築地直送 市場の日常おかず 第11回
龍馬も食べた!?
カツオのたたき考察
カツオを久しぶりにおろす。気を入れて包丁を握り、身を二つに割るおりの爽快感はなんともいえない。
とはいえ力がないので、カツオの尾っぽを持って、いわばカツオを逆立ちさせ、ストンと骨に沿って包丁を落とす、というのが私流。女でも造作なくできるやり方だが、颯爽とした男魚のカツオに立ち向かうにはやわな気がして、ちょっぴり恥じるものがあった。
しかし、江戸時代に諸国の名産を紹介した『日本山海名産図会』を開き、快哉をさけぶこととなった。鰹節づくりの様子が描いてあり、屈強の男どもが、私と同じ方法でカツオをおろしているのだ。その名も下げ切りとやら。「手練甚だ早し」とあるから、大量のカツオをスピーディにさばく職人手法であったらしい。フフッ、私流、そこそこイケテル!?のかも、なんて。
この本で、もう一つ閃いたことがある。「カツオのたたき」についてだ。
語源については、炙る前に塩をつけて包丁でたたくから、とか、タレをたたくようにしてなじませるから、と広く言われており、なるほどな、と思う。
不思議に思うのは、なぜ「炙る」のか、ということだ。カツオのたたきは、土佐作りの別名を持つ高知県のご当地料理。目の前を流れる黒潮にのった活きのいいカツオを、藁の火で炙る、というのがポイントである。江戸はもっぱら刺し身で食べた。紀州には、これまた刺し身を飯に混ぜこんだ漁師料理「手こねずし」がある。どうして土佐では、わざわざ炙るというプロセスを取り入れたのだろう。
その疑問が解けたように思う。
今では静岡県や鹿児島県が鰹節の本場だが、かつての土佐は薩摩と並ぶ鰹節の一大産地だった。四つに割ったカツオを蒸して乾燥させるというのがおおまかな工程だが、当時のことで、乾燥は天日干しである。雨が降れば、「藁火をもって乾燥させる」とあった。
そう、この藁火。あの屈強の下げ切り男衆のだれかが、親方の目を盗み、おろしたカツオを藁火で燃やして食べたのだ、きっと。昇りのカツオは、脂は少ないが、皮をつけたまま加熱すると、皮の下にうっすらついた脂が溶けて身になじみ、うまい。こりゃ、いい味だ、と目尻を下げる屈強下げ切り男衆。カツオのたたきは、いわば遠い昔の鰹節工場から自然発生したのではないか。藁火と生のカツオを結びつけるなんて、町場で暮らしていては思いつかない。
ところで私のカツオのたたきは、藁火で炙ることは不可能なので、フライパンで、レアのステーキよろしくコロコロ転がしながら焼いてつくる。
ここでまた私、ひっかかる。
料理研究家の故志の島忠さんによると、カツオのたたきは、明治初年に土佐に滞在したフランス人が、自国の食習慣に沿ってカツオをステーキ状にして食べたことに由来する、というのである。たしかに進取の気性に富んだ土佐っぽなら、彼らのやり方を真似たかもしれない。こうなるとレアステーキから藁火へか。それもあり得るなぁ。フライパンでのたたきも、けっこうおいしいし。タレをカツオにたたきつけながら、心は千々に乱れるのである。











