人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡 第119回
×月××日
今から10年ほど前、サンフランシスコ留学から帰国したばかりの弟分のT君が妙な相談に来た。「東京でブリトー専門店をやってみたいんですけど、どう思います?」 当時、ブリトーと聞いてまず頭に浮かんだのは、某コンビニで売られているハムとチーズがはさんであるクレープのようなもの。結構好きな味だが、専門店にするほどの食べ物ではないと思ったので「やめたほうがいいよ」とアドバイスした。
それから数年後、そのT君とロサンゼルスでバッタリ会った。彼はまだブリトー専門店を開くという夢を諦めておらず、僕を地元のメキシカンフードの店に案内してくれた。そこで食べた本場のブリトーは、今まで自分が思っていたそれと全く別物だったが、あまりにも味が濃く、カロリーも高そうだったので「これは絶対日本人の口には合わないと思う。やっぱりやめたほうがいいよ」と念を押した。
ところが、兄貴のアドバイスを無視してT君は着々と計画を練り上げ、ついに青山にブリトー専門店をオープンさせたのである。それが今年の4月の話。早く行かなきゃ、と思う反面、弟分の失敗を見るのが怖くて何となく足が遠のいていた。
そして先日、ついにその時がやってきたのだ。偶さか青山で仕事が終わり、小腹もすいていたので立ち寄ってみた。店の名は「LIBRE」。青山通りに面した駐車場の片隅で、コンテナハウスを店舗にして営業している。
T君は「ようやく来てくれましたね」と歓迎してくれたが、もし口に合わなかったら、どうコメントすればよいのだろう。困惑しながらメニューを見せてもらった。
中心メニューであるブリトーは、チキン、ポーク、ビーフ、ベジの4種類。それぞれ、ミニ、レギュラー、ビッグというサイズが用意されている。万が一残してしまったら悪いので、ポークのミニを注文した。
トルティーヤを鉄板で焼き、その上にキャベツとレタス、チーズにトマトライスにアボカドと玉葱、味付けはサワークリームとサルサソース、そして柔らかくほぐしたポークを乗せて、手際よくアルミホイルで円筒状に巻き上げる。
アメリカで食べたものよりずっとヘルシーに仕上げられていて、想像していた以上にウマそうだ。
(左)「ブリトー専門店はやめたほうがいい」と忠告したのだが、T君は兄貴のアドバイスを無視して、すばらしい店を開いた。(右)「LIBRE」のブリトーは、本場で食べたのものよりずっとヘルシーでおいしかった!
一口食べて、驚いた。トルティーヤのしっとり感がシャキシャキ野菜を際立たせ、スパイシーなサルサソースがそこに追い討ちをかける。アボカドや玉葱とポークの相性もいい。ヘルシーでありながら、ストイック過ぎない。リクエストすればトマトライスを抜くこともできるので、このところ炭水化物を極力控えている食いしん坊にとっては、絶妙の食事である。
油断していたことも手伝ってか、やけにウマい。困ったことに、後をひくウマさだ。すかさず今度はチキンを頼んでみたら、これも正解だった。ブリトーというものがこんなにオイシイとはビックリ仰天。なるほど、T君がやりたかったのはコレだったのか! これまでの発言を全部撤回し、「参りました」と頭を下げた。
自分の中では“トマトすき焼き”以来のブームである。5000円以上で出前もしてくれるので、会社のスタッフたちにもブリトーの魅力を教えなければ……と思っている。
×月××日
世田谷にあった頃から一度は行ってみたいと思っていた。銀座に移転してきたので、これで仕事場から近くなったと思った。けれどもなぜか行く機会に恵まれなかった。予約が取りにくい、という噂を耳にしていたので最初から諦めていたのかもしれない。あるいは主人の顔が怖そうなので、ついつい敬遠していたのかもしれない。
銀座の「あら輝」である。ところが今回、某ITコンツェルンのK社長と某出版社のK社長のお招きでついに訪問する機会を得ることができた。
初めての寿司屋に行くときは、そこの流儀が分からないので何となく緊張するものだ。ましてやそれが、銀座の三ツ星店となればなおさらである。暖簾をくぐった時から、こちらばかりでなく、主人の荒木さんもどこか表情が硬かった。しかし、同じ熊本出身、ほぼ同年代と分かった瞬間からその壁は吹き飛んだ。同郷というだけで親近感がわいてくる。
まずは主人自ら「居酒屋あら輝」と呼ぶおつまみタイムである。1979年のシャンパンと蒸しアワビの組み合わせなどは、バチが当たりそうなくらいウマい。
この日、最も記憶に残ったのはマグロだった。あら輝はマグロが凄いという噂を耳にしていたのだが、確かに素晴らしい。特に漬けの昆布〆は感動的な傑作だと思った。チョモランマと呼ばれる名物の巻物も圧巻である。中トロの手巻きの上に漬けが乗っている贅沢な逸品。これまたバチが当たりそうだ。
銀座に移転した「あら輝」は、マグロの漬けの昆布〆や名物“チョモランマ”が素晴しかった。
繊細でありながらかつ大胆な作風は、海外セレブにもウケるのではないだろうか。「あら輝」の看板が「ARAKI」に変わる日はそう遠くはない気がする。
×月××日
「あら輝」に行った二日後、これまたずっと行ってみたかった寿司屋に行く機会を得た。何年も憧れていた寿司屋に連続して行けるなんて、何て幸せな週だろう。
唐津の「銀すし」では、簡素な造りの店で、洗練された江戸前の握りを堪能した。
その店とは佐賀県唐津市にある「銀すし」である。そこに行きたくて、わざわざ唐津に宿を取ったのだ。九州の田舎にありながら洗練された江戸前を出すと評判の店。関東や関西からの客が大半を占めるという。有明海のいい素材に溺れないその姿勢にいつか拍手を送りたかった。
店内は至って簡素。設えのいい茶室のようだ。
唐津焼の名人、中里隆さんの器と共に過ごす時間が何と心地よいことか。主人の不器用な人柄が、そこにさらなる味を足す。誠実な味のする握りが、この旅を記憶に残るものにしてくれた。












