小山薫堂の一食入魂 [110]

夜になると仲居さんが帰ってしまう旅館の
料理は仕事が丁寧で、蜆茶漬けが絶品だった

 
 

人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡



男は、しみじみ寛げる一日一組だけの旅館で、
そして明るいおばちゃんたちのいなり寿司専門店で、
「人を幸せにする食」を実感したのであった。

 
 

文・撮影 小山薫堂

題字・卜部裕子

 
 

 

×月××日

 出雲大社に参拝したあと、松江で一夜を過ごす。地元の人の薦めで予約したのは、松江城のお堀に面した抜群のロケーションにある「縁(えにし)の宿(やど)」という旅館。ここの流儀が一風変わっていた。

 まず宿泊客は1日1組のみ。6畳の部屋が3つに、14畳の広間がひとつの、なかなか良い具合に齢を重ねた大きな日本家屋なのだが、それでも客は1組しか取らないという。その広々とした宿に、今回は男3人で泊まった。
 さらにここが面白いのは、食事が終わったあと、たった一人しかいない仲居さんがやってきて「こちらがお風呂です。タオルはそこで、歯ブラシはここ。庭に面したお風呂の窓から万が一泥棒が入ってきたらいけないので、お休みになる前はお風呂の扉の施錠をお願いします。お出掛けになるときは、この鍵をお使いください。それでは失礼します」と、客を残して帰宅してしまうのである。この屋根の下で一夜を過ごすのは我々3人のみ。旅館に泊まり、窮屈な想いをすることは時々あるが、これほどの自由を味わえるのは初めてだ。

 広間で味わう夕食もなかなか良かった。高級旅館のように豪華な料理はないが、特に最後に食べた蜆茶漬けは絶品であった。佃煮にした宍道湖の蜆を炊きたてのご飯にのせ、鰹の出汁をかけて、三つ葉をぱらりっと振り掛ける。おろしたての山葵を箸の先にちょこんと付けて一気にかきこむ。ご飯茶碗はたちまち空になり、お代わりをもらった。聞けば料理長(といっても厨房には一人だけ)は、かつて天皇の料理番の一人をつとめ、その後、有名ホテルの厨房を預かっていたらしい。道理で丁寧な仕事だと思った。

「縁の宿」の料理長、秋本利雄さんがつくる料理はどれも仕事が丁寧で、特に最後に出てきた蜆茶漬けは本当に旨かった!

 満腹になってくつろいでいると、料理長がやってきて「では、明日の朝、また伺いますので」と言い残して帰って行った。まるで我が家に極上の出張料理人を雇ったような気分だ。これで一人、1泊2食で1万3000円は安い。地方にはまだまだ「人を幸せにする場所」がたくさん眠っていることを改めて実感した。

 

×月××日

 46歳の誕生日、様々な友人たち から趣向を凝らしたバースデープレゼントが届いた。中でも特に食いしん坊の心を鷲掴みにしたのは、UHA味覚糖の社長、山田泰正さんから届いた細長い小さな箱だった。中にはやや薄型の四角いチョコレートが入っている。

 ひとつ手に取って口に運ぶと、僕のイメージは大きく裏切られた。チョコレートは外側だけで中身は違っている。生キャラメルのようだが、それほど甘ったるくなく、レモンの酸味が効いている。濃厚なバターの味。洗練されているけれど、どこか懐かしい。次の瞬間、僕はハッとした。
「もしや、これは!!!」

夢であった贅沢なお菓子がついに実現。「生バターボール」はレモンの酸味がきいた大人の味。味覚糖本社で限定販売中!

 初めて山田社長に会ったとき、僕はあるお願いをした。味覚糖の大ヒット商品と言えば、バターボール。昭和27に発売された国民的なおやつである。あのバターボールの究極版をつくって欲しいと懇願したのだ。1個300円のチョコレートを、人々はさほど抵抗なく購入している時代である。ならば贅の限りを尽くしたバターボールがあってもいい。そしてそれを食べてみたい……純粋に思った。
「でも、難しいんですよねぇ……」
 というそっけない返答からおよそ3年を経て、ついにその夢が叶ったのだ。その名も……生バターボール! わずか6個だけの試作品を、毎日ひとつずつ、大切に食べた。ポイントはやはりレモンの心地良い酸味である。バターボールになぜレモン? と思ったのだが、実は市販のバターボールにもレモンはちゃんと入っているらしい。

 58年の時を経て生まれ変わった生バターボール! サプライズプレゼントで終わらせるなんてもったいない……と思ったら、味覚糖本社1階で限定販売されることになった。手づくりなので大量生産できないらしいが、運がよければあなたも味見できるかも!!

 

×月××日

 大阪出張の途中に、うまそうなオーラを放っている店を見つけた。外観は平凡なのだが、ただならぬ魅力を秘めているように見える。そもそも店名が僕の心を揺さぶった。
「いなり家こんこん」

 何とも素朴なネーミングである。しかも大好物のおいなりさんの専門店となれば、見過ごすわけにはいかない。扉を開くと、狭い店内でいかにも近所のパートのおばちゃんといった風の女性3人がせっせとおいなりさんを作っていた。店主らしきおばちゃんの何と明るいこと。
「お兄さん、どこから来たの? え、東京? そんな遠くから、嬉しいわぁ。お稲荷さん、食べてって」
 ハッピーオーラ大放出で迫ってきた。うん、ここは間違いなくうまい……と食べる前に思った。

「いなり家こんこん」のおばちゃんたちは笑顔が素敵であった。今回の題字は、写真中央の卜部裕子(うらべひろこ)さんに書いていただいた。

 650円の「いなり定食」を注文してみる。干し椎茸を甘く煮たどんこ、ちりめん山椒、茗荷、竹の子といった変り種いなりが4つ、それに鳥の唐揚げや卵焼きなどのおかず盛り合わせときつねうどん。これで650円とは十分安いのだが、さらに「昨日のおでんがあるから、食べる?」とか「コーヒー飲む?」など、次々と善意の品が出てくるのである。
 丁寧につくられたおいなりさんはおふくろの味がする。といっても、普通のおふくろの味ではなく、誕生会のときにつくってくれるようなよそ行きのおふくろの味。ひとつひとつの味が違うので飽きることなく何個も食べられそうだ。

 食べている間、何度も店主のおばちゃんがやってきて、「どう? おいしい?」「おなかいっぱいになった?」と話しかけてくる。「えぇ、おいしいですよ」と答えると、おばちゃんは「お兄さん、ありがとう。嬉しいわ。幸せ~!」と満面の笑みを浮かべるのである。料理はもちろん旨いが、その店にいるだけで本当に幸せな気分になる。
 結局は、感情移入できる店が、いちばんうまい。「いなり家こんこん」のおばちゃんに会うため、僕はまた大阪に来てもいいと思った。

 
 

 

小山薫堂さんのオフィシャルサイト「N35」はこちら!▼
 http://www.n35.co.jp

 
 

「縁の宿」

   島根県松江市北堀町299

   TEL.0852-59-5506

「UHA味覚糖」

   大阪府大阪市中央区神崎町4-12

   フリーダイヤル0120-653-910

「いなり家こんこん」

   大阪府大阪市中央区瓦屋町1-11-6

   TEL.06-6761-5251

 
 
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