巻頭エッセイ
僕が職業意識をもった瞬間
小学校時代は勉強した思い出しかない。
作文や音楽が特別好きだったわけでもないし
テレビやラジオに夢中にもならなかった。
僕の人生で一番勉強した時期だと思う。
マセた塾の友達の影響もあって
将来は東大に入って大蔵官僚になるんだと思っていた。
だから高校2年生だった1973年の夏
ラジオ番組への投稿がきっかけで
放送作家の仕事をするようになっても
寄り道しているような意識しかなかった。
仕事が忙しくなればなるほど
寄り道の深みにはまって
人生の本線から遠く離れていくようで
早く戻って受験勉強しなければと思っていた。
出会いに恵まれて、仕事の幅は広がった。
テレビ番組やコマーシャルを作ったり、作詞をしたり。
映画も撮ったし、小説も書いた。
でも、どれだけ売れても
これが一生の仕事と思ったことは一度もない。
だって僕の本籍は高校生で、寄り道しているだけだから。
そんな意識が心のどこかにずっとあって
僕の人生の本番は、1973年の夏から止まったままだった。
希薄だった職業意識が変わったのは
たぶん、美空ひばりさんに詞を書いてからだ。
最初で最後のアルバムのレコーディング
プレイバックを聴いたとき、ひばりさんは僕にこう言った。
「『川の流れのように』という詞はいいわね。
人生は曲がり道だったり、まっすぐだったり。
流れが速かったり、遅かったり。
川幅が狭かったり、広かったりするのよね。
でもね、秋元さん
川って最後はみんな同じ海に注ぐのよ」
当時、お体のことを存じ上げていなかったので
ひばりさんの急逝は衝撃だった。
そしてあの時の言葉の深さを想った。
99%運でできている僕の人生
そこにひばりさんは何を残してくれたのか。
「あなたはプロなんだから頑張りなさい」
そう言ってくれているような気がした。
プロといっても僕の仕事には、医者や弁護士のように
目に見える資格があるわけではない。
美空ひばりという天才的な歌い手から
「いい詞ね」と言ってもらえたことは
国家試験やどんな免許よりも
僕にとっては大きな認定証だった。
作詞家と名乗っていいんだ、そう思った。
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