巻頭エッセイ

真夜中に蕎麦掻の腕自慢

 
 

文・尾池和夫 京都大学総長

 
 

ぼく自身に入学試験で苦労した記憶がないからだろう。
「受験は大変だ」という認識があまりない。
そもそも入学試験を受けたのは一度だけ。
大学受験しか経験しなかった。
しかも、そのたった一度の入学試験も決していい出来だったわけではなかった。
日本史の勉強をまったくやれないままに入学試験を迎えてしまったのだ。
仕方がないから京都に出てきてから
河原町の本屋さんで日本史の参考書を買い、一夜漬けで試験を受けた。
やっぱりまったくわからなかった。
答案用紙はほとんど白紙だったはずだ。
だから不合格だと確信して
来年へ向けて勉強しなおすために参考書を抱えて郷里に帰った。
そしたら合格通知が来た。
国語が得意だったから、きっと日本史の不出来を補うことができたのだろう。
とにかく、たった一度の入学試験がそんな具合だったから、
子供たちの受験にも切羽詰まることなく、おうように構えていた気がする。
息子も娘も男女共学の公立高校に通わせていた。
私立文系志望の息子には物理を選択させたりもした。
進路指導の先生は戸惑っていたが、高校は大学受験のための予備校ではない。
受験科目にないからといって「物の理屈」を学ばなくていいはずはない。
大学へは浪人して進学すればいいくらいに考えていた。
そんな親だから、受験生だった子供たちに
何か特別なことをしてあげた記憶もほとんどない。
それでも唯一覚えていることがある。
夜食だ。
脳に栄養を、それには炭水化物だ、と一番よくつくったのは蕎麦掻だ。
〈真夜中を過ぎ蕎麦掻の腕自慢〉
あの頃の子供たちと父親としての自分を思い出し、いつかそんな句を詠んだ。
息子は、一浪した。
あれだけ食わしてやったのに……
本心はそう思った。

 
 

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