巻頭エッセイ

教育されているのは僕のほう

 
 

益川敏英 物理学者

 
 

結婚して43年になる。
銀婚式だの、金婚式だのと世間はいうが意味がわからない。
なぜ夫婦連れ添った年月の節目で
感慨に浸らなければならないのか。
それもなぜ十進法で数えるのか。
二進法でも、八進法でもいいではないか。
指が10本だからといって、生活のリズムに
十進法を取り入れなければいけない理由はない。
などと言うから女房に怒られる。
ノーベル賞の記者会見でも
人が言わないようなことを言うから
「偏屈言わないで素直に喜んだら?」
そうたしなめられた。

女房とは大学院生時代に出会った。
大学の研究サポートシステムの職員で
論文の英文タイプを頼んだのがきっかけ。
一応、恋愛結婚である。
僕は名古屋で、彼女は三河の生まれ。
同じ赤味噌の味噌汁でも微妙に味が違う。
そのあたりは僕のほうが慣らされたけど
子供の教育を含めて家のことは
全部彼女に押し付けた。
否、任せるシステムを採用してきた。
自分で処理できると思ったら自分で処理せよ。
何かあったらオレに言え、責任は取る。
こんな塩梅である。
「責任を取るってどういうことですか?」
と一度、鋭く突っ込まれたので
「……文句を言わんってことだ」と答えた。

実際、処理能力はたいしたもので
こっちにお鉢が回ってくることはまずない。
僕は考え事をすると不機嫌になる癖がある。
そのあたりのタイミングを察して
自分の子供だけではなく
近所の子供たちまで一緒に連れて
どこか遠くに遊びに行ってくれたり。
そんな配慮もよくしてくれた。
ただ家の配置換えみたいなことが大好きで
ドタバタと勝手に物を動かすものだから
僕の持ち物が見つからなかったりすると
時々イライラして、ついつい
「勝手にいじるな!」

女房から文句を言われた記憶はない。
きっと文句はあるのだろうけど
女房教育の賜物か、あきらめているのか。
きっと教育されているのは僕のほうなのだろうな。
もしかしたら結婚50年の節目に
こっそり旅行の計画ぐらいは立てるのかも。
僕は黙って乗るだけである。

 
 
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