んでいるところがたくさんある。
では、どうして中小企業までそうなってきたのかと言うと、一つには大企業からの波及効果が挙げられる。
大企業の中には、ISO14001の認証を取っていない企業とは取引しないと公言するところがずいぶん増えてきたし、グリーン購入法も浸透してきている。質がよくて安ければ買ってもらえる時代が終わり、否応なしに中小企業にまで、環境取り組みの波が及ぶことになったのだ。そして、そうした変化に対応できる日本の中小企業の底力もあって、裾野もかなり広がってきた。環境オリンピックがあれば日本企業は金銀銅を狙えるだろうと言ったのは、そういう意味からだ。
勝負どころで集団から抜け出す力
まさに、今、日本では「環境産業革命」といえるような動きが出てきている。ただ、ここで注意しなくてはいけないことがある。それは、20世紀型思考が、まだ社会のそこかしこに澱のように残っているということだ。
20世紀型思考というのは、大量生産・大量消費を基本として、景気がよくならなければ、会社も社会もよくならないという考え方を指す。そうした20世紀型思考を卒業した立派な経営者もたくさんいる一方、20世紀型思考から脱却できない経営者が、大企業や大々企業の中にも少し残っているようだ。日本は10年余りにわたって不況が続き、ここへきてようやく回復の兆しが見え始めたが、こういうときに環境対策などにヒト、モノ、カネをつぎ込んでは、また元の不況に戻ってしまうと思っている人がいるのだ。
しかし、私に言わせれば、それは大きな誤解である。環境対策をやってこそ経済も活性化するし、社会全体も活性化する。それを言いたいばかりに、私は『環境力』という本を書いた。
不況の中で環境対策をきちんとやっきた企業は、今日の業績がいい。いわゆる「勝ち組」といわれる企業は、いわば環境対策に努力したご褒美を今、返してもらっているようなものだ。
私がこうした話をすると、「それは資金に余裕があるからできること。トヨタみたいに1兆円も利益が出ていれば、環境でも何でもできますよ」と反論する人が必ず出てくる。しかし、私は「馬鹿なことを言うんじゃない」とはっきり言い切る。
そういうことを言う企業は、バブルの時代、余裕があったときに何をしていたのか。例えば、土地を買う、株を買う、芸術に興味もないのに値上がりを期待して美術品を買う、あるいはゴルフ会員権を買う。銀座のバーで女の子を侍らせて5万円、10万円取られてもポンと支払っていたではないか。
そんなときに、例えばトヨタは何をしていたか。もちろん資金に余裕があったことは否定しないが、ハイブリッド車や燃料電池車などの研究開発を地道に行っていた。トヨタに限らず、「21世紀にビジネスをするというのはどういうことなのか」がわかっていた企業は、余裕があろうがなかろうが環境対策に投資をしていた。言い換えれば、先見性と戦略性を持っていたのだ。「余裕がないから環境対策ができない」などと言うのは、最も安直な逃げ口上にしかすぎないということをはっきりと言っておきたい。
自動車メーカーにとって、「地球温暖化」対策というのは、言うまでもなく大きなハードルだ。そのハードルを越えるために、ハイブリッド車や燃料電池車をつくる。それに対する投資は大変なことではあるけれど、そのハードルをポッと飛び越えることができたとき、他企業に差を付けて、競争力を勝ち取ることができる。ちょうどマラソンの終盤戦で、上り坂や下り坂に差し掛かったとき、ランナーにとってもっとも辛い瞬間に集団を飛び出した人が勝利を得るようなものだ。これこそ、私が「環境力」と呼ぶものなのだ。
もし、そうしたハードルが高く辛いからと、政治家でも利用してハードルを潰してしまおうなどと考える経営者であれば、その企業に真の競争力が付くことはなく、やがて5年経ち10年経ちすれば衰退していくものと思われる。反対に、その大変なハードルを他者に先んじて越えることができるなら、単に日本国内のみならず、世界に通用する国際競争力が付くことになろう。
1プラス1がゼロになる行政サイドの遅れ
日本は企業の頑張りで、環境力を増大させつつある。とはいえ、克服すべき課題はまだ残されている。まず一つは行政で、なかんずく中央行政だ。
中央行政も、個別に見ると環境省、経済産業省、外務省、国土交通省といった省では、環境対策を進めるべきだと皆一生懸命主張している。「そんなことはやらなくていい」などと言っている省は、今や一つもない。そこで、各省の足並みがきちんと揃っていれば、1プラス1が3以上の効果を発揮する素地はできている。ところが、実際には、同じく「21世紀は環境だ」と言っていても、足並みが乱れているので、有効な政策が打ち出せない。
企業からすれば、環境省とも関係があれば、経産省や国交省とも関係がある。それら役所の環境対応に温度差があるために、企業は、いわば股裂き状態のようになってしまっている。要するに縦割り行政の悪弊が環境分野にも残っているのだ。
もう一つ、昔からのいろいろな規制が残されている点も見逃せない。代表的なのは廃棄物関連法で、運搬をはじめ、廃棄物を取り扱う業者に対してがんじがらめの規制が残されていて、自律的な改善の余地が奪われている。規制がすべて悪いとは言わないが、時代に合わなくなった不必要な規制が見直されることなく、そのまま残されているのは許されていいことではない。
一例を挙げると、バイオマス発電を行うときの電気事業法や、燃料電池の燃料となる水素ガスにおける高圧ガス取締法などがある。本シリーズで、岩谷産業を訪問した際にも、牧野明次社長が「もっと便利な場所に水素供給ステーションをつくろうと思っても、昔からの規制がいろいろ残っていて、それを全部クリアするのは容易なことではないんです」とおっしゃっていて、実際に「見直してもらいたい規制」のリストを拝見すると、ものすごい規制の量に驚かされた。
今や、大きな変革の時期を迎えているのに、10年、20年、30年前につくられた規制がそのまま残っていて、実情に合わなくなっているうえに、さらに役所同士の足の引っ張り合いということが加わると、ますますマイナス要因が大きくなってしまう。その結果1プラス1が2にすらならず、ゼロないしマイナスになってしまうのだ。
企業は、そういうことを痛感していながら、いろいろな差し障りがあるために、声高には発言できない。その代わりに利害関係があまりない私たちのようなNPOが発言せざるをえないようになっている。今、地球上で最大の問題と言っていい「地球温暖化」の原因である二酸化炭素排出削減に対してブッシュ大統領が拒否したとき、小泉政権も追随したら大変だと思い、私が主宰するNPOは、他のNPOなどと連携して、首相官邸前で2回、新宿と銀座で各1回、デモを行った。
総選挙で「環境」が争点になっていたら
日本の社会が、環境オリンピックでメダルを取るのにふさわしいものになるために、もう一つ大きな役割を果たすべき存在は消費者だ。
消費者も、しばらく前とはずいぶん変わってきていて、少しぐらい値段が高くても環境にいい製品を買う動きが見られるようになってきた。環境対策を一生懸命やっている企業の製品を、環境対応に積極的な店から買うという消費者も確かにいるが、まだ少数派だ。大多数の消費者は、相変わらず、価格と品質だけ考えて買い物をしている。
私は、世界中の人々が「環境の勉強をしたければ、日本へ行け」と言われるような国家になってほしいと思っている。実際、日本の企業は、技術力でも経営力でも、それだけの実力を持っている。ところが、その実力を思う存分に発揮できずにいるのは、消費者の意識と行政サイドの問題なのだ。
- 環境と人間社会と経済とを
調和させる、持続可能な
社会への道は存在する 
- 『環境力』
ごま書房刊 1300円+税
「環境こそ日本が世界をリードできる分野だ」とかねて主張してきた著者が、その処方箋を平易に提示する。
それともう一つ、政治家のことにも言及しておかなければならない。日本の政治家にも、環境に関心のある人はたくさんいるし、事実「環境は大事だ」と口にもするのだけれど、本当の意味での環境力が付いているとは言い難い。
昨年11月に総選挙があった。あのとき、異常気象によるさまざまな被害が世界中で起こっていた。にもかかわらず、どの政治家も、どの政党も、それを争点にできなかったし、しようとしなかった。国民の多くも、政治家や政党にそれを求めなかった。
総選挙で話題になったマニフェストには、どの政党も環境政策について書かれた個所があった。それなのに、争点にはまったくなっていない。
民主党は「高速道路の通行料をただにする」とマニフェストで主張したが、そんなこと本当にできるのかと国民に疑念を抱かせるような提言ではなく、例えば「低公害車の通行料はただにする」と政策パッケージで主張していたら、どういう反響があっただろうか。もちろん選挙の結果まではわからないが、党の個性を強烈にアピールするいい機会になったことだろう。日本の自動車メーカーの低公害車開発競争に拍車がかかり、その結果、技術は高まり価格も安くなって国際競争力を持つに至る。ひいては、日本経済の再生に大きく貢献する可能性もあった。そういう点で、日本の政治家は環境力に欠けていると言わざるをえない。
総選挙で、年金問題が大きな争点となった。年金制度が崩壊すれば将来不安が増すということなのだろうが、私に言わせれば、将来不安なら、気候変動のほうがよほど不安だ。
気候変動など環境問題は、人類の存続を脅かすことになりかねない問題だ。私たちや私たちの子孫の生活を根こそぎ変えようとしている問題に、人々はどうしてもっと関心を持たないのか、また政治家がもっと問題提起をしないのか、私は大いに疑問に思っている。
イギリスのブレア首相は、環境問題を争点の一つに掲げて、選挙に勝った。イギリスは、京都議定書の割り当てでは、二酸化炭素の削減が12.5%でいいところを、20%削減を目標にしている。
それは、なにもブレア首相が人気取りのために打ち出した目標ではない。今の地球の温暖化ペースを見れば、どうせ京都議定書で決められた削減目標では終わらず、将来もっと厳しい規制に取り組まざるをえないことを見越して、それなら対策を早く進めようと考えたためだ。この先見性と戦略性こそ、日本の政治家に見習ってほしい「環境力」にほかならない。
イギリスは法人に対する気候変動税をいち早く導入したが、ユニークなのは、政府と二酸化炭素排出削減目標の協定を結び、目標どおり削減できた企業や産業団体には税額を80%カットするという仕組みをセットで導入した。さらに、二酸化炭素の排出権取引市場をつくり、環境対策を積極的に進める企業ほど有利な条件を整えていったことだ。日本の環境対策先進企業の中にも、同様な仕組みの環境税を「早く導入してほしい」と公の席で発言する企業トップもいる。
20世紀型パラダイムが崩壊して、新しい世紀の新しいパラダイムを私たちの手でつくり出さなければならない。その目指すべき姿は「持続可能な社会」である。私たちに残された時間は、それほど長いものとはいえないが、私は悲観していない。「環境力」によって、大きな岩がいったん動き出したら、社会は急激に変化していくことだろう。そして、岩が動く日は、そう遠いことではない。
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