特集/年収が上がる仕事術
「浮上する近道」9の感覚を磨け

元気感覚

強運を呼び込む「現役思考法」

 
 
2004年、小宮山悟は再び、千葉ロッテマリーンズのユニホームでマウンドに上がることになった。
球界復帰を目指し、「現役投手」という肩書でトレーニングに励んできた2003年が結実したのだ。
あきらめない、くじけない──。小宮山悟の強い克己心、衰えを感じさせない肉体の理由とは。
 
 
千葉ロッテマリーンズ投手
小宮山 悟 = 談
text by Satoru Komiyama深町泰司 = 構成市川 毅 = 撮影
 
 

 昨年1年間、僕は「現役投手」という肩書で、野球の解説や評論の仕事をしてきました。2002年のシーズンをニューヨーク・メッツで過ごした後、アメリカでも日本でも、僕と契約をしてくれる球団はありませんでした。球団との契約がないにもかかわらず、現役引退をしなかったわけですから、言ってみれば「浪人」の1年を送ったことになります。

 多くの人から「なぜ引退しないのか?」「どうして現役にこだわるのか?」と問いかけられました。そう聞かれることが、僕には不思議でなりませんでした。可能性がある限り、そこに賭けてみるのは当然のことだと思っているからです。これまでの野球人生の中で、野球を辞めていく人たちを数多く見てきました。ほとんどの場合は、野球を続けたいけれども辞めざるをえない選手たちです。自分自身が満足してユニホームを脱ぐ人は、数えるほどしかいません。体が動くにもかかわらず、野球という仕事を辞めなくてはいけないのは、本当に悔しいものです。僕には、投げる場所さえあれば、現役で投げ続けられるという自信があった。引退しなかった理由を突き詰めて言うならば、「自分に自信があった」という一点に尽きると思います。「可能性がある限り」と言っても、その可能性がどの程度なのかと考えると、限りなくゼロに近かったのは確かです。けれども、ゼロに近くとも、ゼロではないと考えた。本人がダメだと思ったら、その瞬間に現役生活は終わりますから。

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●こみやま・さとる
1965年、千葉県生まれ。90年にドラフト1位でロッテオリオンズに入団。横浜ベイスターズ、ニューヨーク・メッツ、1年間の浪人生活を経て、今シーズンより千葉ロッテマリーンズへ。

 1年間の「浪人」生活で、モチベーションの維持が難しかったということはありません。必要以上に考えすぎないことも大事なのです。考えれば考えるほどプレッシャーがかかるし、自分自身が追い込まれていきます。今、自分の置かれている立場さえ理解すれば、あとはその中での対応を考えれば済むことです。

 年齢による衰えは誰にでもあります。スポーツ選手でなくとも、齢を重ねるにつれ、無理が利かなくなるとか、疲労の回復が遅くなるのを実感されると思います。そこからは、衰えをどれだけごまかせるかが勝負です。ごまかすと言うと語弊があるかもしれませんが、キャリアを積み、技術を磨くことで、自分の持っている能力や年齢による衰えをカバーするということです。その点では、僕には多少なりともアドバンテージがあると思っています。というのも、ずいぶん若いころから「ごまかし方」を考えてきたからです。

 プロ野球の世界に入ったとき、同じチームに伊良部秀輝投手がいました。僕には、とても彼のようなスピードボールを投げることはできない。さらに毎年、毎年、若くて生きのいい選手が入団してくる。その中で、自分はプロとしてどうやって勝負していくのかと考えた結果、僕は、遅いボールを速く見せるとか、たいして曲がっていない変化球を、すごく曲がっているように見せるとか、ピッチングの技術を磨いていった。チームでいちばんになるなんてことは、全く考えませんでした。周りにいる選手たちを見て、自分と力関係が拮抗している相手にだけは負けないようにしようと。そのためには何が必要なのかを探してきたし、努力は惜しまずにやってきたつもりです。

強運ではあるが
幸運ではない人生

 高校卒業後、僕は2年浪人して早稲田大学に入学しました。昨年のこともありますから、「趣味は浪人です」と冗談交じりに言っています。高校生のころに早慶戦をテレビで見て、早稲田で野球がやりたいと強烈に思ったのが理由です。高校時代の僕は、野球界では全く無名の選手でした。強運だったのは、ちょうど早稲田のピッチングスタッフが弱い時期にあたったことです。実力のあるピッチャーが揃った時期だったならば、おそらく相手にもされなかったと思います。名門校の出身でもない。実績もない。ましてや2年も浪人してるピッチャーですから。ピッチングスタッフが手薄で、猫の手も借りたいような状況になったときに、名もない選手が、わりといいボールを投げているということで起用された。僕の野球選手としてのキャリアは、そこから始まったようなものです。強運といっても、大学時代のその時期に、運が強いと思ったわけではありません。何年もの時が経ってみて初めて、「オレは運が強かったな」と思うのです。その時々では、必死に努力をしているわけですから、強運だのと考えている余裕はありません。それともうひとつ、「強運ではあるが、幸運ではない」と、僕はよく口にします。幸運という言葉は、天から降ってくるイメージがありますが、強運は自分自身の力で手繰り寄せるものだと考えていますから。その意味では、自分の強運に胸を張ることができます。

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 プロに入るときに、「自分はプロで通用するのか?」とは、いっさい考えませんでした。野球が好きで、野球を仕事にできることが嬉しかった。日本で最もレベルの高い、プロ野球の世界に入れるだけでもありがたいという気持ちでした。もともと僕は、背伸びをするタイプではありません。もし不可能なことを求められたとしたら、「できません」と、最初から言います。できないと思っているのに、「頑張ります」とは言えない。「僕はこういうことができます」と主張して、それを認めてもらったうえで「頑張ります」と言いたいのです。そのことで、「冷めている」と言われもしました。確かに、上司の目には、生意気な部下だと映りがちだったでしょう。それは仕方がないと割り切っていました。自分に正直に生きたいと思っていますから。自分に嘘をつくことだけは許すことができないのです。おそらく、ずいぶん損をしていると思いますが、一度しかない人生です。重要なのは、できないという判断をどこでするか。そこが、いちばん難しいポイントです。今、自分にできることは何なのかを、常に考えていなければ判断できない。なおかつ、現在のポジションに胡坐をかいて堕落することのないように努力を続ける。これらのことは、自分の中できちんと把握しながらやってこれたと自負しています。だからこそ、38歳という年齢になっても、現役でいられる。もし、どこかで無理をしていたら、長く現役生活を続けることはできなかったと思います。

 野球選手にかぎらず、仕事に必要とされる力は、多岐にわたってあると思います。決断力や判断力も欠くべからざる要素です。とりわけ、僕が大切だと考えてきたのは、自分をよく知るということです。客観的に自分を判断できる目を普段から養っておくこと。自己分析や自己評価の力。これがいちばん重要だと思います。逆に言えば、その力さえあれば、なんとかなる。僕のような、スピードボールも強烈な変化球もないピッチャーが、10年以上もプロの世界で活躍できているのは、自分をよく知っているからだ、と言っても過言ではないと思っています。

 
 
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