巻頭エッセイ
苦境が僕の人生の土台になった
小学三年生のとき、電機メーカーに勤めていた
父親の転勤で、家族でニューヨークに移り住んだ。
当時はまだ日本人学校がなかったから
ABCすらわからないのに
いきなり現地の小学校に通うことになった。
「子供は吸収力があるし、頭が柔軟だから」
大人はよくそう言うけれど
片言から始まる言語の発達の仕方は
大人も子供も同じという研究結果もあるくらいで
新しい環境に適応するのは子供も大変なのだ。
移民が多いアメリカの学校では
転入生を受け入れるのは手慣れたもので
英語がまったくできない子供を集めて
補習授業をやっていたが
それ以外は普通に英語で授業を受ける。
もちろん先生が言うことはわからない。
黒板の文字も絵として書き写すだけだから
家で父親にノートを見せても判読不能。
唯一、理解できたのが算数だった。
記号は世界共通だし、向こうにはない九九を
日本で身に付けていたのがモノをいった。
算数だけは圧倒的にできるから
「英語はダメだけど、なんかすごく頭がいい」
と思われて、存在感を示すことができた。
勉強でも遊びでも街中でも英語漬けの日々で
そのうち聞き取れるようにはなったけれど
英語で思うように言い返せるまで
結局、一年かかった。
日本に戻ってきたのは小学五年生のとき。
困ったことに今度は漢字が読めない。
読めるのはひらがなと小学二年生までに習った
漢字だけだから、教科書は虫食い状態。
本当の意味で同学年の勉強レベルに
追いついたのは中学二年になってからだ。
それまで成績はずっとビリのほうだったから
月曜日の朝は学校に行くのが憂鬱で
登校拒否になりかけたこともある。
そんな僕に救いの手を差し伸べてくれたのが
東北大学理学部生物学科出身という
ちょっと変わり種の小学校の担任の先生だった。
漢字テストの点数をおまけしてくれたり
区が主催する科学教室に入れてくれたり。
科学教室はその先生が立ち上げた教室で
区立小学校で理系の成績が優秀な子が
選抜されて通っていた。
得意なことを伸ばしたほうがいいという
先生の配慮で、僕は特別に入れてもらえたのだ。
学校の授業よりも突っ込んだ内容の実験や勉強が
とても面白くて、ちょうどアメリカ時代の
九九のように僕の支えになった。
こうして、苦境を救った算数と科学が
僕の人生の土台になった。
おすすめコンテンツ
-
- Family
- 灘中の学年トップ 「行列のできるノート」は芸術品
- テスト前はクラスで奪い合い
-
- 書籍
- 「知を育てる」ということ
- 後悔しない「学びの場」選びと親子関係の本
-
- Family
- 聞いてびっくり「答えを出す近道」教えます
- 小学生編▼小学生の壁は、計算、速さ、立体 ●「わかりやすい」と評判の人気講師がカンタン指導









