未来の泰斗

真のエースはこうして生まれる

仲間のミスを許す心。

 
 
今まで一番印象に残った試合は?
そう聞くと彼は少し考えて市大会・準決勝の話を始めた。
自身がMVPに輝いた中学の全国大会でも、国際試合でもない
中3の地方大会。絶不調の折、思いがけない1敗を喫した後、
彼はどんな思いで、再びコートに立ったのか。
 
 
カップの重さも感じましたが、
まず一人前の大人に
なってほしかった。
 
 
樺島弘文=文 鷹野 晃=撮影
 
 

最高到達335cm!

日本トップクラスの高さを誇る

未来の五輪候補。

 身長197cm、股下90cm、足の大きさ30cm──。バレーボール選手にとっては、高さこそが最大の素質である。

 この8月に16歳になったばかりの高校1年生である出耒田敬君が、ジャンプして指先が届く最高到達点は335cm。全日本チームのスーパーエースである身長201cmの山本隆弘選手は345cmだ。

 出耒田君は高校1年生にして、すでに全日本クラスの高さを持っていることになる。身長はまだ年に2〜3cm伸びているし、体重75kgから想像されるように筋力は未発達のままだ。周りの高校生選手に比べても足は異常に細く、見る者は思わず「マッチ棒のようだ」と口走る。

 それでも80cmほどのジャンプ力があるのは、天性のバネを有しているからだろう。身長がもっと伸びて、筋肉が付いてきたら……と、バレーボール関係者でなくとも期待してしまう。

 実際、2006年12月の全国都道府県対抗中学大会では、北海道チームのエースとして臨み、将来のオリンピック選手として最も有望な選手に贈られる「JOC・JVAカップ」を受賞している。

 もっとうまい選手はほかにいたし、もっと運動能力の優れた選手もほかにいた。試合の勝敗という面で活躍した選手もほかにいた。北海道チームは、決勝トーナメントの一回戦で敗退しているのだ。

 中体連バレーボール専門部の竹村昭浩強化副委員長のコメントは「恵まれた体格、運動能力に加え、競技に対するひたむきさが素晴らしい」というものだった。

 出耒田君がバレーボールを始めたのは中学生になってからだ。五歳年上のお兄さんがやはりバレーボールをやっていて、家族で試合の応援に出掛けたりしているうちに自然と、「バレーボールをやるもんだ」という気になっていた。

 お兄さんも中学時代から身長は190cmを超え、今では北海道大学のバレーボール部で活躍している。中学2年生の妹さんもバレーボール部に入っているので、バレー一家である。

「背が高くなるように、特別にやったことはない」とご両親は話すが、お父さんが178cm、お母さんも172cmあるので、遺伝子は与えたのだろう。もっとも、ご両親にバレーボールの経験はない。

 バレーボールにおける最初の恩師は、札幌市立星置中学のバレーボール部監督の八木田晃暢先生だった。

「出耒田は、器用なほうではないが、あの身長の割にはよく跳ぶし、動きも鈍くない。それに真面目。練習に取り組む姿勢も後輩の手本になっていた」

 その出耒田君が「大化け」したのは、中二の終わりの全道選抜大会だった。札幌北選抜チームのセンターとして、クイックにブロックに大爆発し、一躍注目を浴びるようになった。

 出耒田君が中学3年になると星置中学は優勝候補として注目されるようになる。そのプレッシャーもあったのだろう、出耒田君は試合でチームメートがミスすると、腹だたしい態度を見せるようになり、時にはキレ気味に怒鳴ることもあった。

「そんな時、八木田先生から言われたんです。ミスは誰にでもある。大事な時にミスしても、それはたまたまその時にそいつがしただけで、お前だってミスするかもしれない。仲間のミスを怒るんじゃなくて、ドンマイ、ドンマイとみんなを引っ張っていけるようになれって」

市大会でまさかの一敗。

重苦しい雰囲気の中

エースは目覚めた。

 これまで一番印象に残っている試合は?と聞くと、出耒田君は少し考えて「中三の夏の平岡中との試合です」と答えた。

 少し後の中三の秋には、全日本中学選抜の一員として韓国遠征し、六戦全勝の原動力となった。冬には前述の「JOC・JVAカップ」を受賞している。高校生になってからは、秋田わか杉国体に参加、ベスト4に入る健闘を見せた。

 でも、中三の夏なのである。中体連の札幌市大会。準決勝ラウンドの予備戦で、星置中学は思わぬ一敗を喫した。相手は、普段の練習試合では負けたことのない南が丘中学だった。

 この試合、出耒田君は絶不調。ブロックもアタックも決まらない。チーム、そして自身のミスが続く。第三セットの途中で、出耒田君は自分のふがいなさに泣き始め、ベンチに下げられてしまった。

 八木田先生も「エースが泣いてんですから、なんだぁと、僕自身がキレかかって」いたそうだ。昼食を挟んで、午後には優勝候補の平岡中学との対戦が控えていた。昼食に全く箸もつけないエースに、周囲の空気も重苦しい。

 ところが、次の平岡中学との対戦で、出耒田君は見違える動きを見せる。チームの後輩によれば「光っていた」そうだ。なにか吹っ切れたように打ちまくり、要所要所を決めて平岡中学を破る。南が丘中学との再戦にも勝利して、ついには優勝を勝ち取ったのである。

 八木田先生は、この試合で彼がエースとしてのプレッシャーに打ち勝ったと感じた。そして出耒田君自身はバレーから二つのことを学んだと言う。

「一つは気持ちのコントロール。もう一つは仲間との団結の難しさです。試合でも練習でも、同じような状況は何度もあります。これは前にもあったと思えば、どうしたらいいかも見えてくる。気持ちが高ぶっているときは、皆で声を出せば落ち着いてくるし、負けているときは一本決めて、大げさに仲間と喜んだりすれば、気持ちが切り替えられる。逆に、どんな形でも仲間のミスを責めれば、急に勝てなくなります。みんなに支えられて、自分はプレーできる。八木田先生じゃないですけど、ミスがあっても仲間に向かって言えばいい。『ドンマイ』って」

 仲間を思いやり、自分に克つ──出耒田君が真のエースへと歩みだした瞬間でもあった。

 今春、出耒田君は高校に進学した。バレーボールの名門校からの誘いもあったが、出耒田君は公立の進学校を受験した。

「バレーボールは高校でも続ける気でしたが、勉強もしようと思った。将来は教師になりたいし、その気持ちは今も変わっていません」

 お父さんも「JOC・JVAカップを頂いて、その重さも感じましたが、まず一人前の大人になってほしかった。まあ、本人の望むとおりマイペースで生きていければいいのかな」と考えたそうだ。

 結果的には、出耒田君は公立高校の受験には失敗し、私立の札幌第一高校に入学する。同校はインターハイに14年連続出場したバレーボールの名門校である。ただ、出耒田君が選んだのは大学受験に力を入れる「文理コース」だった。

 現在のバレーボール部で文理コースは出耒田君だけだ。文理コースは授業時間も多く、そのため出耒田君は他の選手に比べて練習時間が1〜2時間短い。

 同部・新谷富市監督の心境は複雑だ。

「出耒田が入ってきたときは喜びましたね。でも、授業の関係で前半の練習に出られないのがつらい。後半は試合形式の練習で、前半のパスやレシーブ、打ち込みといった基礎練習がどうしても不足してしまう。計り知れない伸びしろがあるだけに、もどかしくて仕方ありません」

 新谷監督のジレンマの背景には、バレーボール界の厳しい現状がある。92年のバルセロナ大会以降、男子バレーボールはオリンピックに出られていない。国内のVリーグの人気も今ひとつだ。何といっても、プロリーグがない。

「バレーボールで食べていくのは難しいんです。Vリーグ選手だって引退後、どんな職業に就けるかわかりません。教師の立場で生徒の将来を考えれば、バレーだけやっていろとは、今は言えないです」

 コートに立った出耒田君は、粗削りだがその高さを生かしたスパイクを、相手コートのインナーに叩き込む。跳ねたボールは体育館の二階通路に飛び込んだ。

 誰しもが認める逸材。その豊かな伸びしろが埋め尽くされたとき、日本のエースが誕生していることだろう。

 
 
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