巻頭エッセイ

ノーベル賞は偉いのか

 
 

益川敏英 物理学者

 
 

学者として何か業績を残したいと思って
研究者人生を歩んできたわけではない。
自分の好きなこと
答えがわかったら面白そうだなと思うことを
勝手にやってきただけ。
だからノーベル賞をもらったときも
「そんなに嬉しくない」と
正直な感想を述べた。

「予測していた」というのも本当で
「今年は素粒子の番」とか
「あの人の仕事(研究)が取るだろう」とか
研究者の間では大方の予想がつく。
「突然で驚いています」なんてウソである。
だから発表の当日
「今日は多分そうなるから覚悟しておけ」
と言い置いて家を出た。

ノーベル賞が正式決定するのは発表の当日だ。
その日の午後7時ぐらいに
スウェーデンから電話が入った。
英語だから何を言っているのかわからない。
すると通訳の日本人女性に代わって
日本語で受賞の説明を受けた。
ついては10分後にプレス発表するという。
それでカチンときた。
賞を受けるか受けないかは僕の意思。
オタクの賞はそんなに偉いのか!

口から出かかったが、やめておいた。
おかげで少し不機嫌な顔で
集まった記者さんの取材を受けることに。
帰宅したのは夜中の12時過ぎだった。
「おめでとうございます」
普段は使わない畏まった言葉遣いの女房。
それだけよそよそしい出来事なのだと思った。
すぐに千葉で暮らしている長男に電話をして
「迷惑かけるけど、ごめんな」と謝った。
彼は企業の研究所で仕事をしている。
分野は違えど同じ研究者だ。
父親がそんな賞をもらえば嫌でも比較される。
小さな子供なら自慢の種になるかもしれない。
しかし大人になればいい迷惑だ。
できて当たり前、できなければ
「親父に比べてなんだ」という目で見られる。

僕自身は舞い上がることもないし
偉くなったなんて勘違いをすることもない。
自分が置かれた立場を冷静に見ていられる。
大変なのは家族で
身に覚えのないことで環境変化にさらされる。
それが申し訳なかった。
長男と電話で話した後、遅い夕食を取った。
いつもと変わらない食卓。
いつものようにワインのハーフボトルを空けて
いつもより遅い時間に寝床についた。

 
 
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