小山薫堂の一食入魂 [106]
「お金は減ったけど縁が増えました」
銀行を退職してお茶サロンを開いた主人は言った
人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡

男は、台湾で素晴らしいもてなしと“人生のお手本”に出会い、
名古屋で“お母様の味”に感激し、そして郷土・熊本への
愛を持ちつつも、宮崎料理に舌鼓を打ったのであった。
×月××日
拙著の台湾版が出版されたため、台北で開催されたブックフェアに参加。台湾の人たちの活字メディアに対する熱い想いに圧倒されると同時に、地元出版スタッフのもてなし術に感動の連続だった。どうやら、僕の食の好みなどを事前にリサーチしていたらしい。猫頭鷹出版社の陳社長が案内してくださった店はどこも素晴らしかった。
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| 台湾のお茶サロン「冶堂」の何健さん。「お金では買えない財産を手に入れた」という。まさに人生のお手本であった。 |
特に感激したのは、夕食の後に行った「冶堂(イエタン)」という茶葉の店。ここはお茶を売る店ではなく、個人の趣味の空間と言ったほうが正しいかもしれない。主人の何健(ホチェン)さんは、かつて銀行員だった。あくまでも趣味として、貴重な茶葉やアンティークの茶器を集め、気の合う仲間たちにお茶を飲ませていた。もちろん、好きでやっているのだから、お金なんて取らない。そのうち、「お茶を仕事にできたら、何て幸せだろう」と思うようになった。そして何健さんは勤めていた銀行をあっさり辞めてしまった。
店舖ではなく、サロン。まるで隠れ家のような空間に、彼自身が集めてきた様々な茶器が並んでいる。片隅にあるテーブルに着くと、様々な種類のお茶を入れてくれる。そこで飲むお茶は全て無料。それをおいしいと感じ、しかも自分の家で飲みたいと思った人だけ、茶葉を買えばいい。何を買うわけでもなく、お茶だけを飲みに来る常連客が何人もいるらしい。
この空間を作ったとき、周囲の誰もが「こういうやり方で、3年以上続くはずがない」と口を揃えた。「でもね、今年で8年目なんですよ」と何健さんは笑った。
もちろん、銀行に勤めていたときよりも収入は少なくなったけれど、入生は格段に豊かになったという。
「私はお茶を楽しむ空間を提供しているだけ。でもその分、お金では買えない財産をたくさん手に入れたんです。圓が減った分、縁が増えました」
人生のお手本を、僕は台北で見つけたのだった。
×月××日
友人のY氏に誘われ、名古屋の「鯛めし楼」で夕食。「鯛めし楼」と言えば、名古屋財界人に愛されてきた創業140年の高級料亭である。少しばかり身構えて暖簾をくぐると、(いい意味で)拍子抜けするほど簡素な空間が広がっていた。料亭=個室の印象が強いが、ここでの人気はL字型のカウンター席。こんなに上品なカウンター席は見たことがない。簡潔であり、そこには凜とした空気が漂っている。席に座ると、無意識のうちに背筋がピンと伸びた。と言っても、緊張しているわけではない。どこかに家庭的な温もりがある。例えるならば、「おふくろの味」ではなく、「お母様の味」をこれからいただく気分なのである。
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| 「鯛めし楼」の鯛めし。上品な味わいだが、あら煮の汁を少し加えてみたら、“上品なおふくろの味”になった。 |
料理はもちろん鯛づくし。伊勢湾から届いた天然ものの立派な鯛が、職人の仕事で新たな命を吹き込まれ、目の前に運ばれてくる。鯛の潮汁で心がほっこりして、鯛のあら煮で顔がにやけた。甘いあら煮の汁を白いご飯にかけて食べたいくらいである。が……、ここはグッと我慢して、この店の名物を待つことにした。普通は鯛めしか鯛茶漬けの選択を迫られるのだが、欲張りな自分は半分ずつ両方を注文。鯛めしと鯛茶のハーフ&ハーフである。どちらも関東のそれとは全く違っていた。鯛めしは、鯛の出汁で炊いたご飯の上に、鯛の身の田麩(でんぶ)が乗っている。ふわっとした食感が新鮮だ。鯛茶は、胡麻だれに絡めるのではなく、漬けにした鯛の身にお茶をかけるというもの。最初は鯛の漬けをおかずにしてご飯を食べて、残り半分をお茶漬けにするのが常連たちの流儀らしい。
僕はそこに新たな流儀を(勝手に)作った。あら煮の汁をわざと残しておき、鯛めしに途中で少しだけ加えるのだ。あっさりした鯛めしにコクが出て、「お母様の味」が「上品なおふくろの味」に変わった。
「鯛めし楼」の味は、基本的に140年前と変わっていないという。たぶんこれからも、スタイルは変わっても、本質的な味が変わることはないだろう。こういう店を人生の折り目に使える名古屋の人たちが羨ましい。
×月××日
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| 見た目はラーメン。しかし、スープは生クリームとメープルシロップ、麺は和栗のモンブランなど、立派なスイーツなのだ。 |
来年、九州新幹線の縦のルートがついに全線開業する。僕が熊本出身ということもあり、県が進める「新幹線元年事業」のアドバイザーに選ばれた。そこで僕が提案したのは「くまもとサプライズ」というキャンペーン。県民が自分の身の回りにあるサプライズなことを見つけ出し、それを観光資源にしようという呼びかけである。すると早速、メンバーの一人が面白いデザートを持ってきた。熊本ラーメンの源流とも言われる玉名市で最近話題のスイーツ、その名も「ラーメンプリン」である。見た目はラーメンそのもの。豚骨スープは、生クリームとメープルシロップ。麺は和栗のモンブラン。チャーシューを渋皮付きの栗の甘露煮で、刻みネギはピスタチオで再現している。見た目でハードルを下げている分、味わったときの喜びは大きい。
きっとこれから、こういうサプライズフードが次々と名乗りを上げてくるに違いない。熊本のみならず、全国から情報を募って「ジャパンフード」の新定番を作ってみてはどうだろう? いいアイデアは、より多くの人と共有する……文化はそうして生まれるのだから。
×月××日
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| 「かさね」は、うまい料理で心地よく酒が飲める店であった。今回の題字は主人、柏田幸二郎さんに書いていただいた。 |
高校の後輩のM君から食事に誘われる。熊本出身にもかかわらず、彼が十数年通っているのは赤坂にある宮崎料理の店「かさね」だった。妙な郷土愛が働いているせいか、宮崎がライバルに思えて何となく素直にうまいと言えない……と思っていたら、東国原知事にありがとう! と言いたくなるくらいにうまい。特に初めて味わった「冷や汁」は強烈なうまさだった。隠し味に牡蠣をすり潰しているらしい。
うまい郷土料理と梅酒、ビール、ワイン、日本酒、焼酎……久しぶりに飲み過ぎてしまった。心地よく酔える酒を飲ませてくれる料理はありがたい。
改めて地方の食文化が持つパワーと可能性を実感した夜であった。
「鯛めし楼」
愛知県名古屋市中区錦2-18-32
TEL.052-211-6355
「かさね」
東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル3階
TEL.03-3589-0505
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