巻頭エッセイ

寿司屋に弟子入りした息子

 
 

白洲信哉 文筆家

 
 

息子は5歳から「お能」を習っている。
能の玄人だった祖母正子から
「始めるなら5歳から」と教わっていたからだ。
強制したわけではないが、少々いざなった。
舞台や稽古などを見せているうちに
自分から「やってみたい」と言い出したのだ。
高校生の今は他にやりたいこともあるようで
定期的な稽古は中断しているが
今でも平気で謡を口ずさむ。
幼い頃からの習い性というのは大したものだ。


自分から「やりたい」と言い出したことがもう一つある。
寿司職人の修業である。
祖父母の代から行き付けの寿司屋に
息子も物心付かない頃から通っていた。
店のご主人にお許しを得て
小学5年生の頃に学校の休みを利用して
泊まり込みで修業をさせてもらったのだ。
修業を勧めたこともなければ
寿司職人になってほしかったわけでもない。
子供が好きなこと、興味を抱いたことに
触れるきっかけをつくるのは親の役目だろう。
後は本人次第である。
「パパ、食べる人は楽でいいけど、寿司屋って大変なんだよ。
朝早くから市場に行ったり開店前に仕込みをしたり」
そんな生意気を言っていたから
にわか修業もまんざらではなかった。
握りの真似事も教えてもらったようだが
指先に触れた魚や米の感触というのは
きっと一生、身体に染み付いている。


能を舞うにしても、寿司を握るにしても
自分自身で感じて、身体に刷り込まなければ本質はわからない。
「頭でっかち」というが
今の時代は知識ばかり教え込もうとするから
“本物”が身に付かないのだ。
まずは自分の五感で感じること。
これは祖母、正子が僕にしたことでもある。
そうやって自分の好きなことや
興味があることを突き詰めて、その延長線上で
やりたい職業に出会えたら素晴らしい。


しかし、今の子は真面目である。
就職難のご時勢もあるのだろう
息子は自分の将来を大変真面目に考えている。
大学付属のエスカレーターは利用せずに
別の大学を目指して塾に通っている。
自分の人生だからやりたいようにやればいい。
ただし、他人がやっているから自分もやる
みたいな生き方はしてほしくない。
だから先日、言っておいた。
「自分がやりたいことを見定めるまでは
就職することはないよ」と。

 
 
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