人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡 第116回

 
 

×月××日


 ふとした縁から、ロサンゼルス出張の際、ハリウッドスターの渡辺謙さんの自宅にお世話になることになった。一室を間借りしての短期滞在。しかも食事付きである。
 想像してみてください。朝、階下から響いてくる包丁の音で目が覚めるのですよ。同時に味噌汁のよい匂いが胃袋を刺激し、パジャマのまま階段を降りてゆくと、キッチンに向かう渡辺謙の後姿があるのですよ。
 いやぁ、参りました。その料理の素晴らしさに。朝食のスタートは決まって、手絞りのオレンジジュース。おかずは、絶妙の加減で味付けされた卵焼きと焼き鮭。納豆と自家製の浅漬け。そして昆布と鰹でちゃんと出汁をとった豆腐となめこの味噌汁。ニッポンの朝ごはんのお手本のようなブレックファーストだ。ここが海外であることにハンデをつければ、京都の「井雪」という旅館でいただいた朝食に匹敵する感動がある。

 しかし、謙シェフの腕前はまだまだ序章に過ぎなかった。翌日の朝食はフルーツパンケーキ。目玉焼きとベーコンサラダが添えられている。お昼には、へぎそばを使った冷やしたぬきや日本から取り寄せたラーメン。具沢山の雑煮などをいただいた。
 そして夕食がこれまた圧巻。京都のおばんざい屋で出てきそうな煮物や菜の花の胡麻和え。タコと若布の酢の物などを肴に白ワインを飲み、生姜をきかせた麻婆豆腐と炊き立ての白いご飯でクライマックスを迎えた。
 思い返せば、本当に感動の連続であった。うま味調味料を極力使わない、母の手料理のような味。そう、全てが“ふくあじ”なのである。
 それにも増して心震えたのが、謙さんの食への姿勢だ。食材を無駄にしない。洗い物をするときは、必要最小限の水で。食べ残したものは、たとえ卵焼き一切れでも冷蔵庫に保存して翌朝きちんと食べる。ラーメンの残ったスープさえも捨てることなく、翌朝、味噌汁の代わりにするくらい、食を大切にする人なのである。その真摯な姿勢に、渡辺謙という人の人間力を垣間見た。

渡辺謙さんのロサンゼルスの自宅でご馳走になった、手づくり料理の数々はどれも食への愛情に満ちあふれていたのであった。


 実はこういう時間を過ごして帰国した翌日、東日本大地震が起こった。謙さんから「被災した方々のために何かをしたい。力を貸して欲しい」というメールが入ったのは、その翌日だったと記憶している。そして、僕たちにできることは何だろう? 何をすべきだろう? と、話し合いを重ねて、「kizuna311.com」というサイトを立ち上げた。一言で説明するなら、人々のささやかな光となるようなコンテンツを差し入れするプロジェクト。それを進める途中で生まれた人々の絆によって、新たな希望を作り出せたらと思っている。そして、「TSUNAMI」ではなく「KIZUNA」という日本語を世界の共通語にしたい、という想いがそこにはある。


×月××日


 3月11日以来、たくさんのことが変わってしまった。それはもちろん、食についても例外ではない。旨いものを食べよう、という行為自体が不謹慎に思えてしまうのである。そういうこともあって、外食回数が激減してしまった。

 実は今年の初め、神戸に住むYさんと食事の約束をした。ミシュランで三ツ星を獲得してからさらに予約が取りにくくなった「カ・セント」というスペイン料理店。3カ月先ならば予約が取れるということで、春になったら行きましょうと約束していた。
 その約束の日が来てしまったのだ。震災からまだ1カ月あまり……行くべきか、キャンセルすべきか、迷いながら神戸のYさんに電話をかけた。本心を告白するなら、断るつもりで電話したのだが……。
「楽しみにしてます! ぜひ、神戸に来てくださいね」
 Yさんは、阪神淡路大震災の年に会社を神戸に移し、神戸の復興とともに会社を成長させてきた人だ。震災の苦しみと復興の難しさを知っている彼が「食事をしよう!」と言うのだから、行ってみようと思った。そして実際、神戸まで足を運んだ。「カ・セント」の料理を味わうために。

迷いながら行った神戸「カ・セント」の料理は上質にして繊細な味、そして元気をもらえる味であった。

 結論を先に言うなら、全てが素晴らしかった。カジュアルな店内からは想像もできないクオリティの高い料理。シェフの福本さんがスペインで修業していた店にも行ったことがあるが、それよりも旨いと思った。日本人が作るから日本人の舌に合うのだろうか。いや、そうではなく、日本人シェフの繊細な感性が究極の食材を自由に操っているのだ。
 あまりの旨さに当初の罪悪感は吹き飛び、4時間という短い時間でとてつもないエネルギーをチャージしてもらった気分になった。よし、これでまた自分なりに頑張ろう!
 Yさんの誘いを断らなくて本当に良かったと思った。


×月××日


 取材でスイスに行った帰り、イギリス在住の友人に執拗に誘われ、ロンドンに立ち寄る。どうしても案内したい料理店があるというのだ。

モダンなインテリアが特徴的なロンドンの「UMU」は、捻りがありつつもベースは本物の和食であった。

 店の名前は「UMU」。経営しているのはイスラエル人だが、店名は「生む」という日本語に由来している。つまりそこは日本料理店だった。
 日本を独自に解釈したモダンなインテリア。全ての客がイギリス人である。さほど期待しないままに一皿目のつきだしを食べて、ちょっと驚いた。エセ和食ではなく、変化球ながらも後をひく本物の和食である。総料理長は、石井義典さんという日本人だった。嵐山吉兆で働いていた時に阪神淡路大震災を経験し、炊き出しのボランティアをしたこともあるという。

 そんな石井さんが最後に出してきたのは、湯葉のあんかけご飯と海苔をソースにした牛の網焼き。日本人ならではの感性があるからこそ生まれた傑作だ。
 悲しいことに、今ロンドンでは放射能問題の影響で日本食材だけではなく、日本酒までもが輸入を止められているという。石井さんのように世界で活躍する日本人シェフに、日本の元気を牽引して欲しいと思った。

 

 


●「kizuna311.com」のサイトでは渡辺謙さんをはじめ俳優やアーティスト、タレントの方々による朗読など、被災者のための応援コンテンツがアップされています。
 
 

「カ・セント」

    兵庫県神戸市中央区中山手通4-16-14
    TEL.078-272-6882

 
 

 

小山薫堂さんのオフィシャルサイト「N35」はこちら!▼
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