驚嘆!急変する
中国華南のビジネス環境

 
 
昨年末、筆者は中国の華南地域・広州の調査をしてきた。
年に数回、中国を訪れている筆者だが、同地域の変容に目を丸くした。
この地域で、最も先進的な動きをしているのが台湾系企業だが、
その経営者でさえ、急激な変化に危機感を募らせている。
日本企業は、ボヤボヤしていると激しいグローバル競争の中で
負け組になってしまう。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
関 満博 = 文
text by Mitsuhiro Seki
せき・みつひろ●
1948年、富山県生まれ。成城大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修了。専修大学商学部助教授を経て、98年より一橋大学に勤務。経済学博士。
著書に『地域産業の未来』『現場主義の知的生産法』『世界の工場/中国華南と日本企業』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
 
 

11時間姿勢を崩さない若い女性労働者

 2003年末、二度ほど「世界の工場」とされる中国華南地域、広東省の現場に行ってきた。SARS騒動以降の状況と、また、SARSが懸念される冬を迎える華南を確認してきた。結論から言うと、事態は刻々と変化し、日本企業はボヤボヤしていられない状況になってきている。いくつかの具体例により報告していく。

 電子部品、OA機器の世界最大の供給地になってきた広東省東莞市。このあたりの詳細は拙著『世界の工場/中国華南と日本企業』(新評論、2002年)で紹介してきた。余分なことだが、600ページに及ぶこの本、香港でベストセラーになった。英文、中国文を含めて、この地域のミクロな報告がなく、私の日本語の本が注目されたようだった。

 今回の調査行、気になっていた重要企業であるTDKの工場を訪問してきた。東莞の中心市街地に近いあたりにTDKの工場があった。TDKといえば、日本を代表する電子部品メーカーの一つ。特に、磁性体(フェライトコア)で知られている。

 門をくぐり、建物に入る前に消毒水で手を洗い、自動ドアが開くときにセンサーで体温を計られたようだった。SARS以来のスタイルのようだ。

 このTDKの工場、建物はいくつかに分かれているが、従業員は2万7000人を数える壮観なものであった。二交代の24時間態勢。常に約1万3500人が働いていることになる。ほぼ全館クリーンルームの中では、20歳前後の女性たちが、宇宙服のような防塵服に身を固め、HDD(ハードディスクドライブ)のヘッドを搭載するスライダーという部品を組み立てていた。スライダーをジャンボジェット機、HDD内のディスクを滑走路に例えると、ジャンボジェット機がわずか地上3mmを飛んでいるレベルだという。3mという話は以前に聞いたことがあるが、いまや3mmなのであった。

 これまで、こうした工場を訪れると、進出の理由を尋ねる私の質問に対し、「人件費が安いから」という答えが当たり前だった。だが、TDKの工場長は「あの子たちを見てください」とじっと立ち作業をしているラインを示し、「あの子たちは、11時間、食事以外の時間はあのままの姿勢で作業を続けるのですよ。今の日本人では15分しか持ちません。彼女たちはみんな内陸からの出稼ぎなのです。これだけの集中力と忍耐力を備えた労働力は世界でも、この広東省だけではないですか」と語るのであった。

 私は従来から、中国の中でもこのエリアの出稼ぎ女性たちが、最も集中力にあふれる労働者と評価していたが、現場でも、人件費が安いからというよりも、そうした点への評価が高まっていることを痛感させられた。「安いから」というよりも、「日本人ではできないから」という点が最大のポイントになっていたのであった。

台湾系企業より10年遅れた日本企業

 広東省の珠江デルタの西側、広州の南のあたり。台湾系の繊維、靴などの軽工業が大量に進出している。ある台湾系のスポーツシューズ・メーカーを訪れた。社長は39歳の若さ。彼のキャリアを聞いて、台湾の人々の典型と痛感した。彼は台湾の高校を卒業したあと、靴の専門学校で学び、台湾域内でいくつかの靴メーカーを渡り、キャリアを重ねていく。そして、32歳のときに台湾靴メーカーの集積している広東省にやってくる。

 そこでいくつかの靴メーカーに勤める。勤めるというよりもむしろ、生産管理などのコンサルティングに従事していく。そして、数年前には靴底にローラーがついている子供用運動靴で大ヒットを出し、いわば「一山あてた」ということになる。特に、韓国で売れたという。そして、彼は初めて03年夏に自社工場を広州に持った。ただし、台湾人は日本の中小企業のように土地、建物を保有したりはしない。地元の村に要望どおりの工場を建てさせ、借りている。

 できるだけ身軽であることが台湾系企業の大きな特質である。現在は従業員約500人で、ローラーシューズ、さらにスノーボード用シューズなどを生産している。自社ブランド品と、世界のメーカーへのOEM供給に従事していた。

 アジアへの企業進出に関して、私は最も先鋭的であるのは台湾系企業であると注目している。彼らはコスト意識が非常に高く、常に先端に立って走り抜いていく。私の印象では、日本企業は台湾系企業のほぼ10年ほど後ろにいるのではないかと見ている。したがって、台湾系企業の状況を観察していれば、近い将来の日本企業の課題、動きも想定されることになる。

 この39歳の社長の口からは、衝撃的な言葉が吐き出されてきた。「靴や衣料品関連の台湾系企業の中国事業はもう終わりだ」と言うのであった。

「どうしてか」という私の問いに、彼は「中国ローカル企業の躍進が著しい。30代中盤の若い経営者が続出している。彼らは頭が良く、エネルギーにあふれ、技術も十分、それに資金も潤沢。とても勝てない」と答えてきた。

 中国、アジアの同じ土俵で日本企業と台湾系企業が闘うと、ほぼ確実に日本企業は勝てない。その台湾系企業が中国ではもはや「ローカル企業に勝てない」と言い始めた。「では、どうするのか」という私の問いに、彼は「低コストを求めてベトナムかインドネシアに行くしかない」と呟くのであった。

 さらに彼は、「台湾で中国に出られるような経営者はほとんど出尽くした。もう中国まで来て、辛い事業をやろうなどという人材はいない。それに、台湾の若い人が衣料品や靴などの在来事業に入ってこない。現状、この辺に出ている台湾の経営者で私より若い人はいない。ほとんど60歳を過ぎている。もう終わりかな」と語るのであった。

「コンピュータ関連でも、そうなのか」という私の問いに、「向こうはまだ若い人がいる。我々よりは時間がありそうだが、中国ローカル企業の勢いは凄い。いずれ、それほど遠くないうちに我々と同じような立場に置かれるようになるのではないか」と答えてきたのであった。

「世界の工場・中国」の中でも、とりわけ先鋭的な場所である広東省の地で、台湾の人々は経営者自らが先頭に立ち、果敢に事業に取り組んでいる。台湾の人々の大きな特徴は、経営者自らが現地に駐在し陣頭指揮を執っていることであり、また、ビジネス・チャンスを求めて中国に来て独立創業するなどである。以前から私は「中国のようなところでは、経営者自らが先頭に立たないと成功は覚束ない」と指摘しているのだが、日本には、こうした人はほとんどいない。

 先端に立つ台湾の真剣勝負の若手経営者の口から漏れてきた言葉は、中国が新たなステージに立ってきたこと、進出外資企業の存立基盤が大きく変わりつつあることを示しているのであった。

「東アジア」を活用する若い日本人経営者

 実は、この台湾靴メーカーに案内してくれたのは、上条昌生氏(39歳)。横で話を聞いていて、しきりにうなずいていた。上条氏は10年前ほどに商社を退社し、アメリカの古着を輸入し、若者向けに販売する事業をスタートさせた。現在は全国で26店舗を展開している若手ベンチャー企業の創業者である。

 その後、彼は自社ブランドや生産に関心を抱き、一人で中国を調査し、2001年10月に広東省に進出している。ただし、彼は生産をする気はない。従業員70人で「検品専門」の工場を展開している。当然、工場は借り工場である。そして、この2年ほどの間に飛び込みで下請工場を探し、衣料品、靴、家具、自転車の部門でおよそ20工場を組織した。台湾系、香港系、現地企業にまでいたる。自社でデザインした製品を下請け工場で作らせ、「検品工場」で全数検査を実施し、それから日本に入れている。水際で不良品をシャットアウトしている。彼は「厳しい全数検査など、ここでしかできない」と評価していた。

 さらに、主要な下請け工場の一角を借り、中国人の生産管理部隊とサンプル製作部隊を置き、徹底的に現場で指導する態勢を取っている。先の70人のうち、30人はそうしたメンバーだ。上条氏は「生産は台湾系、香港系、現地企業に任せたほうがうまくいく。当方は生産管理と全数検査だけでよい。そのほうが身軽だ」と言うのであった。仮に、先の台湾靴メーカーがインドネシアに移転しても、彼は軽やかにそれについていくか、あるいは、新たな現地企業を探し出すのであろう。

 さらに、この上条氏の会社。東京の本社は従業員10数人。彼を除くと大半はデザイナー。しかも、韓国系の人々を起用している。上条氏によると、「企画、色目、センスは日本、デザインは韓国、生産は中国。これが一番うまくいく」と言うのであった。たまたま、彼の下請けの香港系衣料品メーカーを訪れると、デザインルームで、日本から出張で来ていた韓国系デザイナーと中国のデザイナーが協議している場面に遭遇した。中国の広東の地で、香港系企業を舞台に、韓中のデザイナーが語り合い、日本の若者向けの製品が構想されているのであった。

 さらに上条氏「目標は中国マーケット。04年3月に上海に3店、9月に大連に3店を出す」と語っていた。このように東アジアをめぐる新たなうねりを的確に見極め、軽やかに踏み込んでいる若い日本の経営者もいることを知り、日本企業もようやく新たな動きを見せはじめたかと、ややホッとした気分になった。

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